七つ下りの雨


 ーー吹降りになってきたな。

 滔々と流れ落ちる雨垂れを聞きながら、赤木は窓の方へ目を向ける。
 カーテンはぴったり閉じられているので、外の様子はわからない。
 だが、この時季の午後四時過ぎにしては異様なほど薄暗いということだけは、カーテン越しでもはっきりと感じ取れる。

 強風を伴った秋の雨は冷たい。安普請の室温も、瞬く間に下がっていく。
 なにか羽織った方がいいな、と赤木は思う。
 思うだけで、行動には移さない。
 自らが浅く腰掛けているベッドに横たわっている男に、掛布を投げてやることもしない。
 意味がないからだ。どうせすぐに剥ぎ取って、床にでも投げ捨てることになるのだから。

「……あんた、もっと理性的な人だと思ってた」
 叩きつける雨音に掻き消されそうな声で、ベッドの上の男が呟いた。
 赤木は男に目線を移す。
 
 男は素っ裸で、ぐったりとしていた。
 長い髪は乱れ、体は霰もなく汚れている。
 特に顔と下半身が酷く、半透明のぬらぬらしたもので濡れそぼり、てらてらと光っている。
 顔の方は、涙と鼻水でそんな悲惨な有様になっているようだが、下半身は当然、違うもので汚れているのだった。

 皺だらけのシーツの上で、男は力なく瞑目している。
 合意の上での行為。しかも初めてでもない癖に、まるで手篭めにされた生娘のように痛々しい姿だった。
 こんなむさ苦しい生娘がいて堪るかよ、と赤木は内心失笑するのだが、情を交わすときに限り、男は何故かいつも、赤木にそういう印象を与えるのであった。
 それは何度共寝しても初夜であるかのような反応を返す所為だろうか、それとも事後は一切の力が抜け落ちて指一本動かせなくなってしまう所為だろうか。

 どちらにしろ、これは自分の所為でもあると、赤木は自覚している。男がこうなってしまうまで責め立ててしまう自分も悪いのだ、と。
 男もそう思っているからこその、先のあの台詞なのだろう。

 しかし咎められたとて、容易に止められるものでもない。
 するりと男の隣に体を滑らせ、赤木は傷のある耳の側で囁く。
「理性的じゃなくて、幻滅したか」
 顔に張り付いた髪をゆっくりと掻き上げてやると、男は目を瞑ったままそっぽを向いた。
「そんなずるい質問には答えません」
 赤木は笑う。それはもう、答えてしまったに等しいのだ。
 そんなことにも気づかないとは、やはりこの男は、色事に関してずいぶんと初心なのだと言えよう。

 冷えた己の体に温もりを移すように、赤木は体温の高い男の体をやわやわと撫でる。
 冷たい手や指を這わせるたび、触れたところが驚いたように引き攣るのが面白くて、赤木は低く喉を鳴らしながら、若い肌の返す反応を愉しんだ。
 
 やや体を起こし、そっぽを向いたままの唇の端に口付ける。啄むように幾度か動かし、ちろりと舌先を触れさせると、諦めたようなため息とともに男が唇を薄く開いた。
「……カイジ」
「ん、っぅ……」
 すぐさま深くなる口付けに、堪らずといった風に零れ落ちるあえかな声。
 それは激しい雨音の中であっても、絡み合う舌から細かな震えとして響き、赤木に伝わる。

「ーー同じだな。この雨と」
 すべらかな内腿を掌全体で撫でてやりながら、赤木は呟く。
 微かに息を荒げ、潤んだ目で訝しげに見つめてくるカイジに、赤木は悪戯っぽく笑った。
「なかなか止まねぇってことさ」
 ーー七つ下りの雨と、四十過ぎての道楽は。
 そう続けようとして、赤木は止めた。
 
『道楽』という言葉尻だけを捕え、男がまた臍を曲げてしまうのではないかと思ったからだ。
 不惑をとうに超えて知り初めた、恋というものの味。
 溺れることさえ愉しみ、芯から耽っているという意味では、確かに道楽めいてはいるけれども、これは正真正銘、本気の恋なのだから、そんな風に無粋な捉え方をされるのはつまらない。

 だから赤木は喋るのをやめ、震えながら勃ち上がりつつある男の抜き身を握る。
 ぐちゃぐちゃに掻き乱され、次第に雨音と競うように激しくなっていく嬌声を、赤木はじっくりと愛でるように耳を澄ませる。

 秋の驟雨は、ただひたすらに沛然と降り続いている。




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