薄桜鬼小説
追尾(土千/斎藤視点)08.11.23
 人の視線は、何を追うのか。


 平和という言葉を容易く使うべきでないという事は、自分が所属する部隊、及び日々めまぐるしく変わる情勢を考慮した上重々承知ではあるが、日常の中にこのような情景を目にする時は、ああここにも平和が存在するのだな、とつい考えてしまうものだ、と目の前で繰り広げられる土方と総司のやり取りを眺めながら一は思う。

「総司っ!!てめーはいつもいつもくだらねえ事してんじゃねえよっ!!」

土方の怒号が京の青空に響く。
その言葉の矛先を考えるとどうやら真剣なものではなさそうであったが、土方の背中に庇う彼女の存在を考えると、大方総司がまた何か彼女に悪戯でも仕掛けたのだろう、と一は小さく息を吐いた。
現に、自分がこの場へ足を向ける事になったのも、千鶴の小さな悲鳴が聞こえたからだ。

「いやだなあ、土方さん。ちょっとした可愛い悪戯じゃないですか。ねえ、千鶴ちゃん?」

怒鳴られた張本人である総司は土方の形相を気にした様子もなく、土方の後ろに隠れる千鶴をひょこりと覗き込む。

「えっ!あ、はいっ……あの、ちょっとびっくりしただけです」

何事かに気をとられていたのか、千鶴は突如自分の名前を呼ばれ驚いたように背筋をぴんと伸ばすと、まるで総司に同意を示すかのように慌てた様子で右手を顔の前で数回振る。
残念ながら千鶴の口からは土方が望んだ非難の言葉は発せられず、総司は得意気に土方に視線を返す。

「ほら、千鶴ちゃんはそんなに気にしてないじゃないですか」

「……千鶴。おまえがそうやってはっきりしねえから、総司がつけあがっていつまでたってもおまえをからかうのを止めねえんだぞ?」

反省の色無くにこにこと笑う総司にはあえて無視を決め込んで、目をぱちくりさせる千鶴に土方は大きく溜息を吐くと、どうしても味方が欲しかったのか、はたまた今日こそは総司を懲らしめてやりたかったのか真意はわからなかったが、土方の視線が傍らにいた一へと向けられた。

「斉藤っ。おまえからも総司に何か言ってやってくれっ」

埒があかぬと言わんばかりに土方は頭を振ると、一は名を呼ばれた土方を一瞥した後、千鶴と総司の顔に交互に視線を巡らすと、仕方がないな、と小さく息を吐いた後静かにその口を開く。

「……確かに、最近総司の悪戯によってか雪村の大声をよく聞く気がする。もし、雪村がそれで迷惑しているのだとしたら」

ちらりと移した視線の先で、千鶴がまたどこかに気が移っている様な表情をしていたので一は不思議に思い一旦そこで言葉を切った。
言葉の途中で突如訪れた沈黙に意識を取り戻したのか、千鶴の視線が弾かれるように一に合わされたので、一は数秒の間その動向を伺った後、

「控えるべきだ」

と、短く付け加えた。

「……という事だ、総司。ちったあ反省しろっ」

はあ、と大きく息を吐くと、土方は腕組をしたまま呆れた様子で目を伏せた。
何を言ってもどうせ聞かないんだろう、という諦めが言外に少し洩れているような気がし、副長の心労が空気を介して伝わってくるようだ。

「やだなあ、二人ともまるでこの子の父親みたいな事を言っちゃって。そんなに言うならこれからは控えてあげますよ、土方さん。でも、本人はそんなに困っていたみたいではないんですけどね。ねえ?千鶴ちゃん」

にこやかに総司が千鶴の名を呼ぶと、当の本人はとても驚いたように目を丸くして総司を見返した。返答をしようとしているのか口をぱくぱくさせていたが、なぜか彼女の言葉は音にはならず、総司はその様子をにやにやと笑いながら眺めていた。

「じゃあ、僕はもうこれでいいですよね?」

返事を返せない千鶴を満足気に一瞥すると、総司はまるで今までの騒動が他人事であったかのようにそう告げ、すぐにその場を後にした。
残された場には、土方の大きな溜息の音が響く。

「ったく。あいつは反省って言葉を知りやしねえからな」

去り行く総司の背中を視線で追いながら、誰に言うでもなく土方はそう小声でぼやくと、今度は千鶴の方へと向き直る。

「おまえも。総司みてえな奴には一度はっきり言ってやらねえと、なんの効果もねえんだぞ?」

叱る、と言うにはあまりにも優しい声音に、千鶴は何故だか照れた様に頬を赤くすると、

「いえ、あのほんとに大丈夫ですから!!多分、沖田さんは、私が寂しがってるんじゃないかって構ってくれているんだと思います」

と、千鶴は真っ直ぐに土方を見上げながら、両手を交差させるように胸の前で振って、土方の言葉を否定してみせた。

「……?」

一は千鶴の所作に何か違和感を感じたような気がして、その場を立ち去るのを止め千鶴の動向に目を瞠った。
明らかに先ほどまでとは態度が違うような気がしたのだが、それが何故に訪れた変化なのか明白な理由が浮かんでこない。

