誰そ彼の鬼 14 「はぐれないでおくんなし。宵闇はんといえども、戻れなくなりますえ」 提灯を持ち、先頭を歩いていた朝霧が、振り返ってそら恐ろしい事を口にした。 目を瞠った珀斗に、しかし宵闇は微動だにしない。 近道らしいそこは、先ほどいたところより薄暗く、けれど嫌に視界は明瞭であるという、何とも摩訶不思議な道だった。 暗いと認識はしているが、見下ろす己の手足ははっきりと見えるし、数歩先の朝霧もそうだ。 この道を知っているのはどうやら朝霧だけなのか、周りから突き刺さるような視線を、今は感じない。 それゆえか、ぴったりと珀斗の肩を抱き寄せていた宵闇は、この道に入った途端、その力を緩めていた。 今は朝霧の後ろを、隣に並ぶ程度で歩いている。 「あの、朝霧さん」 「朝霧でええです。さん付けなんか痒い痒い。敬語もいらんですわ」 おずおず呼びかけた珀斗に、朝霧は気さくな様子で敬称不要を告げる。 親しい朝霧の態度に、珀斗の心が幾分か落ち着いて来た。 宵闇を見上げれば、彼に別段と止める気配はないので、会話を続ける。 「いま、どこに向かってんだ?」 「出口に。あんさん、御役の者でっしゃろ? やからなるべく近くに出ようと思うてなぁ」 朝霧もまた、御役の事を知っているようだ。 果たしてこの妖怪はいつ、宵闇と知り合ったのだろうか。 彼はあまり他者と関わらないようにしていると思っていたのだが。 「…朝霧って、猫股だよな?」 「そうです。よう知ってはりますなぁ」 「猫股はそこそこ人間も知ってるし……じゃあ、何歳?」 きらり、と此方を顧みた朝霧の瞳が、光ったような気がした。 思わず怯んだ珀斗に、くすくすと笑う。 「あきませんなぁ。おなごに歳を聞くなんて」 …あ、雌なんだ。 新しい事実に、珀斗は胸中でこっそり呟きをこぼす。 「と言っても、わちきは猫ですからな。あまり気にしまへんがな」 猫。 そう、朝霧は元、猫だ。 猫股とは、百歳を生きた猫がなる妖怪。 猫は百歳になると尾が二つに分かれ、妖となると言われており、それが目の前にいる朝霧である。 「歳を数えていたのはニ百八十あたりまでやから、詳しくはわかりまへんが…約四百、てとこですな」 「四百歳……結構、若いんだ…」 「あらぁ。嬉しゅうこと言うてくれますなぁ」 感慨深い珀斗に面白そうに笑い、朝霧は提灯を揺らす。 不思議な文字の模様が描かれたそれは、遠心力で横に数度往復した。 四百歳、ということは、およそ江戸時代あたりから生きていたということになる。 「わちきは、遊廓で飼われていた猫でしてな。あ、遊廓ってわかりますえ?」 「女の人と、遊ぶところ…?」 「ま、そないな感じですわ。遊女たちの遊び相手として飼われていたんです。やからこないな口調になってしもうて」 そう言って、朝霧は苦笑をもらす。 わちき≠ニいう一人称は、本来は遊女が使うものだ。 猫であった朝霧は、長い間遊女と共に暮らしていたせいか、すっかり彼女らの口調が移ってしまったらしい。 「宵闇と朝霧はいつ出逢ったんだ?」 「………この間の戦争の前には、既に知り合いだったような…」 質疑の矛先を宵闇に向ければ、若干困ったように眉を寄せながら頸を捻る。 朝霧が呆れたように笑声を発した。 「違いますえ、宵闇はん。ほらぁ、黒船だかなんだかが来た時がありましたろ。確かあん時あたりですわ」 「ああ…あの外つ人か」 黒船。 外つ人。つまり、外国人。 この二つの単語で思い浮かぶ出来事は、一つしかない。 「黒船来航かよ…」 「そないなふうに呼ばれてますなぁ」 のほほんとした朝霧の声に、珀斗の顔が形容し難いものへと変化した。 若いと言っても、やはり珀斗よりは長く生きているのだ。 [退][進] [戻る] |