恋の往復切符




『負けたら、全身の生皮を剥がれるんだとさ』
『な、生皮……っ!?』
『今度の相手は、今まで負かしてきた相手の皮膚を、コレクションしてるらしい。虎や熊の毛皮みたいにね。それが何十枚と壁に貼り付けられてる部屋で打つんだぜ?』

 理解できねぇ趣味だよな、と言って愉しそうに笑った男は今、券売機で切符を買っている。
 白髪の後ろ姿を眺めながら、カイジは焦燥感に駆られるのを抑えることができなかった。

 福岡であるという、次の麻雀勝負。
 身の毛もよだつほどおぞましいその勝負に、たとえ勝って生き延びたとしても、この男は二度と、自分の前に姿を現さなくなるのではないか、と。

 赤木しげる。
 今や裏社会でその名を知らぬ者などいない、神懸かり的な強さを誇る博打打ち。
 その生き様に惚れ抜き、心の底から尊重しているからこそ、カイジの心にはいつも、ある不安がつきまとっていた。

 アカギはいつだって希求している。心焦がすような勝負の熱。
 カイジにも覚えのある渇望だからこそ、手に取るようにその心情がわかった。
 だからこその不安だった。
 食って、セックスして、寝る。三大欲求を満たすためだけの、ぬるま湯のような自分との時間は、研ぎ澄まされているアカギの生き方を摩耗させているように感じられた。

 探し求めていた勝負の熱に触れたら、こんな生ぬるい日常には、もう二度と戻ってこないかもしれない。

 今見ているのが最後の姿になるかもしれないと、次の賭場へ赴くアカギを見送るたび、カイジは思ってしまうのだ。


 それを考えたときにカイジを襲う、体を引き裂かれるような痛み。
 それは単純に、惚れた相手との別離という悲しみからきているものではない。
 男として博徒として尊敬しているアカギに見放されるということは、カイジにとって、自分の魂や生き方が否定されることとほぼ同義なのだ。

 かといってもちろん、アカギを止めたりはしないし、止めようなんて思ったこともない。
 ただ、こうして落ち着かない気持ちで背中を見送るのも、毎度毎度馬鹿の一つ覚えみたいにそうしている自分自身にもうんざりし、いい加減、ほとほと嫌気がさしてきていた。



「どうしたの」
 いつの間にか側に来ていたアカギに声をかけられ、カイジははっとする。
 アカギの手の中には、のぞみ号の乗車券と特急券が握られていて、片道だけのその切符が、カイジに下唇を食い締めさせる。

(くそっ……!!)

 カイジは財布の中を見る。
 万札が二枚に千円札が三枚と、小銭が少し。
 バイトで稼いだ金は日々のギャンブルで使い果たしてしまっているから貯金など当然無く、正真正銘、これがカイジにとっての全財産。

 握り潰すような強さで財布を握り締め、カイジは腹を決めた。
「おい」
 顔を上げて呼びかけると、静かな双眸がカイジを見る。
「例の麻雀、明日だって言ってたよな?」
「……そうだけど」
 アカギの返事を聞き、カイジはまっすぐに券売機へと向かう。
 ほぼ全財産である二万三千円を、惜しむことなく投入口に入れ、慣れない手つきで、時間をかけて画面を操作する。

 出てきた二枚の切符を手に振り返り、不審げな表情で待っているアカギの許へ戻る。
 そして、その胸に買いたての切符を押しつけながら、アカギの顔を見て挑むように言い放った。

「いいか、お前は必ず勝つっ……! そして、その切符使って、ここへ戻ってくるんだよっ……!」

 アカギはわずかに目を見開き、押し付けられている切符を見る。
 それは、博多から東京への切符。しかも乗車券は指定席で、乗車日付は明後日になっていた。

 しばらくの間、切符を黙って眺めたあと、アカギは口を開いた。
「あんた、この金……」
「そうだよっ……! これでオレはもう、月末まで文字通りの一文無しだっ……!」
 どこか胸を張るようにして宣言するカイジに、「馬鹿だな、あんた」と、アカギは可笑しそうに笑った。
「そうだっ……! オレは大馬鹿なんだっ……!」
 自棄のように言い返しながら、なぜか滲んできた視界のすべてで、カイジはアカギをしっかりと見据える。

 いつだってギリギリの生き方を望むお前にとって、オレと過ごす時間は、ひょっとすると枷となっているのかもしれない。
 それでも、オレはお前といたい。その枷で、繋ぎ止めておきたい。
 なぜならオレは、お前に惚れているから。

 そう、これは賭けだった。
 アカギが勝負に勝ち、なおかつ自分のところへ戻ってくること。
 そのふたつの可能性に、カイジは全財産を賭けたのだ。

 くつくつと喉を鳴らしながら、アカギは切符を受け取ると、上着のポケットに突っ込む。
 とりあえず突っぱねられなかったことに胸をなで下ろした途端、気が緩んだのか、カイジの目からぽたりと涙が落ちた。
 赤面し、慌てて目許を拭うカイジに、アカギは目を細める。
「……あんたのが先に、野垂れ死んだりして」
「うるせぇっ……! たった二、三日、飲まず食わずだって死にゃしねえよっ……!」
 カイジはアカギを睨むように見る。
「このギャンブルの結果を見届けるまでは、死んでたまるかっ……!!」
 そう啖呵を切るカイジの、強い光を宿すその瞳を、アカギもまた見返し、口許を撓めて静かに笑う。

 人々が足早に行き交っては通り過ぎていく中、新幹線の到着を予告するアナウンスで、カイジ一世一代の大博打は、幕を開けた。





[*前へ][次へ#]

31/52ページ

[戻る]