紙やすり 三十代くらいのアカカイ




「お前最近、丸くなったよなぁ」

 南郷の言葉に瞬きを繰り返したあと、アカギは自分の腹部に目線を落とした。
「そうですか? 自分じゃわからねぇな……」
「あぁいや、太ったって意味じゃなくて」
 南郷はそう言って苦笑いし、ビールをぐっと飲み干す。
「昔はもっとこう、尖ってただろ、お前。でも今は、なんか角が取れたっていうか」
 南郷の言葉に、今度はアカギは苦笑する番だった。
 似たようなことを、つい二、三日前に言われたばかりだったからだ。

『雰囲気がやわらかくなりましたよね』
 立ち寄った居酒屋で偶然再会した治は、カウンターの向こうでそう言って目許を和らげた。
 その時も、自分じゃわからない、というような返事をした覚えがある。
『人って、変わるものなんですよね。僕もあなたに出会って、変わることができました』
 そんな、知った風な口を利いて、やわらかく睫毛を伏せる治は、確かにアカギの知るあの実直な若者であることは間違いないのだが、記憶の中の彼とはどこか雰囲気が違っていた。

「お前、なに笑ってるんだよ?」
 訝しげな南郷に顔を覗かれ、アカギは首を横に振る。
「……いや、べつに」
 静かな笑みをかたどった口許にグラスを運ぶアカギに目を丸くしたあと、南郷もおおらかな笑みを見せた。
「人ってのは、変わるものなんだなぁ」






「おい。起きろ、アカギ」
「……ん」
 体を揺さぶられて、アカギは薄く目を開いた。
 焦点のぼやける視界には、むさ苦しい長髪の男が映っている。
「こんなとこで寝たら風邪ひくぞ。寝るならちゃんと布団入れよ」
 母親みたいにぶつくさとぼやきながら、男はなんとか自分を起こさせようと四苦八苦している。
 その姿を寝ぼけ眼でぼんやりと見て、アカギはふっと笑った。

 角が取れちまったのは、きっとこの人といたせいだろう。

「紙やすり」
 ぼそりと呟くと、男は「あぁ?」と不機嫌そうに言った。
「棒でも金属でもなく、『紙』ってのがミソなんだ」
「お前、寝ぼけてるだろ?」
 不審げな声を聞いて、アカギはくくくっと喉を鳴らして笑う。
 そして、無理やり男を座らせてその膝の上に頭を乗せれば、男は呆れたようにため息をついた。
「くそ……知らねぇからなっ! そのアホみたいにダセぇスーツも、起きたらきっと、皺だらけになっちまってるぞっ……!」
 散々悪態をつきながら、それでも自分の頭を床に落とさない、そういうところに摩耗されたんだと、アカギは笑ったまま目を瞑った。


 薄くて、ぺらぺらしていて、頼りない。
 だけど手にやわらかく、ほんのすこしずつでも確実に、鋭い棘も丸くしてゆく、紙やすり。






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