白紙の攻略本 Livimg real dimention 「直人、昨日、あれ見た?」 北王寺が直人に尋ねた。 直人はどきっとした。額が急に冷えた気がして、えも言えず、硬直してしまう。 「あれって?」 「ほら、特番やってただろ?」 北王寺はボールをネットにシュートする真似事をした。どうやら彼はテレビの話をしているらしい。 「ああ、それか。昨日はすぐ寝たから」 「ま、直人はバスケには興味なさそうだもんな。それより、今日これからどうする?帰り、どっか寄るか?最近新しく、近くにケーキ屋ができたみたいなのだが」 時刻は四時半。七時間目の授業が過ぎ終礼を終えたところである。 「遠慮。今日は妹が熱を出して大変」 「ああ、そういえば朝そんなことを言ってたな。じゃあ、早く帰らなきゃ」 北王寺は直人に背を向け手を軽く振り上げると、小さく手招きした。 「ごめん。途中でスーパーに寄って晩御飯のおかずを買う。先に帰っていて」 「そっか。残念だ。じゃあ、先に帰るわぁ」 北王寺が教室から姿を消すと、それにつられたかのように他の生徒も教室を後にした。 それもそうだ。最後に残れば教室の鍵閉じをしなければならない。 クラス人間の大半がいなくなった中、直人はまだ一人電子メールで母親と交渉をしていた。 おかずの他に米も買ってこい、というのは文字通り荷が重い。 「あ、あの。桜井君……」 直人は携帯電話に釘付けになっていた顔を上げた。 直人と目が合うやいなや、声の主は急に赤面した。 「えと……。み、みんな帰っちゃったよ。鍵……閉めなきゃ」 「あ、ごめん。えっと……眞田さん」 「名前、覚えてくれたんだ……。あ、も、もう二ヶ月だもんね。当たり前かぁ」 こそばゆそうに頬を掻きながら、眞田は微笑みを浮かべている。 「あれ?俺たちは小学校も中学校も一緒だったはず。確かに、一度も話さなかったけど」 「知ってたんだ。嬉しいな……」 「鍵は俺が閉める。眞田さんはもう帰っていい」 直人は眞田の開いた手から教室の鍵を取った。 「あの」 「何?」 「さっき、北王寺君との話を聞いてたの。妹さんが病気で大変だって。余計なお節介かもしれないけど、あの、だから、お手伝いできれば……」 存分、直人にしてみれば嬉しい申し出だった。 今日は両親ともに仕事で遅くなるらしく、料理を作るのも直人の仕事だった。 普段料理を作らない直人が実行すれば失敗など目に見えている。 さらに、眞田といえばクラスの女子の中でも家庭的なことで有名で、それでいてなおおしとやかである。 騒がしい妹の話相手にでもなってくれれば、非常に助かる。 「嬉しいけど、そんなの、眞田さんに悪い」 「いいの。えっと……」 眞田は何かを言おうとして、口をつぐんだ。 「しゅ、宿題!見せてもらえたら……」 「ぷっ……。それは立場が逆。勉強じゃ委員長に敵わない」 直人の笑みに、眞田も釣られて笑った。 〜 人参をかごに入れた眞田を、直人は横目で見ていた。 直人は少し嫌な顔をしてしまう。人参は苦手なのだ。 眞田は次々に、タイムセールで半額になったパック詰めの野菜をかごに投げ込む。同様に割り引かれた肉類は、豚肉一パックだけ。どうやら野菜炒めを作るらしい。 「眞田さん、あの」 「はい?」 「妹は野菜が苦手なんです」 「そうなの?……でも、大丈夫。私、腕によりをかけて野菜嫌いな人でも美味しく食べれるものを作るからっ」 異様に気合が入っている様子の眞田を止めることはできず、言葉を見失う。 少し経つ頃、直人はただ、費用の計算をしていた。 「眞田さん、少し予算オーバー」 「え、本当に?ごめんなさい、私、品定めに夢中で」 そう言って、眞田は豚肉をもとの位置に戻した。直人の顔が引きつる。 「……あいつが好きそうな料理ができそう」 直人は眞田に聞こえないようにぼそりと呟き、一つ溜め息を吐いた。 〜 一階建ての一軒家である直人の家のドアをくぐる直人の同学年の女子は、眞田が初めてだった。 小学生の中学年のころ、轢き逃げにあった眞田を、直人は一人で自分の家まで担ぎ、母親に救急車を呼んでもらったのだ。 そのときのクラスは別だったため、直人は彼女が誰なのか分からず、その後も知ろうとはしなかった。彼女の具合も、軽い捻挫程度だったので大した問題にならなかった。 六年生になり、クラスが一緒になって、初めて直人は彼女が同じ学校の生徒だと気付かされたが、声をかけることはなかった。 今更言い出して礼をもらうような恩着せがましさを見せたくなかったのはもちろんだが、それ以上に、誰からももてはやされるようになっていた彼女と、平凡な自分に、酷いギャップを感じてしまい話しかけることすら憚られたのだ。 