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誰そ彼の鬼
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「はぐれないでおくんなし。宵闇はんといえども、戻れなくなりますえ」


提灯を持ち、先頭を歩いていた朝霧が、振り返ってそら恐ろしい事を口にした。
目を瞠った珀斗に、しかし宵闇は微動だにしない。

近道らしいそこは、先ほどいたところより薄暗く、けれど嫌に視界は明瞭であるという、何とも摩訶不思議な道だった。
暗いと認識はしているが、見下ろす己の手足ははっきりと見えるし、数歩先の朝霧もそうだ。

この道を知っているのはどうやら朝霧だけなのか、周りから突き刺さるような視線を、今は感じない。
それゆえか、ぴったりと珀斗の肩を抱き寄せていた宵闇は、この道に入った途端、その力を緩めていた。
今は朝霧の後ろを、隣に並ぶ程度で歩いている。


「あの、朝霧さん」

「朝霧でええです。さん付けなんか痒い痒い。敬語もいらんですわ」


おずおず呼びかけた珀斗に、朝霧は気さくな様子で敬称不要を告げる。
親しい朝霧の態度に、珀斗の心が幾分か落ち着いて来た。

宵闇を見上げれば、彼に別段と止める気配はないので、会話を続ける。


「いま、どこに向かってんだ?」

「出口に。あんさん、御役の者でっしゃろ? やからなるべく近くに出ようと思うてなぁ」


朝霧もまた、御役の事を知っているようだ。

果たしてこの妖怪はいつ、宵闇と知り合ったのだろうか。
彼はあまり他者と関わらないようにしていると思っていたのだが。


「…朝霧って、猫股だよな?」

「そうです。よう知ってはりますなぁ」

「猫股はそこそこ人間も知ってるし……じゃあ、何歳?」


きらり、と此方を顧みた朝霧の瞳が、光ったような気がした。
思わず怯んだ珀斗に、くすくすと笑う。


「あきませんなぁ。おなごに歳を聞くなんて」


…あ、雌なんだ。

新しい事実に、珀斗は胸中でこっそり呟きをこぼす。


「と言っても、わちきは猫ですからな。あまり気にしまへんがな」


猫。
そう、朝霧は元、猫だ。

猫股とは、百歳を生きた猫がなる妖怪。
猫は百歳になると尾が二つに分かれ、妖となると言われており、それが目の前にいる朝霧である。


「歳を数えていたのはニ百八十あたりまでやから、詳しくはわかりまへんが…約四百、てとこですな」

「四百歳……結構、若いんだ…」

「あらぁ。嬉しゅうこと言うてくれますなぁ」


感慨深い珀斗に面白そうに笑い、朝霧は提灯を揺らす。
不思議な文字の模様が描かれたそれは、遠心力で横に数度往復した。

四百歳、ということは、およそ江戸時代あたりから生きていたということになる。


「わちきは、遊廓で飼われていた猫でしてな。あ、遊廓ってわかりますえ?」

「女の人と、遊ぶところ…?」

「ま、そないな感じですわ。遊女たちの遊び相手として飼われていたんです。やからこないな口調になってしもうて」


そう言って、朝霧は苦笑をもらす。

わちき≠ニいう一人称は、本来は遊女が使うものだ。
猫であった朝霧は、長い間遊女と共に暮らしていたせいか、すっかり彼女らの口調が移ってしまったらしい。


「宵闇と朝霧はいつ出逢ったんだ?」

「………この間の戦争の前には、既に知り合いだったような…」


質疑の矛先を宵闇に向ければ、若干困ったように眉を寄せながら頸を捻る。
朝霧が呆れたように笑声を発した。


「違いますえ、宵闇はん。ほらぁ、黒船だかなんだかが来た時がありましたろ。確かあん時あたりですわ」

「ああ…あの外つ人か」


黒船。
外つ人。つまり、外国人。

この二つの単語で思い浮かぶ出来事は、一つしかない。


「黒船来航かよ…」

「そないなふうに呼ばれてますなぁ」


のほほんとした朝霧の声に、珀斗の顔が形容し難いものへと変化した。

若いと言っても、やはり珀斗よりは長く生きているのだ。


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