そのときは、彼をよろしく・3



「……い。おい、赤木」

 聞き慣れた声に名前を呼ばれ、眠りの底に沈んでいた意識が浮上する。
「そんなところでうたた寝したら風邪ひくぞ」
 ガキみたいに嗜められ、重い瞼を持ち上げる。

 俺は安楽椅子の上にいた。
 外からは虫の声。いつの間にか日が傾き、縁側から夕陽が射している。
 やはり夢だったかと、蛍光灯の眩しさに痛む目頭を揉む。起き抜けの怠い体に、路地裏の匂いの残滓が染みているような気がした。

 そこで、ふとした違和感に動きを止める。
 ほどなくして気づいたその正体に、自然と口角がつり上がった。
 眠る前、手中に握り込んでいた筈の証明写真が、忽然と消え失せていたのだ。
「……」
「……なんだ、急にニヤつきやがって。いい夢でも見たのかよ」
 不審げに訊ねられ、俺はゆっくりと目を閉じる。


 あの頃好きだった男に今の俺が出会って、ほんの束の間会話を交わして、あの小さな写真を渡した、たったそれだけのことが、果たしてどれほどの影響を過去に与えるのかはわからない。
 無数に枝分かれした道のたった一本を選び取ってきた結果、今ここにいるのだから、過ぎ去った過去など変えようがないのかもしれない。

 だが、もしも、どうしようもないクソガキだった頃の俺が、もう一度、男に会うことができたなら。
 あのままふたりが離れることがなかったなら。

 ……もし、そうなったとしたら、数日後の告別式に、男は顔を出してくれるだろうか。

 瞬く間に紗がかかり、やわらかく遠のいていく、懐かしい面影。
 生死すら不明なその男が、自分と同じ分だけ歳を重ねた姿を想像してみる。あの証明写真のような黒いスーツで、俺の顔を見に来る姿を。

 文字通り夢物語のような、突拍子もない可能性に心を浮き立たせながら、怪訝そうな顔の金光に向かって、俺は笑ったのだった。

「ああ、見たぜ。とびっきりの、いい夢をな」





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