へべれけ カイジが酔って吐く話 嘔吐注意



 定職にもつかず毎日まいにちバイト三昧、貯金はゼロだが借金は掃いて棄てたいぐらいある。バイト代はもれなくギャンブルに消える。勝つことより負けることの方が圧倒的に多い。勝てるのは、どうしても負けられない勝負のときだけ。なのに、どうしても足を洗えない。

「畜生っ! オレの人生って……何なんだよっ……」

 カイジは一気に干したビールグラスを、乾いた音をたててテーブルに置いた。

「答えろっ、アカギっ……!!」

 酔って盛大に絡むカイジの質問を、アカギはあっさりシカトした。

 とある居酒屋で、アカギはカイジと飲んでいた。
 もちろん、飲み代はすべてアカギ持ちである。

「おい、てめ、なに無視くれてんだっ……!! 年下のくせにっ……!」
 その年下に奢ってもらっておきながら、あろうことか箸でアカギを指すなどという失礼極まりない行動を平気でしている。

 酔ったカイジの感情は目まぐるしく変わる。
 今日だって、つい先ほどまで上機嫌だった癖に、次の瞬間にはもう怒っている。
 その様子をひそかに笑いながら眺めていたアカギは、機嫌をとるように空になったカイジのグラスにビールを注いだ。
 
「なんか、面白いなと思って」
「お前、馬鹿にしてるだろっ……」
 言葉の剣幕とは裏腹に、カイジは急にしょんぼりとうなだれた。
「なにが面白いんだよ、こんな人生。もう、ほんと、馬鹿げてるよ」
 馬鹿げてる。
 ぽつりとそう繰り返したきり、カイジは押し黙った。
 今日も今日とて、ギャンブルで失敗したらしい。

 もともとアカギはカイジに合わせて相槌をうったりするだけだったので、自然と会話は途切れる。
 周囲の喧騒が、まるで別の世界のことのように遠くから聞こえてくる。



 やがて、月が窓にかかったころ。 
 アカギはふいに、肩に重みを感じた。
 カイジがアカギの肩に額をつけてもたれかかってきたのだ。
 ほとんど眠りかけているらしく、目は閉じられていて、眉は情けなく下がっている。
 その頬にはいつのまにか涙の筋が伝っており、時折ぐすりと鼻をすする音が聞こえた。
 カイジの触れた部分だけ涙でじっとりと湿ったが、アカギはそのままにしておいてやった。




 飲んでいた店が閉店時間を迎え、ふたりは店を出た。
「ぁあ〜、ちくしょう、もういっけん!! もういっけんいくぞっ……!! アカギっ」
「はいはい」
 酔ってふらふらなカイジに肩を貸しながら、アカギはおざなりに返答する。

 カイジがとうに限界を越えていることは誰の目にも明らかだった。
 顔は燃えるように赤く、奢りだからと欲張って飲んだありとあらゆる酒の混ざったにおいが、身体中に染み付いている。

 カイジはアカギの適当な返事に不満を抱いたらしく、目をつり上げる。
「オレはなっ、まだまだ飲みたりねぇんだよっ……!! わかってんのか、この……」
 そこまで言って、カイジは急にぴたりと黙った。
 手のひらを口に押し付け、深く体を折ったカイジをアカギが覗きこむと、あんなに赤かった顔が一瞬で紙のように白くなっていた。

「吐……く……」

 アカギの肩がぴくりと揺れる。
 遺言のようにそれだけ言い残すと、カイジはアカギからふらりと離れた。
 一歩歩いては看板に体をぶつけ、また一歩歩いてはゴミ箱につまづく、というようなことを繰り返しながら人気のないところへと向かっていく後ろ姿を、アカギはゆっくり歩いて追う。




「カイジさん」
 薄暗いビルとビルの間でしゃがみこんでいるカイジの背中に、アカギは声をかける。
 返事のかわりに、呪われたような呻き声が聞こえてきた。
「うっ、く……きもち、わる……」
 どうやら吐きたいのに吐けない状態らしい。
 うんうん唸るカイジの隣に添うようにしゃがみこみ、アカギはカイジの背中を軽くさすってやる。
「カイジさん、吐きたい?」
 うっすら涙の膜の張った目でアカギを見て、カイジはそろそろと頷いた。

 すると、何を思ったか、アカギは口を塞いでいたカイジの手をつかんで外させ、顎に手をかけてカイジの顔を上向かせる。
 街明かりにてらてら光る、涙で濡れた顔を、アカギはじっと見つめ、

「……うっ!?」

 次の瞬間、アカギはカイジの唇を塞いだ。

 半分開いていた唇に舌を潜り込ませ、突然のことに抵抗も忘れているカイジの舌を軽く吸う。
 泥酔しているカイジの口内は熱く、溶けそうにとろんとしていた。
 その温度を奪うように頬の内側を舐め、歯列をなぞる。
「は……っ」
 官能的なキスにカイジの力が抜けてきた頃、アカギはカイジの舌を根本の辺りまですっぽりと口に入れた。
 そして、ひたすら強く吸う。
 吸う。
 吸う。
「んっ!! ぅぐっ……」
 カイジの声が切迫した色を帯びる。
 水音をたててアカギが唇を離すと同時に、カイジは胃の中のものを盛大にコンクリの上にぶちまけた。
 ぜいぜいと肩で息をするカイジの背中を、アカギは再びさすってやる。
 吐瀉物で口の中と周りがべたべたするが、カイジはそれどころではない。
 朦朧とした意識の中、口に手を当てたまま呆然とアカギの顔を見上げた。
「な、なに……を……」
 その顔は、酔いとは別の理由で朱に染まっている。
「ん? うまく吐けただろ?」
 ニヤリと笑うその顔に、カイジは靄がかった頭でぼうっと考える。

 なるほど、確かにうまく吐けた。ちょっと、すっきりした。
 こいつ、やっぱり頭いい! それに案外、いいやつだな……

 カイジはアカギをキラキラした目で見詰める。
 普段なら、外でキスなどしようものなら激昂するはずのカイジだが、酔いと気持ち悪さで判断能力が鈍っているのである。

 カイジはアカギにへらりと笑いかけ、礼を言おうと口を開く。
「アカ……ギ……」
 しかしそこで、カイジの意識はみるみる遠退き、ぶつりと途絶えた。




 夢うつつのような状態のカイジに、アカギは話しかける。
「カイジさん、大丈夫?」
「んー……、うん……」
 聞こえているのかいないのか。目を閉じたまま、ちいさく頷くカイジに、アカギはさらに続ける。
「まだ、具合悪そう。どこかで休まないと」
「んん……」
「近くに休める場所、あるけど、そこで休む?」
「ん……」
 こくり、と三度カイジが頷いた瞬間、アカギは悪漢そのものの顔でニヤリと笑った。
「じゃあ……決まりだな。カイジさん、立てる?」
「ん……」
 覚束ない足取りで立ち上がろうとするカイジに肩を貸しながら、アカギはこの酔っぱらいをどう料理してやろうかということに考えを巡らせていた。

 その後、ふたりは連れ立って何処へ消えたのか。
 それを知るものは、誰もいない。






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