薄桜鬼小説
影踏み鬼(風間×千鶴)【アンケ6位作品】
鬼さんこちら、手のなる方へ。
聞いた事などないはずの童歌が、耳の奥で聞こえた気がした。


影踏み鬼


 たまたま天気が良かったせいか、今別れを告げたばかりの小さな体から黒い影がすっと伸び、思わずそれを踏みしめた。
影の主はそれに気づかず歩き続けるので、黒い影はすぐに自分の足の下からするりとすり抜け、風間はつい自分の目的も忘れ釣られる様に移動した影を追いまた踏みしめる。

「……」

一歩、また一歩と影を追いながら、他人の影を見たのはいつぶりであろうか?と風間は動く千鶴の影を踏みながら追い続けふと考える。
数秒思考を巡らせた後辿り着いた答えは至極簡単なもので、答えは否。今まで生きてきて一度たりとも他人の影など気にした事などあった例はなく、その理由もいたって単純なものだ。

人の後ろを歩く事をしなかった。
下を向いて歩く事をしなかった。

別に誰かの背中を追って歩むような人生も、面を上げられずに日陰を生きるような人生も送ってきていないのだから当然と言えば当然だが、と風間は小さく息を吐き、まるで子供が遊びに夢中になるように、また動く千鶴の影を右足で踏んだ。
生活する中でふと何かに気づいてしまった瞬間に、今まで大して気にも留めていなかったどうでもいい事がある日を境に物凄く重要な事に変化してしまうように、と言ったら大袈裟だが、一度千鶴の影を踏んでしまったら、なぜだかそれを止めるなどという考えが自分の中の選択肢から消えてしまい、自分の歩幅より随分と小さく動くそれを追う事は想像よりも遥かに至難の業ではあったが、風間は影を踏み忘れないように注意を払って歩みを進める。

(ん?)

こんなにも歩幅が違っていたのか、と風間が何度目かの右足を慎重に前に出した時、影が来ると予想した着地地点にその姿を見つけられず、風間は慌てて元の影の位置へと足を納めた。ふと見ると、今までぴょこぴょこと動いていた影はその動きを止めており、何事かと思わず眉根を上げて、釣られる様に前方へと視線を上げた。
普段より低い視線で捉えた千鶴の視線は、さも不思議そうに自分へと向けられていて、風間は思わず居住まいを正すように、少し屈んでいた体をすっと伸ばす。

「どうかしたのか?」

まるで立ち止まった千鶴のその行動の方が解せないとでも言いたげな風間の言葉に、千鶴は少し困惑したようにその瞳を揺らすと、

「ええと、風間さんこそどうされたんですか?」

と、大きな瞳を更に大きくして風間を見上げた。

(俺が?……ああ)

なるほどな、と風間は胸中で納得したように相槌を打つと、未だ不思議そうに自分を見上げる千鶴へと視線を返す。おかしな行動を取っているのは突如歩みを止めた千鶴ではなく、新選組の面影残るこの場所を立ち去り難いと言った千鶴を待つでもなく、一足先に故郷に帰ると言ったはずの自分が、未だこの場所に留まっている事の方なのだ。

(確かに)

なぜ自分は別段用事があるわけでもないこの土地を去らずにいるのだろうかと風間が自問に眉間に皺を寄せると、自分の足元に伸びる千鶴の影が視界の端に映り、思わず目を留める。

「……おまえの影を追っていた」

そういえばそうだったな、と風間は一人納得し、千鶴の影を見つめた視線はそのままに、右手で顎をするりと撫ぜた。ちょうど立ち去ろうとしたあの瞬間、千鶴の影が何故だか自分の目を奪い、思わずそれを踏んだ事から今の自分の行動は発していたのだと、その起源を思い出し、自分ながら子供くさいなと風間には珍しく自嘲気味にふっと口許を緩ませる。

影ですか?と千鶴はまた不思議そうな顔をして返したが、風間がそれに対して特に返事を返さないでいると、その視線を追うように千鶴は自身の視線も地面へと向け、自分の影が風間の足の下にある事を見ると妙に納得したように頷いて、

「なんだか、影踏み鬼みたいですね」

とにっこりと笑った。

「?」

(……ああ、そういえば前に確か)

千鶴の口から出た言葉に風間は静かに視線を上げると、昔そんな話をしていたな、と以前千鶴から聞いた話を思い出した。


******


 新選組の後を追い始めて数日が経った頃。今までの経緯を考えれば無理もないと思っていた千鶴の自分に対する警戒心が少し薄れてきたのか、移動中に少しずつ会話が増えたその内の一つに。