中学も同じ学校だったが、同じクラスになることはなかった。 この頃になると、直人自身も彼女に対し特別な感情を抱かなくなっていた。 時によって風化した感情は、未だにそのままのようである。 「桜井君、どうしたの、難しい顔して。妹さん、元気みたいだからもう心配しなくてもいいんじゃないかな」 フライパンを片手に持った眞田は、穏やかな面持ちで、ソファに座ってノートの穴埋め作業をしている直人の動きのない顔を見ていた。 はっとして、直人は意味もないのに立ち上がった。 「なんでもない。それより、本当にありがとう。ただのクラスメイトなのに、こんなに親身になってくれて」 「いいよ、お礼なんて。これじゃ、足りないくらい」 「足りない?」 「いいの。桜井君、きっと覚えてないから」 直人は慌てて何かを言い出そうとして、途中で止めた。 やはり、今更言い出すのはどこかしっくりこない。 「できたよ。これは妹さんの分で、これが桜井君の分。フライパンにあるのはわけて食べてね」 「眞田さんの分は?」 「私?私は、用事が済んだら帰ろうと思ってたけど……」 「そんなの眞田さんに悪い。眞田さんが作ったんだから、せめて食べていきなよ」 「本当に?わ、私、遠慮……しないよ?」 「うん。もちろん、眞田さんが食べていくなら、の話」 「あ、お、お願いしたいくらいです」 眞田は喜ばしげに綻ぶと、テーブルの上に新しく皿を置いた。 〜 月が、隠れることなく白銀色に輝いている。 太陽の枷から抜け出した夜鳥たちが黒い空を羽ばたく。 食事を終え帰路についた眞田を駅まで見送った直人は、地元駅前商店街を抜け、黄色い電灯を渡るように自宅へ向かった。 夢を見た。 今日は夢を見るのか。 俺、夢に入りたいのか。 直人はぼそりと呟いた。 その時、直人は唐突に気が付いた。 夢の中で平松が言っていた言葉を思い出し、奇妙な心地が込み上げてきた。 「俺……夢を覚えている」 「それは君が選ばれたから」 「え」 直人の心臓が、貫かれ痛むように、強く博動した。 まさか、と口を動かす。 「平……松」 直人は顔を振り向かせずに言った。 「年上の人を呼び捨てだなんて、感心しないな」 「なんで」 「なに、私は案内をしにきただけだよ」 直人はそっと顔を振り向かせた。 黒い、ツバが顔を一周する帽子に、夢で見たそのままの衣服。 平松健吾その人が、現実に現れた。 「怖いのか?なら、逃げるかい?私はどこまでも君を追おう。現実で見失っても、夢でまた逢える」 「まさか……これも」 「これは夢ではない。君は確かに眞田笹菜と道中をともにし、寝入る妹のもとへ向かっている最中だった」 「俺はおかしくなったのか」 「思考を止めるな、選ばれた人間がそれでは困るんだ。もっと気丈にして欲しい」 「選ばれた?」 「そう、君は選ばれた。夢に選ばれたんだ。夢を解くための解答者にね」 「解答者……」 「混乱するのも無理はない。今何を話しても理解出来ないだろう。君は夢に慣れることから始めるべきだ」 「結果、俺はどうなる?」 「それすら今話しても理解出来ない。とりあえず、今日は君が夢の中で生き残れるようになるために、君の身支度をしよう。夢に入ったら、町の工場に来るんだ。そこで君に資金を渡す」 「また……あの夢を見るのか」 「……勘違いしてはいけない。君は、『あの夢しか見ていない』。では、また後で会おう」 平松は両手をポケットにつつっこんで、直人に背中を向けた。 彼が歩いて行く姿を、直人は震えた心持ちで眺め尽した。 〜 「えへへ……。『嬉しい』、だって。桜井君、笑ってくれた……。『気が利く』、『料理が上手い』、『いいお嫁さんになる』……。いっぱいほめられちゃった」 眞田は家まであと数分というところまで帰ってきていた。 体はいつもより疲れているが、どこか足取りは軽かった。 「私……もっともっと頑張らなくちゃ。もっと、桜井君のために頑張る。役に立ちたい」 不意に、眞田に眠気が襲った。ぐらつく足を踏みしめ、横の塀に手をつき踏ん張る。 「あ、あれ。少し体調が悪いのかな……。ふら……ついて……」 眞田の膝が崩れるように地に落ちた。 瞼が、重りを付けられたように重い。 「かえ……らな……きゃ……ぁ……」 眞田の体は完全に彼女の意識外に飛んだ。 路上で倒れた眞田の頬を照らす月は、間もなく雲に隠れ、街灯の光が一層明るくなった。 眞田の背後で、影が笑(え)む。 「直人……一人じゃ寂しいでしょ。彼女も連れていってあげる。……まぁこの娘に素質はないけれどね」 黒衣の淳は眞田に十字を切った。 [前へ][次へ] |