薄桜鬼小説
穢れなきもの(風間×千姫)08.10.27
 自分の出自に対して驕った事はなかったが、鈴鹿御前の末裔として大事に崇められ育てられた結果、その血に対しての誇りと意義は十分に知っていた。

鬼の純血はこの世界において何よりも優位で、自分の出自はその最高峰にあるという事、そして希少である女鬼であるという事、その二つだけが自分の存在意義であると、幼い頃から当事者である自分が一番よく知っているつもりであった。

それでは。

それでは、その存在意義を無くしてしまった自分には、一体何の価値があるというのだろうか?



「んっ……!!」

ゆらりと揺れる視線の先で、黒髪を肩で揺らしながら、男-山南敬助が優越感に浸って悦に入った笑みを浮かべる。
本来であれば羅刹の身であるこの男のような者が自分に触れる事など許されるはずもないのだが、鬼であろうと羅刹であろうと、男女の力差は変わる事無く、両の手を押さえつけられればその力に屈することしかできず、口惜しい恨みを双眸に込めるくらいがやっとのことだった。
しかし残念なことに、今の千姫にはそれすらも出来ているかは定かでは無かったが。

「さすがは鬼の姫であると、褒めるべきでしょうか。ですが、その抗いも無駄なことです。早く堕ちてしまったほうが、苦しみもなくなりあなたの為でもありますよ」

男にしてみれば無駄な抵抗をしている千姫が面白いのか、大層愉快そうな笑みを浮かべると、山南はぴしゃりと襖を閉めて部屋を後にした。

(……気持ち悪い)

口の中に残る鉄の味に、千姫は忌々しそうに眉根を寄せる。
力入らぬ身を仕方なく床にだらりと横たえて、それでも口の中に広がる異物を少しでもかき出そうと、己の唾液と共に体外へと押しやり、山南の血と混じったそれは、千姫の口端からだらしなく垂れ落ちた。

あの夜、あのような事が起こるとさえ想像もしてなかった自分を襲った悲劇は、むしろ喜劇とでも呼ぶべきか。
まがい物の羅刹に比べ優位に立つ自分の足元を掬われた瞬間に、鬼の誇りがあるのなら舌を噛み切ってでも死ね、とどこぞの鬼なら言っただろうか?と、その場にも居合わせていた色素の薄い風間という鬼の事を思い出す。

(もう私には、子を産む価値も無いわね)

千姫は、かつて子を産んでやると約束した男鬼の事を思い出し、自嘲気味に笑う。
友人と呼ぶ事が許されるならば、友人の女鬼-千鶴を救ってやりたいという理由から、ただの子腹として彼女を追い回す風間に、子なら自分が産んでやると話を持ちかけたのだ。
鬼の血の存続としては決して悪い話でもなく、いずれはそうしなければならなかっただけの話が少し早くなっただけで、それで人助けまで出来るとくれば、特に申し分も無い話だった。
おまけに、それでも千鶴に手出しをしようかという風間の思惑も、自分の血で押さえつけることもできたのだ。お互い好いた者同士ではなかったが、生涯一人と約束できたのも、悪くなかったのにな、と千姫は思い出したように口許を微笑ませる。

(また、千鶴ちゃんに迷惑がかかっているのかしら?)

風間が求めていたのは女鬼という存在だ。好いた好かれたの間柄でなければ、千鶴と自分の間で優位に立っていたのは血の尊さそれだけだ。
今や羅刹の血に穢された自分の血など、風間にしてみれば比べるにも値しない塵以下の存在でしかないはずだ。

(……何の役にも、立てなかったなあ)

価値の無くなった自分のせいで、また千鶴にも迷惑がかかっているのだろうと思うと、千姫は申し訳無さそうに表情を歪ませる。
何度も血を与えられ羅刹の血にあてられた自分の体は、日に正気を保つ時間が段々と短くなってきていた。それでも、僅かに残った鬼の誇りが己が身を奮い立たせ、羅刹へと身を堕としてしまわないようにと懸命に戦っているようだった。
鬼の身であった時はそれほど気にも留めていなかったが、高貴なる純血の鬼であるという誇りが、自分の中に強くあったということか。
それとも。

「!!」

(あ、あ……ダメっ……)

