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還る者は何を残す
ネウロ様にはもう、魔界蟲を飛ばす魔力もないようだ。準備が済んだというのに、察してここまで来る気配はない。俺は仕方無しに、無理矢理広げた口に気を付けながら階段を上っていく。
自分の体の器官とはいえ、ここまで拡張しちまっては閉口するばかりだ。全く、弱ってやがっても無理難題ばかり言う。ネウロ様は魔界にいた頃から少しも変わらない。
漸く一つ上の階に辿り着き、一番奥のドアを開く。
……何故か、かけるべき声が詰まる。声を潜めなけりゃなんねぇ…そう思っちまう。
「……
…準備が出来ましたでさ」
「…そうか」
こっちを振り向きもせずに、ただ一言答えたネウロ様は…
一緒にいた小娘を眺めていた。
そういや、この小娘は何なんだろう。
眠っているそいつの側の極太の鎖も、否応なしに目に留まる。俺が下の空き部屋にいる長い時間、ネウロ様と小娘がどう過ごしてたかなんざ、知りたいとは思わんが…
ネウロ様の傍で無防備に眠れちまう…そういった意味では、この2人の関係は興味深い。
「ネウロ様。こいつはどこのどいつで?」
「これは…
我が輩の……
奴隷、だ」
「あぁ、そうですかい」
ネウロ様らしい答え方だったが…短く言葉を切ったからか、俄には信じられなかったのが不思議だった。が、ヘタに突っ込むとまた痛い目にあるのはわかっている。
全く、ひとを虐める時は信じられない位元気でいやがるからな。
俺は、この方をこんな所で…こんな世界で死なせたくなかった。
その為に回りくどい言動をするハメになり、痛い目にも遭ったが、魔界への帰還を決断してくれたことに、俺は安心した。
だが…
ネウロ様は、まだ小娘を見つめている。その表情は、一度だって見たことがない。
この小娘が起きてねぇからこそなのかもしれねぇが。
そんなネウロ様を見ていると、どうにも胸がむず痒くなる。
ネウロ様は何故死んではならないのか…
俺とネウロ様では理由が違うようだ。
強き魔人としての生まれながらの存在価値、自尊心…それもあろうが、ネウロ様はむしろ…
他者の…人間の為に。
俺には不可解でしかない。まさかこんな、俺でも捻れそうな、ちっぽけな人間の小娘たった1人の為に…?
一番、ネウロ様には有り得ないことじゃないか。
魔界でも異色な存在だったネウロ様は、この世界に来て、ますます訳がわからない、遠い方になった。
「…ネウロ様、あんた…
変わりやしたな」
思わず呟いた……途端。
「…ッ…!!」
俺が半日かけて苦労して広げた口…異世界への、俺達の故郷への入口が、いとも簡単に、更に大きく広げられた。
驚きと痛さのあまり叫び声も出せない俺に、
「………ご苦労」
それだけを言い、ネウロ様は潜り込む。
あっという間に……
シンと静まりかえった室内に、長く居たくはなかった。
床に転がって眠っている小娘は…目覚めたらきっと、ネウロ様と同じような表情をするのだろう。そんな気がしたからだ。
それを見るのは、何となくためらわれた。
痛みがおさまるのを待って、俺は元居た空き部屋に戻る。だらしなく開いた口を元通りにする時間が要る。
壁には奇妙な髪の束がぶら下がり、ふらふら揺れていた。
不思議なことに、コレもまた寂しそうに見えた……
終
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