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第16話 受け止めきれないその手の感触


 香澄を床に押し倒し、『この家のことに関わるな』と言い含めた次の日の朝――香澄の様子はどこかおかしかった。
 いや、どこか、などではない。

「おはよう、虹村くん……」

 挨拶はどこか舌ったらずで、目はぼんやりと虚ろだ。顔が赤く、食事する手つきはおぼつかない。
 立ち上がればふらふらと壁に寄りかかる。

「香澄、もしかして具合悪いのか?」

 形兆が学校へ行く予定時刻の実に五分前になって、やっと億泰がそう言った。
 遅い、と形兆は内心でつっこむ。
 一目見た時から形兆は香澄の赤い頬が気になっていた。声をかけることをしなかったのは、ひとえに昨日の会話があったからだ。
 端的に言えば、気まずい。
 そもそも首を絞めただのなんだだと、香澄にはとことん散々な振る舞いをしている。
 今更白々しい心配の言葉を吐くのはためらわれた。

「大丈夫だよ。ちょっとふわふわするだけ〜」
「そうかァ〜」

 ――それで納得すんなよどこ見てんだよあほかよお前ッ!
 結局居ても経っても居られず、無言で棚から薬箱を取り出すと体温計を香澄に投げつけた。
 胸元にぽすんと放り投げたつもりが、手元が狂って思いのほか勢いが出てしまう。
 散漫な動きしかできない香澄は、体温計を目で捉えつつもキャッチが間に合わない。

 放たれた体温計は香澄の頬に当たり、床に落ちて高い音を立てた。
 形兆は思わず口を開いたまま硬直してしまう。

「あーっ!! 香澄になにすんだよ!!」

 なにを投げたのかも確認せずに、億泰が形兆に食って掛かった。
 当たった位置がわずかにでもずれていれば目に直撃していたのだから、それも当然だろう。
 香澄は頬を撫でながら困った笑みをして億泰をいさめる。

「だ、大丈夫だよ億泰くん。ごめんね虹村くん、体温計使えって意味だよね? 気を遣わせちゃって……。でも、せいぜい36.7度ぐらいじゃないかな」

 努めて明るく言いながら、香澄は形兆たちに背を向けた。

 不自然なしぐさに億泰と形兆の視線が集まる。
 制服の裾をたくし上げて体温計を脇にセットしていると気づき、形兆は慌てて目をそむけた。その拍子に壁掛け時計が視界に入る。
 家を出る時刻をわずかに過ぎていた。
 形兆は自らが決めた予定をすこぶる大事にする人間だ。学校そのものに執着はないが、予定を破るのは避けたい。

 悩みかけた段階で、甲高い電子音が鳴り響いた。体温計を取り出した香澄が硬直する。

「げっ」
「うわっ」

 体温計を覗きこみ、形兆と億泰は同時に声をあげた。
 体温計が示す値は『38.4』――どう考えても高熱だ。
 故障を疑ったが、この体温計は以前形兆が倒れたときに香澄が置いていった新品のものだ。
 思わず、二人して香澄から身を離すように距離を取る。

「おい、お前……」
「え、えへへへへ……きっと故障だよ」

 困った愛想笑いを浮かべる頬はこれまでになく赤い。
 香澄は不意に頭を揺らすと、そのまま膝から崩れ落ちた。とっさに腕を伸ばす。
 抱きかかえるように身体を支えると、香澄の全体重を片腕で支える結果になる。腹が強く圧迫されて香澄は痛みにうめき、形兆は香澄が床に激突しないようゆっくりと膝をついた。

「おい、お前っ」
「だ、だいじょうぶ……」
「大丈夫じゃねぇだろうッ! 億泰、水もってこい水!」

 体温を知って、気づかないようにしていた体調不良が限界を迎えたのだろうか。
 ぐるぐると目を回す香澄は、床に座り込んだままつらそうに形兆に身体を預けた。



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