「今日はきっと影踏み鬼をしたら楽しそうですね」

前振りもなく唐突に、自分の横を少し遅れて歩く千鶴が弾んだ声で言った言葉に、風間は興味惹かれて視線を返す。
千鶴との会話を弾まそうだとかそんな気を利かせたわけではなく、ただ単純に、耳慣れぬ言葉に興味を覚えたのだ。

「何だ?それは」

「あ、ええと……」

今までこれといって弾んだ会話があったわけでもなく、千鶴にしてみればいい天気にただ口をついて出た独り言のつもりであったかもしれない言葉に、まさか質問で返されるとは予想もしていなかったのか、千鶴は少し慌てたような素振りをした後言葉を詰まらせた。それでも風間が興味を示したのだからと健気に答えようとでもしているのか、千鶴はどう説明したものかと考えているようで、顎に人差し指を当てた姿勢で下を向くと、何かを閃いたように、あ、と小さく声をあげ、次の瞬間晴れた地面に伸びる風間の長い影の上にぴょんと両足で飛び乗った。

「?」

「子供の遊びなんですけど、一人鬼の役を決めて他の子は逃げるんです。それで鬼にこうやって影を踏まれると、その子は捕まって鬼の仲間になるんです……て、なんだか鬼が悪者みたいですね」

千鶴の突拍子もない行動に解せぬ表情をした風間に、幼き頃を思い出しているかのように楽しげに説明していた千鶴の表情は、説明を続ける間に次第に曇り、風間に悪いと思ったのか、はたまた己もそちら側にいるのだと、幼き頃は想像もしなかった現実を思い出し悲観したのか、青空に反して一瞬にして表情を曇らせた千鶴の頭に、風間はぽんと右手を置いた。

「?」

「別に鬼が人から忌み嫌われるのは今に始まった事ではない。それに本物の鬼は、影を踏んだくらいでは仲間にできぬ」

便利なものだな、と風間が皮肉めいた笑みを口許に浮かべ、頭に置いた手でくしゃりと千鶴の頭を撫でると、千鶴は今にも泣きそうだった表情をふわりと優しい笑みに変えた。


******


(なるほど)

「では、おまえはずっと俺に捕まったまま、逃げ出す事も叶わぬのだな」

千鶴が教えた遊び方では、影を踏まれた者は鬼の仲間になるはずであった。別に自分達はくだらぬ遊びを始めたわけではないが、新選組という庇護もなき今、千鶴を鬼の手から助けようと試みる仲間も存在するはずもなく、千鶴は逃げること叶わず一生自分に捕らわれたままなのだと思うと、風間はなぜだかそれが面白くて、自分でも理解しえぬ理由ではあったが、その頬に自然と笑みが浮かんだ。

「違いますよ」

風間が笑ったのを、楽しんでいると勘違いしたのか、千鶴もまるで遊びを楽しんでいるかのように嬉しそうに微笑むと、風間の足下にある自分の影を逃がすようにするりと抜き取った。

「!!……」

あれほど注意を払って逃さぬように捕らえてきた千鶴の影を、いともあっさりと引き抜かれて、風間はこうこうと太陽の照りつける自分の足元をしばらく呆然と見つめた後、ゆっくりと視線を上げ千鶴に合わせる。

「今度は私が鬼の番です。ほら、風間さん」

そこで千鶴は言葉を切って、未だ状況を把握しきれず怪訝そうに眉間を寄せる風間の視線を真正面から捉えてにっこりと笑った。

「逃げないと簡単に捕まっちゃいますよ」

そう言うが早いか千鶴は一度離れた風間の元に舞い戻るように、とん、と右足で風間の影を踏みしめた。

「……」

呆然と地面を見つめる風間の視線の先で、先ほどまで追い続けていた千鶴の影が、自分の浅はかな考えを笑うかのようにゆらりとゆらめく。

「……じゃあ次は俺が鬼か」

小さく吐き出した息と共に告げた言葉は、知らず風間の頬を緩ませた。
なぜ自分が千鶴の影を追い始めたのかというその理由はきっと。

「じゃあ私は逃げる番ですね」

目の前で無邪気に笑うこの影を、他の誰にも踏ませたくなかったのだ。


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あきゅろす。
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