星合 ただの日常話

 
 目の覚めるような色彩の吹き流しを映し出す夕方のニュースを目にして初めて、カイジは今日が七夕だということに気づいた。
 しかし、もともとイベントごとには疎いカイジにとって、七夕は、
(今月に入ってまだ七日……、遠すぎんだろ給料日まで……)
 などと、ガッカリする程度のトピックでしかなかった。


 都内で開催された七夕まつりの映像を眺めながら、夜メシどうしよう、とぼんやり考える。
 先刻、急に転がり込んできた男が、卓袱台の向こうで悠々と紫煙を燻らせている。
「アカギ、お前なんか食いたいもんある?」
 問いかけると、
「カレー」
 即答するアカギに、カイジはあからさまに面倒臭そうな顔をした。
「えぇ……カレー……? 作るの意外に骨が折れるんだよなぁ……お前にはわかんねぇだろうけどさ……」
 ぶつくさと文句を垂れると、アカギは半眼になる。
「……あんたがなに食いたい、って訊くから、答えただけなんだけど」
 低くなった声に「わかったわかった、悪かった」とぞんざいに謝りながら、立ち上がってキッチンへ向かおうとしたカイジだったが、急にぴたりと足を止める。

『……今夜は、織姫と彦星はデートすることができるのでしょうか? それでは、天気図から見ていきましょう』

 天気予報が始まったのだ。
 明るい声でハキハキと喋る気象予報士を、カイジはじっと見つめる。
 髪、切ったのか。短いのも似合ってるけど、前の方が好きだったな。
 蒸し暑い黄昏時の不快指数を下げてくれるような、清楚な立ち姿を熱心に眺めていると、いきなりプツリとテレビの電源が落ちた。
「……あ?」
 眉を寄せて視線を巡らすと、アカギがリモコンを手にしているのが目に入る。
「おいテメェ、なに勝手なことしてんだよ」
「なんか急に腹減ってきた。余所見してねぇで、さっさとメシーー」
 そこまで言って、アカギは急に口を噤んだ。

 声がしたからだ。
 アカギの静かな声を掻き消すような、女の喘ぎ声が。

 思わず顔を見合わせてから、ふたりは声の出所である、部屋の壁を見る。
 隣人が、彼女か風俗嬢でも呼んでよろしくやっているらしい。
 ギシギシと規則正しいリズムでベッドの軋む音まで、安普請の薄い壁を通して筒抜けである。

 部屋いっぱいに響き渡るいかがわしい音に、ふたりはなんとなくシンとしてしまう。
 やがて、アカギがぼそりと呟いた。

「織姫と彦星も今ごろ」
「おい。やめろ」

 ついさっきテレビでさんざん『七夕』に関するコンテンツを見聞きしていたので、カイジも同じことを連想してしまったのだが、あまりにくだらないので敢えて口には出さなかったのだ。
 アカギはカイジといるとき、たまにこういう、しょうもないことを口にしたりする。

 嗜められたアカギはクク……、と喉を鳴らし、カイジの顔をじっと見る。

「対抗する? オレらも」
「あ?」

 思いきり眉を寄せるカイジに、アカギはすました顔で続ける。

「一年ぶりとまではいかねぇが、ずいぶんご無沙汰だったわけだし」
「アホかっ……! なにが悲しくて、セックスの音でお隣さんと張り合わなきゃいけねぇんだよ」
「カイジさんなら勝てると思うぜ。なにせ、声でかいから」
「ぬっ、抜かせっ……!! あれはっ、お前があんまりしつこいから……っ」

 勢い込んで捲し立てるカイジだったが、アカギの性悪な含み笑いに気づいてグッと言葉を飲み込む。

 だが、今度はあられもない嬌声とギシギシいう音が耳につくばかりで、カイジは犬のように唸りながら、頭をガシガシ掻いた。

「……決めた、外出るぞ外。あんなもん聞かされてたら、メシ食う気も失せちまう」
「外でやるの?」
「いい加減にしろっ、叩き出すぞお前っ……!」

 目を吊り上げたカイジの繰り出す蹴りを難なく躱しながら、アカギは愉しげに笑うのだった。




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