薄桜鬼小説
【随想録発売記念】未定(風間×千姫)09.08.27
 綺麗に着飾った彼女が自分に向け小さく手を振った後駆け出したその姿があまりにも可愛くて、普段はあまり感じた事がない感情に思わず口走った言葉を、聞かれた相手が実に悪かったんだと思う。

「羨ましいな」

千鶴の背中を見送りながら無意識に呟いた言葉に自分でも驚いて、千姫は思わず口許を手で覆った。なぜそんな言葉が口をついて出てきたのか自分でも理解できなくて思わず立ち止まったその数秒、つい気を抜いたのがいけなかった。

「何が」

ふいに背後から聞こえた低い声に、千姫は驚きでびくりと身体を竦ませぴんと背筋を伸ばした。肩越しに覗き込むようにそう問いた男の息が今にも頬にかかりそうで、千姫はそれから逃げるように勢い良く振り返る。

「か、風間っ!!」

千姫が突如現れた人物の名を叫ぶように呼ぶと、呼ばれた当の本人は、うろたえる千姫に不思議そうな視線を送りながら、風間にしてみれば珍しく、驚いたように少しだけ目を丸くした。

(どうしてよりによってこの男がっ!!)

今一番会いたくないと思った人物に、まさかあの呟きを聞かれていたという事が重なって、千姫は一瞬にして体中の血液が逆流したような感覚に襲われた。何か言い返さなくては、と頭の中で声が聞こえるが、突如訪れた混乱に思考が対処しきれず、音にならぬ声を漏らしながら、ただ空しく口をぱくぱくと動かすのがやっとだ。
風間はそんな千姫の様子を一瞥すると、すぐに視線を外して、千姫の頭越しについと遠くへと視線を送った。色鮮やかな着物に身を包んだ彼女が消えた廊下の奥へとそれが辿り着いたのか、ああ、と抑揚のない、しかし何処か納得したような声が聞こえたかと思うと、風間の視線は千姫へと戻され、交わった先で千姫は思わず一度大きく目を瞬いた。

「ならおまえも着ればいい」

「え?」

呆れたように吐き出した風間の言葉に、ふいをつかれ千姫は思わず声を漏らす。
どうやら風間の視線は消え行く彼女の残像を捕らえたようで、そこから聡く読み取った状況から出された言葉に、思わず息を飲み込んだ。

(だからこの男にだけは会いたくなかったのにっ!!)

たまに心が読めるのではないかと疑うほどの洞察力に、これではすぐに核心に辿り着かれてしまいそうだ。

「べ、別に、私はっ……」

「なんだ。一人で着物も着れぬと言うのか。なら、俺が着せてやろうか?」

反応に困り口ごもる千姫に、風間はまた呆れたような視線を投げると、小さく息を吐いた。本来なら相手にせずにこの場を立ち去るのが得策だとは思うのだが、まるで馬鹿にされたようなその台詞に、つい反論せずにはいられずに思わず口を開く。

「わ、私だって着物くらい一人で着られるわっ」

馬鹿にしないで、と千姫が顔を真っ赤にして抗議をすると、風間は不思議そうにゆっくりと腕を組んだ。

「では。おまえはあの女の何が羨ましかったというのだ」

静かに紡ぎだされた風間の言葉の中に、あの女、と千鶴を指す言葉を見つけ、千姫はやはり風間は自分が誰に対して吐いた言葉だという事に気づいていたのか、と観念したように溜息を吐くと、仕方ないか、と小さく呟いて、渋々と口を開いた。

「……確かに、千鶴ちゃんすごく着物似あってて綺麗だった」

遊び半分に着せられた舞妓の衣装は、可愛らしい彼女の魅力を引き立てていた。君菊のように迫力のある美人という風ではなかったが、彼女の持つ清楚さが、また別の美しさを引き出していたのは事実だ。
だが、自分が彼女を思わず羨んだのは、その綺麗な着物ではなくてその先の。

「でも、その後、見せに行って来るね、って笑った顔がすごく可愛くて、ああ誰か想う人に一番に見せたいんだなあって思ったら、それがすごく可愛くて」

(羨ましかったなんて)

一度聞かれてしまった羨望の言葉は、二度目は音にする事を憚られた。
無意識ですらつい感情が乗ってしまったそれは、意識下で発したらどう聞こえてしまうかわからなく、特にこの男の前では言いたくないな、と本能がそれを制したのだ。

「……なるほどな」

千姫の告白に静かに耳を傾けていた風間は、納得したとばかりに小さく息を吐き出した。
視線をもう一度千鶴の消え去った廊下へと向けると、それをゆるりと千姫へと戻す。

「それで。おまえは誰に見せたいと願ったんだ?」

「?!」

風間の言葉に千姫は弾かれるように顔を上げると、信じられないという顔で風間を見返した。
ああだからやっぱり会話などせずにこの場を早く立ち去ってしまえばよかったのだ、と決して役に立たない後悔の念ばかりが頭に浮かぶが、もう後の祭りだ。

「羨ましいと思ったという事は、誰かの顔が浮かんだのであろう?」

「!!!!」

にやりと笑った風間の顔に、千姫は言葉を失った。

(ああだからこの男は!!!)

無関心を装って話を聞いていたのは全て演技だったというのか、と千姫は悔しそうに唇を噛んだ。
最初から全てを見透かしていたのかと思うと、やはり喰えない男に千姫は顔を真っ赤にして風間を正面から睨みつける。

「あ、あなたではない事は確かですっ!!」

(ああだからやっぱりっ!!)

意識した上で紡ぐ言葉には、秘めていた何かが宿ってしまう。
否定した言葉に何の効力もない事は、発した千姫が一番わかっていた事だ。
今発した否定の言葉は、まるで誘導尋問にでもひっかかったかのように、誰かを思い浮かべていたという肯定の言葉を導き出しただけで、この状況を悪くしかしない。

「そうか」

「!!」

穏やかに笑う風間の顔があまりにも楽しそうで、千姫はくるりと勢い良く踵を返した。
背後でくつくつと笑う風間の笑い声が耳に付いて、それが千姫の耳を熱くさせる。

(だから会いたくなかったのにっ)

千鶴を見送った後、一番最初に頭に浮かんだあの男になど。


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あきゅろす。
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