都会の星空 アカギさん視点


 所々に雑草の生い茂る廃ビルの屋上は、熱気が体に纏わりつくようで、隣に座るカイジさんが「暑い」と顔を顰めた。
 ドブ川の生臭い匂いが、生ぬるい風に乗って立ちのぼってくる。

「今夜は幾らだった?」
「三百かな」
「まあまあだな。……それはそうとお前、打合せもしてねえのにいきなり交代すんの、やめろよな……勝てたから良かったものの」
 ぐちぐちと呟くカイジさんに、ビニール袋の中の缶ビールを差し出すと、たちどころに顔が綻ぶ。
「おっ、サンキュー」
 オレも自分の分の缶ビールを取り出し、ふたりしてプルタブを上げる。
「乾杯」
「おう」
 缶を差し出すと、カイジさんはちょっと照れたように、軽く触れ合わせてきた。

「この街も、もう長いな」
「ああ」
「そろそろ、出なくちゃいけねえかな」
「まあ、そこそこ荒稼ぎしちまったしね」
 するとカイジさんは、「ここ、嫌いじゃなかったんだけどなぁ」とぼやいて、ため息をついた。
「それじゃ、ここに腰を落ち着けてみる?」
 軽い調子で尋ねてみると、じっと睨みつけられた。
「馬鹿言え。もう面は割れちまってんだ……ここに長居したって、今日みたいな連中につけ回されるだけだろうが」

 一所で勝ちを積み上げると、次第にオレたちのことを知る連中が増え、そうそう勝負に乗ってこなくなる上、復讐や金目当ての闇討ちばかりが増える。
 今日だって、常宿のすぐ側で顔も知らない破落戸どもに襲われた。
 当然、返り討ちにしたけれども、もう宿まで知れ渡ってるってことが判明したおかげで、こんな廃ビルの屋上で酒宴をする羽目になっている。

 炭酸の苦味で喉を潤しながら、オレは街を見下ろす。
 夜も眠らぬドヤ街の灯りと、川向こうに連なる工場の光。
 カイジさんが嫌いじゃないと言うこの小さな工場街は、年齢も国籍も雑多な有象無象が犇きあっていて、オレたちのような流れ者もすんなり受け容れるけれども、深く干渉してはこない。
 この受容と無関心のバランスが、カイジさんにとっては居心地が良かったのだろうが、こんな生き方をしている以上、どんな街でも長居はできない。

「次、どこへ行く?」
 訊ねると、カイジさんは眉を寄せて唸った。
「……北の方がいい」
「暑いから?」
「そう」
 単純な理由に笑い、オレはビールの缶をコンクリートの上に置く。
「じゃあ、オレは南」
 ポケットから摘み出した百円玉を見せながら言うと、僅かに目を見開いたあと、カイジさんは鉄火打ちの顔つきになる。
「表? 裏?」
「表っ……!」
 弾き上げたコインは高く夜空を舞い、オレはそれを左手の甲で受ける。
 食い入るように見つめてくる大きな目の前で、ゆっくりとコインを隠す右手を剥がしていく。
「……!」
「ふふ……、南行き決定だな」
 そこに並ぶ三桁の数字を見たカイジさんは、あーとかうーとか呻きながら、薄汚れたコンクリートの上に倒れてしまう。
「ちくしょー……どうして何回やっても勝てねぇんだよっ……!」
 聞き分けのない子供のように、大の字になってしばらくジタジタしていたが、やがてピタリと動きを止めると、空を見上げてぽつりと呟いた。
「まぁ……行き先なんざ何処だっていいけどさ。お前となら……」
 コインを仕舞うのも忘れ、思わずカイジさんの顔を凝視する。
 だが、カイジさんはオレの視線にも、自分がなにを口走ったかにも気づかない様子で、目を閉じて深く息を吸ったり吐いたりしている。

 カイジさんと共に行動するようになって、約一年。
 この人と生きるなら退屈もすこしは消えるだろうと思ったから、オレはカイジさんと一緒にいることに賭けてみた訳だが、どうやらオレは賭けに勝ったようだ。
 博奕を打つときは勿論、こんなちょっとした日常の中でも、カイジさんはオレの知らなかった一面を次々と見せてくれるから、長く一緒にいてもまったく飽きることがない。

 羞恥心が強いくせに、今みたいに臆面もない台詞を、不意打ちでさらりと口にすること。
 意志の強い目を縁取る睫毛が、意外なほど濃く、隙間なく生え揃っていること。
 指を切断しているにも関わらず、存外手先が器用だってこと。
 心から充実しているとき、目を閉じて深呼吸する癖があること。

 ずっと長く見つめていて初めて、今まで見えていなかった星があることに気がつくかのような。
 それはまるで、

「……都会の星空だ」

 そんな風に人生を愉しむ方法があるんだってこと、カイジさんと旅に出るまで、オレは知らなかった。

 カイジさんは薄く目を開いて、怪訝そうな顔をする。
「都会? ……ここ、言うほど都会じゃねえだろ。寂れてるし」
 オレの目が星空じゃなく、カイジさんしか見てないってことに気づいていないので、カイジさんはオレの言葉を額面通りに受け取って、胡乱げに目を眇めている。

 指につまんだままだったコインをポケットに入れ、オレもカイジさんの真似をして、仰向けに寝転んでみる。
 倒れた拍子に頭がゴツンとぶつかって、「いって……!」と声を上げたカイジさんがオレを睨みつけてくる。
 すぐ近くで目が合うことの高揚に、オレは声をあげて笑ってしまった。

 この街で過ごす最後の夜が、とろけるように更けていく。






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