short
望むこと・希まざること(1)
化物の様子が気になって、仕事の合間に事務所を訪ねてやった。
車は先日ぶっ壊されちまったから、徒歩でだ。
ビルに向かう途中で、変なヤツとすれ違った。
そんな季節じゃねえのに、コートなんか着てやがる。顔をフードで隠してるが、唇のおどろおどろしい色がやたら目につく。足元はといえば、木靴だ。こんな異様な風体のヤツが用事ありそうなのは、「あの」事務所ぐれぇじゃねーのか?
そう思うのは、何となくだが、あの化物と同じような臭いがしたせいもある。
そいつのことは見て見ぬフリをしたから、ただすれ違っただけだ。そしてその途端、俺は気がかりがつのって、早足でビルへ向かい、階段を駆け上った。
「チィ〜ス。化物生きてるかー?」
意識して、いつものように勢い任せにドアを開けると、探偵は「所長席」を拭いていた。
「何してんだオメー」
「何って…トロイをふいてるの」
……こいつらは奇妙だ。言っちまえば、もれなくみんな妙な奴らなんだが。
ただの机に名前を付けて、呼んでいる。有名家具デザイナーが作って名付けたらしいが、そういうところも、なんだかよ。
探偵の様子はいつも通りに見えた。そっか、あの時の化物は尋常じゃねぇダメージを受けてたようだが、思ったよりは大丈夫そうだな。
しかし、その肝心の化物が見当たらねー。
「…で、化物は?」
室内を見回しながら訊く。そういや、いつも通りとは言い切れねぇところがあった。やけに静かだし、いつもの不意打ちの虐待もねぇ。
「ん? ネウロ?
ここにはもういないよ。帰った」
「帰っ…?」
俺は驚いた。あの化物に「帰る場所」があったことにか、探偵の淡々とした口振りにか。
「ここにいても回復の見込みないから」
探偵はせっせと机を拭きながら言った。
あぁ、ほとんど死にそうになってたもんな化物は…
「帰ったって…故郷にか?」
「うん」
「あの化物にもそんなとこあんのかよ。で、どこなんだ?」
「さあ…」
「『さあ』…って、探偵…」
「すごい遠い所だよ。それしか知らない」
「…そうかよ」
「あ、ありがとうあかねちゃん。吾代さん、コーヒーどうぞ」
「おう」
秘書のデスクからコーヒーカップを手にして、俺はソファに腰掛けた。
「…で、化物はいつ帰ってくんだ?」
「知らない。
すぐかもしれないし、私が生きてる間は戻らないかもしれない」
「?」
探偵の言うことがよく解らねぇ。どこに帰ったか知らなければ、いつ帰るかも知らねぇ…?
まさかとは思うけどよ。化物の野郎は、本物の化物だった…とか?
全然違う世界から来て、今はそこに帰ってるというんなら、探偵の言葉の意味も通らなくもない。
…いやまさか。
確かに、普通じゃねぇことがたくさんあったが、いくらなんでもな。
俺はそれ以上言及しなかった。しつこく訊いたって何も変わりやしねえ。まるで俺の方が化物に帰ってきてほしいってことになっちまう。そんなん気持ちワリィし、ガラじゃねぇ。
化物は居ない。その事実がわかっただけで、俺の用事は済んだようなものだしな。
秘書の淹れたコーヒーを飲んだら帰るとするか。
探偵を見ると、まだ「トロイ」とやらを拭いている。
こいつ、こんなにキレイ好きだったのか?
<前へ><次へ>
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!