夏風邪・6


 アパートの居間に戻った少年は、荷物を持ったまま、すぐにベッドへと駆け寄った。

 家主は相変わらず苦しげに唸っているが、息はある。
 すぐさまビニール袋の中からスポーツドリンクを取り出しながら、少年はカイジに言った。
「飲み物、買ってきた。飲む?」
 すると、カイジはうっすらと目を開き、少年を見てこくりと頷いた。

 少年は荷物を床に放り出すと、ヘッドボードの上に置いてあるコップを引っ掴んで流しへ向かい、中のぬるい水を排水口に捨てる。
 それからすぐにカイジの元へ戻り、空になったコップに、まだ冷たいスポーツドリンクをなみなみと注ぎ入れた。

「体、起こせる?」
 少年が問いかけると、カイジはまたこくりと頷き、咳をしながらゆっくりと起き上がった。
 少年がコップを手渡すと、カイジは喉を鳴らしながら、中身を一気に飲み干してしまう。
「もう一杯、いる?」
 訊くと、カイジが頷いたので、少年はカイジの持つコップに、スポーツドリンクを溢れるほど注いでやる。
 二杯目もあっという間に飲み干すと、カイジはようやく人心地ついたかのように、ホッと息を吐き出した。
「わざわざ……買ってきてくれたのか。ありがとな……」
 少年を見て、カイジは微かに口角を上げる。
「もう、いらないの?」
 ペットボトルを見せながら少年が問うと、カイジは緩く頷き、ふたたびベッドに潜り込んでしまう。

 目を瞑り、たったひとりで体の辛さに耐え始めるカイジを見て、少年の口が自然に動き、言葉を紡いだ。

「オレは、なにをすればいい? なにができる? あんたは、なにが欲しいんだ?」

 その声はとても切実な響きを帯びていたが、カイジからの反応はない。
 少年はぐっと唇を噛んでから、さらに言葉を重ねる。

「なぁ……教えてくれ。オレは……、あんたと、ずっとーー」

 呻くように少年が呟いた、そのとき。
 カイジの瞼がうっすらと開き、熱に潤んだ黒い瞳が、少年の顔を捉えた。

「なんて顔……してんだよ。お前」

 音のない声でそう言って、カイジは荒い息を吐き出しながら笑う。
 布団の下から伸びてきた無骨な手に頭を撫でられ、少年の口から、また言葉が溢れ出た。

「カ……イ、ーー」

 その声はごく小さく、最後の方は掠れて消えてしまったけれど、それは確かに、少年が初めてカイジの名前を呼んだ瞬間だった。


 果たして、その声は届いたのか否か。
 カイジは力尽きるように瞼を下ろすと、今度こそ深い眠りに沈み込んでしまった。
 もう、いくら呼びかけても、返事は返ってこなさそうだ。

 少年はため息をついたが、仕方なく床の上のビニール袋を探り、ひとつひとつの商品を検分し始める。
 そして、冷えピタの箱を開封すると、説明書きに従って、中のシートをカイジの額に、そっと貼り付けた。

 それから、『体をあったかくして、よく眠らせること』という佐原のアドバイスを思い出し、起こさぬよう注意を払いながら、カイジの隣に潜り込む。

 至近距離で向かい合い、眉を寄せて眠る想い人の痛々しい寝顔を見守りながら、汗に湿った長い髪を、少年はずっと、撫で続けていた。





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