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第19話 2
あ……虹村くん」

 夜の十時ごろ、弓と矢を鞄にしまい出かけようとした形兆は、リビングのところで香澄と鉢合わせした。
 風呂上りらしい。香澄の頬は赤く染まっていて、むわっとした湿気と共に石鹸の匂いが鼻先に届く。反射的に顔をそらした。
 香澄は形兆が手に持つ学生鞄と形兆の顔を見比べて首をかしげる。

「出かけるの?」
「あぁ」
「……なんだか、嫌なことでも……あるの? よくない感じだよ」

 眉をひそめながらちらりと香澄を見下ろすと、香澄は真剣な顔で形兆を見つめていた。
 香澄の耳に取り付いているピンクスパイダーは、相槌程度の小さな言葉でも能力を発揮するらしい。

 今夜こそは父を殺せるスタンド使いを、という決意と期待は、他者から見ればほの暗く――『よくない感じ』に思えるのだろう。
 香澄は形兆から視線を外して、緊張ぎみに笑う。

「わたしでよければいつでも聞くし……お世話になってるから。愚痴じゃなくても、わたし、なんでもするし……」

 顔ごと視線をあちらこちらにそらす拍子に髪の毛がさらさらと揺れて、耳まで赤くなっているのがちらちらと見える。風呂上りだからだが、もじもじと身体を揺らせるしぐさとあいまってまるで想い人に告白する寸前のような雰囲気だ。
 ――なんでこいつはこんなに俺に突っかかってくるんだ。
 切実な疑問だが、それはすぐに解消された。
 家主だからだ。
 この家の実質の家主が形兆だから、香澄はこの家での生存権を求めて形兆に媚を売る。
 形兆にとって心底居心地が悪く、忌むべき場所であるこの家こそが、香澄の最後の居場所なのだ。
 そこに居るのが、自らの首を絞めて殺しかけた形兆だったとしても。

 哀れさにクッと唇が捻じ曲がった笑みを描いた。

 そうでなくては形兆に話しかけるはずがない。実際、首を絞めた直後から同居が決まるまでは、形兆に寄り付かなかったのだ。

「お前には関係ねー話だ。この家のことも、俺のことも……だから、じっとしてろ」

 息をひそめて干渉しないでいてくれれば、形兆は香澄を追い出す気はない。
 香澄は言葉を詰まらせた。言いたいことが言語化できないようにもどかしそうに唇を動かし、ぽつりと呟くように言葉を吐き出す。

「でも……虹村くんは、虹村くんにぜんぜん関係ないわたしのこと……助けてくれた」

 だから、すこしでも虹村くんの力になりたいの。
 そんなふうな、言葉にならない決然たる思いが形兆の胸に伝わる。
 小動物のように怯えた目をしながら、それでも香澄は形兆を見つめた。
 ――イライラする。本当に。
 くだらない言葉に心動かされそうになる自分がいやで、形兆は唇を引き結んで眉をひそめた。

 寝巻きのズボンをきゅっと握り締めて、形兆を見上げるしぐさは健気さを体現したようなひたむきさがある。
 実際、形兆の機嫌を損ねては生きてはいけないのだから一生懸命にもなるだろう。
 それ以上に友人としての好意があると伝わっていながら、形兆は香澄の言動をそういう意味に捉えた。
 風呂上りで蒸し暑いのか、だらしなく無防備に開いた第二ボタンから血色よくピンク色に染まる鎖骨がちらりと覗いている。それを見ていると形兆の脳裏になにかがわきあがる。
 暴力的な欲求が。

「……そんなに、俺のためになにかしたいんだったら……」

 いったん区切って、唇を舌を濡らす。
 下劣とも言えるし、少年じみているとも言える興味本位だった。
 くだらないとわかっていつつ、あえて形兆はそれを言葉にした。

「抱かせろよ、お前の身体」

 ぽかんと口を開けて目を見開いた香澄が、一歩後ずさって胸元を手で隠した。



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