誰そ彼の鬼
3
階段を下りていけば、秋乃の鼻唄が聴こえる。
居間になっている部屋の障子を開け、珀斗は台所に顔を覗かせた。
「あら。おはよう、珀斗」
「おはよ。なんか、ごめんなさい」
「いいのよ。疲れていたのね」
台所でお茶を煎れていた秋乃は、傾けていた薬罐の取ってを掴みながら珀斗に挨拶する。
寝坊に申し訳なさそうにすれば、微笑んだ秋乃が緩く首を振った。
「いま、朝ごはん用意しますからね」
「うん」
優しい面差しを浮かべる秋乃に、珀斗はこくりと頷いた。
穏和な雰囲気を纏う秋乃の側は、安心感がある。
秋乃の気質ゆえだろうか。
朝食であるのか、味噌汁を温め直す秋乃を尻目に、喉の渇きを覚えた珀斗は棚からコップを取り出し、水を汲んだ。
「ところで、宵さんは一緒じゃないのかしら」
「………しょうさん?」
朝食の用意と同時進行で急須の蓋を閉め暫し蒸していた秋乃の言葉に、水を飲み干してから珀斗は鸚鵡のように繰り返す。
聞き慣れない名前に小首を傾げた。
誰だ。しょうさんとやら。
悩むような珀斗に、秋乃は至極にっこりとした表情を浮かべた。
「やぁねえ。貴方のお友達よ」
「お友達……」
そんなもの、ここにはいない。
そもそも長期間の休み限定しかこの場所には訪れないし、ここ数年はずっと来ていなかった。
だから、友達などいるはずがないのだ。
「礼儀正しい人よねえ」
「……うん…?」
首を捻りながらも、取りあえず頷いた珀斗は、下手な事を言わないうちに逃げるようにして台所を出た。
しょうさん。
そんな名前、知らないはず。…だが。
「…あ」
そうだ。そういえば、そうだったのだ。
浮かんできた答えに頬を引き攣らせれば、とんとん、と階段を降りる足音が聴こえてきた。
はっとして入口を見た途端、丁度入ってきた宵闇と視線を鉢合わせる。
人型に変化していた彼の姿は、昨日と殆ど似たような、酷く大人びた恰好をしていた。
そう、秋乃のいう友人とは、彼、宵闇のことだ。
彼は昨日、珀斗の友人としてこの家に泊まっていた。
珀斗には宵闇は鬼であり人間ではないとわかっているから、友人という言葉に思い浮かばなかったのだ。
それならば、納得がいく。
「よい」
「ありがとうございますね。宵さん」
宵闇、と最後まで言い切る前に、台所の入り口から珀斗の朝食を持って出てきた秋乃に遮られた。
話す機会を失い、珀斗は困惑したように秋乃と宵闇を交互に見る。
「いえ、大丈夫ですよ」
「あら、そう?」
ふふ、と笑った秋乃は、珀斗に朝食を促して再び台所に引っ込んだ。
取りあえず席に着いた珀斗は、隣に腰を下ろす宵闇を見上げ、軽く睨む。
宵闇が肩を竦めたところで、数拍もしない内に盆に乗せて急須と茶器を持ってくると、宵闇に淹れた茶器を差し出した。
ありがとうございます、と言いながら、宵闇はそっと茶器を持ち上げた。
上品な飲み方に一瞬見惚れそうになり、ぶんぶんと珀斗は頭を横に降る。
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