最近とみに正気を保てる時間が少なくなった、もう羅刹に堕ちるしかない我が身を守る保身には、純血だったという事実にすがるしかないからだろうか。



※※※



ゆらり。視線が揺れる。失われていた意識が微かに戻る。まるで遠くの出来事の様に聞こえる人の叫ぶ声は、千鶴のものだろうか。

「あ、あ、きみ、ぎく……」

手に、ぬるりとした血の感触がある。固く握った拳の中に、蒼い刀身を支える柄を携えるは、羅刹へと堕ちた我が身か。

「ひめ、さま……」

自身の身を刃に貫かれても、それでも優しく微笑む君菊の情に、なぜだか己の羅刹の血が洗われるような錯覚に陥る。
人を信じる心を忘れ、正気も保てぬようになってしまった自分に、どうしてここまで出来るのだろうか。自分には、血以外にも、そのような価値はあったのだろうか?

消え入りそうな意識の先で、狂気に狂う山南と対峙する羅刹の剣士-藤堂平助の姿が見える。ああ、千鶴は彼に守られ共に生きているのかと、ほっとし、少し羨ましく思ったその視界の端に。

(どう、して……?)

血溜まりの中苦しそうに顔を歪める風間の姿を発見して、千姫は理解が出来ず苦渋に歪む顔にさらに困惑の表情を混ぜる。
鬼の純血で無くなった自分は、風間にとっては不要の物だ。だとすれば、また懲りもせず千鶴を追ってここまで来たのだろうか?
だが、それにしては風間に向ける千鶴の気遣わしげな視線が気にかかる。
まさか自分の知らぬ内に恋仲にでもなったのであろうか?と邪推するが、それでは藤堂の存在が不要となる。
羅刹ごときに出し抜かれたと、鬼の誇りで山南を追って来たのだろうか。
だとしたら、山南と対峙しているのが藤堂ではおかしな話だ。

(それに……)

千姫は意識が飛んでしまうその直前、ぼんやりと疑問を浮かべると、次の瞬間まるで事切れたようにその身は地面へと落下した。

(ここにいる誰が風間に傷を負わせる事が出来たの?)



※※※



 羅刹の寿命を永らえさせるかもしれない可能性を求め、千鶴と藤堂は雪村の故郷へと二人で旅立っていった。この先どうなるかわからないが、あの二人なら安心だろうと、仲睦まじげに寄り添った二人を思い出して千姫は無意識に笑みを浮かべる。

それよりも。

問題は自分達の方だと、少し先を歩く風間の背中に千姫は小さく息を吐く。

「風間っ」

意を決してその名を口にすると、風間は無表情にゆっくりと振り返る。

「あの……その、傷口は、痛くないの?」

傷口とは、件の一件で風間についた刀傷の事だ。鬼の体の回復力を知ってはいるが、まさかあの傷を負わせたのが自分であったと後から聞いて、あまりいい気がしたものではなかったからだ。
少しだけバツが悪そうに千姫がそう口にすると、風間は事も無げにふっと口許に笑みを作る。

「あれは少々油断していただけだ。俺ともあろうものが、おまえごときにつけられた傷に、いつまでも苦しめられると思うのか」

「姫様になんて口をっ」

千姫は今にも食ってかからんばかりの勢いの君菊を右手で制して、その皮肉交じりの台詞にほっと胸を撫で下ろした。
鬼の回復力を侮っている訳ではないが、だからと言ってむやみに斬りつけてもいいものではない。風間の表情も痩せ我慢をしているそれではなく、本当にもう傷口さえ残ってはいないのだろう、という事が安易に想像できた。

「そう。なら良かったわ。正気ではなかったとはいえ、あなたを斬った事、謝ります。ごめんなさい」

千姫がぺこりと下げた頭を上げると、風間が無表情にこちらを見ていた。常の表情に喜怒哀楽が浮かばぬ風間の顔からは、今何を考えているのか掴むことが出来ず、出来た沈黙が少々息苦しく感じ、千姫は自分から言葉を接ぐ。

「そういえば、あなたはどうしてあの場所にいたの?」

まさかそんな事を聞かれると思ってもみなかったのか、風間の金色の瞳が弾かれるように大きく見開かれた。
大方鬼の誇りを傷つけられた腹いせに羅刹を斬りに行ったのだろうと、安易に答えが推測できる質問に、我ながら言葉選びのセンスがないな、と千姫は肩をすくめる。

