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誰そ彼の鬼
16



談笑、というには真剣さを帯びていたが、暫く会話を続けていれば、不意に遠くの方で微かな光が見えた。
初めは出口が近いのかと思っていた珀斗の思考は、切羽詰まったような朝霧の声により、掻き消される。


「いかん、宵闇はん!」


呼ばれたと同時に珀斗を抱え上げた宵闇は、まるで覆い隠すように珀斗の頭を己の胸元に押し付けた。
ただ事ならぬ雰囲気に、驚愕していた珀斗は黙して彼のなすがままになる。
何が起こったのか。

提灯を高く掲げた朝霧は、響くような声音で呪のようなものを滔々と唱えた。


《末打ち断ちて縁切らん。朝の御霧、夕の御霧、彼方へ言問う息吹なり》


提灯の模様が仄かに発光する。
キン、と何か金属を断ち切ったような音が、辺りの空気を震わせ共鳴した。


「朝霧…?」

「しっ」


か細い声で呼べば、鋭く制される。
痛いくらいの力で抱き締められ、視界は真っ暗だ。

視てはいけないのだろうか。

それでも何とかして見ようともぞもぞと動いた珀斗は、片目のみを覗かせることに成功した。
けれど特別可笑しな光景ではなく、言うとすれば、何か音が聴こえてくるような気がするだけだ。

何か、足音のような。


「ちっ…ヤバい奴が来てもうたわ」

「誰も知らない道じゃないのか」

「黙らっしゃい。あんのやっこさんは別や。奴にゃあ、道なんて関係ないんやろ」


睨むような視線の宵闇に、朝霧は忌々しげにぼそぼそと呟く。
それにはどこか恐怖が含まれており、珀斗は瞳を動かして朝霧を見た。
揺れていた二本の尻尾は、今やまるで彫刻のようにぴくりとも動かない。


「乗りきれればいいんだが…此れが持つかどうか」


提灯が微かに揺れた。
発光する文字は未だ輝きを失っていなかったが、ぎりぎりのところで保っているようにも見えた。

朝霧の持っているこの提灯は、結界を張る役割を担っている。
提灯に書かれているのは、魔除けの文字。
この文字と朝霧が唱えることにより、結界が作動するのだ。


「俺がやるのは駄目なのか」

「この結界は、見つからないためのもの。宵闇はんのは防ぐものでっしゃろ」

「隠すものも出来る」

「あんさんの力はこの道では上手く使えないはず。それに…今からじゃあ間に合わん」


結界の役割を自らがやろうと進言する宵闇に、しかし朝霧は頭を振った。
暗闇をじっと凝視して、ぶるりと震える。

ひたひたひたと、足音が間近に近づいて来た。
何の、足音なのか。


「……ひっ…」


片目が垣間視たものに、引き攣れたような悲鳴が珀斗の喉の奥で叫びを上げた。

視るな、とぼそりと耳元で呟かれ、直ぐに目を覆われる。
だが宵闇に押し付けられてもなお、瞼の裏に焼き付いた光景は消えることはなかった。

気持ち悪い。
頭が痛い。

胃からせり上がるような嘔吐感を必死にこらえて、珀斗は自ら宵闇に抱き付いた。


「よく、……喰ろうておるわ…」


最早笑いしか出ないのか、囁くように朝霧は微かな乾いた笑声をもらす。

ひたひたと、影が蠢いた。
その巨体に似合わぬひっそりとした歩みをするもの。
その形はきちんと為しておらず、熔けているように所々が爛れてどろりとしており、歩く度にぼたりと垂れていた。


「虚無か…」


虚無。
それは、全てを呑み込み、全てを無に還し、全てを消し去るもの。
遥か古く、いにしえから存在する、闇。

ぎょろりとした双つの光は眼球なのだろうか、忙しなくあちらこちらと動いている。
闇、というにはあまりにも、はっきりと在って、醜い。

寒気がして、珀斗はがたがたと震えだした。
歯の根が噛み合わず、音が鳴る。
結界を張っているにもかかわらず、虚無の瘴気に肌が粟立つような戦慄を感じた。

人間である珀斗には耐えられるものではない。
珀斗は徐々に体が蝕まれていくような感覚に陥った。
まるで、自らの意思が潰えていくような、消えていくような。


「呑まれるな、珀斗っ…」


耳元で、低い声音が鼓膜を震わせた。
痛いくらいの力で抱き締められ、珀斗は落ちかけた意識を何とか浮上させる。

不意に強い視線を感じ、宵闇が身を強張らせた。
虚無のだろう、射ぬかれるような強さに、五感ではなく別のところ、則ち第六感が悲鳴を上げた。
危険を告げる警鐘が脳内で鳴り響く。

何時までそれが続いたのかわからない。
唐突に圧力をかけるものがなくなったかと思うと、ひたひたとした足音は遠ざかっていった。

震えていた体が正常を取り戻す。
へたりと力が抜けた珀斗を、宵闇が支えた。


「…行ったか」


掲げていた提灯から発光が消え、朝霧は腕を下ろす。
遠くを見るように目を細め、安堵したように呟き、潜めていた吐息を深々と吐き出した。


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あきゅろす。
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