「それに、私が言うべき事は、もう土方さんが仰ってくださいましたから」

柔らかな笑みを浮かべて千鶴がそう告げると、さすがの土方もこれ以上言うのを憚られたのか、眉間に寄せていた皺を緩めると、

「ったく。だからおまえは甘いんだよ」

と、千鶴に笑みを返した。

(……)

「副長。ではこれで失礼します」

一は感じた違和感に答えを見つけることは出来なかったが、どうやらこの一件に片がついたようなので、もうこの場にいる必要もなくなったなと、土方にそう告げると、総司が向かったのと同じ方向へと歩みを進めた。
廊下の角を曲がったところで、なぜかまだその場に留まっていた総司を一瞥すると、

「無自覚って、凄いよね」

と、総司が楽しそうな声音で言うものだから、一は何事かと足を止める。

「……どういう意味だ?」

一が静かな声音でそう問うと、話に乗ってきた事が嬉しかったのか、総司が楽しそうに頬に笑みを湛える。

「一君もおかしいと思わなかった?千鶴ちゃん、自分の事なのに話の最中上の空みたいだったでしょ?」

総司が指摘したそれは、一も気づき、そして疑問に思っていたことであった。
確かに話の中心であるはずの彼女は、自分の話題であるのにも関わらず、終始心ここにあらずと言った感じで常に反応が遅れていたように感じた。だがその違和感も総司が去った後にはまた別の物へと変わったのだが、自分はその答えを出せぬまま戻ってきたのだ。
どうしてかわからないが総司が知っているのだとしたら、その答えを知りたいと、一は続きを促すように無言で視線のみを総司へと返す。

「ああ、でもその理由はわからなかったんだ?」

一の視線を捉えて面白そうに笑うと、総司は数歩歩みを進めて、壁の向こうにまだいるであろう土方と千鶴を一度覗き込むと、確信したように一に向き直る。

「千鶴ちゃん、ずっと土方さんの事を見てたんだよ。だから僕等が話している時はまるで上の空だったってわけ」

「……」

なるほど、と一は総司の意見に胸中で同意を示す。
総司の言葉が真実だとすると、先ほど感じた全ての違和感に説明がつくようで一は一人合点がいったことに納得する。
自分達が話していた時に反応が遅れていたのは土方の背中に視線を送っていたからで、土方との会話ではそのズレがなかったのは、言わずもがな、視線を送る対象がその先にいたからだ。

「それにさ、千鶴ちゃんが大声をあげると必ず土方さんが最初に飛んでくるんだ」

「ああ。だからおまえは雪村にあんな事を言ったのか」

一が納得したように呟くと、総司も同意を示すように頷いた。
総司の言い分は、総司の悪戯に千鶴が悲鳴をあげると土方が飛んできて、彼女はそれを無意識に喜んでいるのだから別に千鶴に対しては悪いことはしていない、ということなのだろう。

「土方さんも、忙しいくせによくもまあ毎回駆けつけるよね」

ほんとは暇なのかな、と冗談めかして言う総司を見ながら、一は先ほどの総司の言葉を頭の中で反芻する。

(無自覚は怖い、か)

それは目の前の総司にも言えることではないのだろうか?と、一は総司の表情を盗み見る。
あの子からかうと面白いんだよね、といつか総司は言っていたが、総司が彼女に構う理由は本当にそれだけなのだろうか。
本人達すら気づかぬ気持ちに気づいた総司の視線の先には、一体何があるというのか。
人の視線が追う先には。

「……」

一はふいに気になって自分の後ろを振り返る。
角を曲がりきってしまっている為、残してきた二人の姿が見えるはずはなかったのだが、なんとなく、ただなんとなく振り返ってしまったのだ。

「……ねえ、一君は今なんで振り返ったの?」

虚をつかれたように放たれた総司の言葉に一は瞬時に鋭い視線を返すと、総司はそんな一の表情を面白そうに笑いながら眺めていた。

「別に。特に意味は無い」

短く言って一は視線を戻すと、この場を立ち去ろうと他に何も告げずに総司の前を横切ると、

「そうなんだ」

と、総司はまたも面白そうに笑った。

(別に何も)

振り返ったのはただなんとなく。
意志を持ったものでもはく、意味があるわけでもなかった。

「……」

だがもし人の視線が追う先に何かがあるのだとしたら。

「……それが何だと言うのだ」

一は誰に言うでもなく一人呟くと、廊下の奥の闇へと自分の身を滑り込ませた。

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