「……羅刹ごときが、俺のものを所有していいわけがなかろう?だからそれを取り戻しに行ったまでだ」

「だからまた姫様の事をそのようにっ!!」

千鶴まで捕まっていたのだろうか、とぼんやり考えていた千姫の思考は、自分が侮辱されたと激昂する君菊の言葉に遮られ、千姫は事の真意を確かめるべく慌てて君菊をまた手で制すと、不思議そうな意を瞳に湛え、風間と正面から向き直る。

「あなたが欲していたのは、私の血なのでしょう?」

風間が追い求めていた物は、鬼の純血で、決して千姫という個体ではない、というのが自分の中の認識だ。
だから、羅刹の血で穢れた己の身など、風間の興味の対象である事は愚か、羅刹の血を喰らってもなお生き延びている自分は、鬼の誇りすら貶めている存在でしかないのではないか。

交わる視線の先で、何かを考えているのか風間はしばらく言葉を口にせず立ち尽くしていたが、ふうと小さく息を吐くと、一歩間合いを詰めた風間の右手が千姫の頬に触れ、千姫は思わずびくりとその身を揺らす。

「……薩摩だなんだと言っておらず、すぐにでもおまえを攫って行くべきだったか」

「え……」

独り言のように囁かれた風間の台詞に、千姫は言葉を無くし目を瞠った。
恋仲ではなく結ばれた血の契約は、羅刹の血を喰らった時点でもはや無効となっていたはずなのだ。
風間にとってみれば、自分に固執する条件も無くなってしまっていたというのに、それではまるで。

「私はもう、純粋な鬼ではないのよ?」

自分で口にするのも、声が震えるほど苦しい言葉を千姫は口にし、絶望に顔を歪める。
それは自分の存在意義であったもので、それを自分の口で否定するという事は、今ここに立っている事さえ否定するようなものだからだ。
真っ直ぐに向けられる風間の視線が、いつ冷淡に侮蔑の表情に変えられるのかと思うと、本当はすぐに視線を伏せてしまいたいところではあったが、言葉の真意を問う為にはそれは出来ず、微かに震える体を押さえつつ、千姫は風間の言葉を待つ。
数秒の沈黙の後、風間の瞳が、苦しげにほんの僅かだけ細められた。

「……一度俺自身が俺のものだとしたものを、人の指図で変えるつもりはない。だからおまえは俺のものだ。例えおまえ自身が、それを望まぬとしてもな」

「!!」

事も無げにそう言った、普段通りの抑揚の無い風間の言葉に、千姫だけでなく、その後ろで殺気すら身に纏いそうであった君菊も驚きでその瞳を見開く。

(価値が、あるというの?)

純血を失った自分の身にも。

風間の言葉に驚きを隠せないのは自分だけではなかったと証明するように、後ろの君菊が唾を飲む音が聞こえた。いくら主君と慕ってくれてはいようとも、目の前の男鬼が求めていたものにそぐわぬ身になったということは、理解していたということであろう。

「風間。でもあなたは羅刹という存在を忌み嫌っていたはずです。それでは、今の私には……」

興味はないはずだ。むしろ斬り捨ててしまいたいはずなのに。

そう口にするはずだった言葉は、ふいに近づいてきた風間の金色の瞳の前に、音にすることなく吸い込まれた。背後でまた君菊が息を呑んだ気がしたが、ぼんやりとした思考のままそれを制する。

「おまえが。あのまま羅刹の血に狂わされてしまったのなら躊躇無く斬り捨ててやったのだが」

静かに離れた風間のそれは、またも事も無げに静かに言葉を綴る。

「踏みとどまるとはな……面白い女だ」

期待してもいなかったが、と言外に容易く読み取れたが、風間は満足げに微笑むと、まだ添えていた右手を千姫の頬の上で優しく滑らせる。
その一瞬。ほんの一瞬ではあったが、端整な顔立ちに湛えられた微笑を、ああなんて綺麗な鬼なのかしら、と千姫は瞬きも忘れて見惚れてしまった。

「血で血が染まるのなら、おまえが俺の血を飲めばいいだけの話だ」

「!!」

風間の金色の瞳が真っ直ぐに千姫の瞳を捕らえると、短くそう言ってくるりと踵を返した。
まるで瞳の奥に燻る自分の想いを見透かされたかのようで、千姫は心臓を鷲掴みにされたような心地に思わず右手で胸を押さえる。

(ああ、そうなのね)

一番血にこだわっていたのは誰だったのだろうか?

(くやしいな。私が敵わないなんて)

千姫はなんだか自分の目の前にかかっていた靄が晴れたような気がして、先に進んだ風間の後を、自分の意思で追いかけた。

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