ごほうび(※18禁)・3
バイト上がり、しげるの打っている雀荘へと向かう途中、前方から歩いてくる白い姿を見つけ、カイジは声をかけた。
「よぉ。もう終わったのか? 早かったな」
のんびりとそう言うと、しげるは黙ってひとつ、頷いた。
しげるが隣に来るのを待って、一緒に帰路を歩き始める。
春の陽気に誘われ、徐々にやわらかな緑の葉を芽吹かせつつある街路樹の下、ふたり並んで歩く。
「で、どうだったんだよ? 今日の麻雀は」
歩きながらカイジが尋ねると、しげるは退屈そうに、
「べつに……たいしたことなかった」
と呟く。
相当フラストレーションが溜まってやがるなと、カイジはその横顔を眺めながら思う。
ここ最近、しげるはどうもそわそわして、苛立っているように見えた。
ヒトより野生の動物の方にその性質が近いであろうしげるは、季節や気候の変化もきっと他人より敏感に察知し、心と体が反応してしまうのだろうと、カイジは常々、そう思っている。
穏やかな春の日に不釣り合いな凶相が可笑しく、しげるにバレぬよう顔を背け、カイジはこっそり、笑みを漏らした。
「そうだ。これ、食おうぜ」
手に提げたビニール袋の中をガサゴソと探り、カイジが取り出したのは、油の染みた包み紙に包まれた、一個のメンチカツ。
「腹減ってるだろ? その……金なくて一個しか買って来られなかったから、半分ずつ食おうぜ」
きまり悪そうに言いながら、カイジはメンチカツをしげるに差し出す。
「お前、先に食えよ」
オレはいい……あんたが食べなよ。
そう断ろうとしたしげるだったが、鼻先を掠める香ばしい香りに食欲を刺激されたように、口を噤んだ。
「……いいの?」
しげるが念を押すと、カイジはコクリと頷き、
「あ! ちゃんと半分残せよっ……!」
慌てたように釘を刺す。
「わかってるって。……それじゃ、遠慮なく」
しげるはカイジの手からメンチカツを受け取ると、茶色い衣にザクリと歯を立てた。
まだ、ほんのりとあたたかい。揚げ油と肉の旨みがじゅわっと口いっぱいに溢れ出て、しげるは自分がひどく腹を空かせていたことに、このとき初めて気がついた。
黙々とメンチカツを食べ進めるしげるの隣で、カイジは大欠伸をする。
なんだか眠気を誘われる日だ。こんな日は、どこにも出かけずひたすら春眠を貪るのもいいな……
なんてことを考えながらまったり歩いていると、しげるが半月型になったメンチカツを、カイジの前にずいと突き出してきた。
「旨かったか?」
カイジが訊くと、しげるは口をもぐもぐさせながら頷く。
そりゃ良かった、と言いながら、カイジも受け取ったメンチカツに、意気揚々とかぶりついた。
コンビニの揚げ物というのは、なかなかどうして、馬鹿にできない。
といっても、時間が経って油が古くなったものはとても食べられたものじゃないから、カイジは揚げ物だけは廃棄を貰わず、なるべく揚げたてを買うことにしている。
給料日前の財布には、たったの百五十円でも痛い出費ではあるけれども、だからこそよりいっそう、この小さな贅沢(?)が味わい深くなるというものだ。
サクサクの衣の下に、ぎっしりと詰まった合挽き肉の、幸せな厚み。
一口一口、ゆっくりと噛みしめて堪能しつつ、カイジはしみじみと呟いた。
「ビール、飲みてぇな……」
当然、そんなものを買う余裕など持ち合わせていない。
ただ、心の底からの願望が、口からこぼれ出ただけであった。
惜しむようにちびちびと食べ進めていたメンチカツの、最後の一口を頬張って、包み紙を手の中でくしゃりと丸めながら、カイジはしげるを見る。
すると、メンチカツに夢中で気がつかなかったが、ずっと自分の方を見ていたらしいしげると目が合って、カイジはビクッとした。
「ど、どうした……?」
カイジは、しげるの視線が油に濡れた自分の唇に注がれていることに、気づいていない。
じっと顔を見つめられてどぎまぎするカイジの腕を、しげるはいきなり、むんずと掴んだ。
「ねぇカイジさん。オレ、『おあずけ』頑張ったよ」
……『おあずけ』?
うつむき加減でボソリと呟かれたしげるの言葉に、カイジは一瞬眉を寄せ、そういえば家出る前にそんなやり取りしたっけ、と思い出す。
しげるは淡々と続ける。
「……だからさ。ごほうび、ちょうだい?」
……『ごほうび』?
なんだそれはと訊こうとして、カイジはどきりとして固まった。
顔を上げたしげるの面差しが、睦言を交わすときの熱っぽさを孕んでいたからだ。
にわかに気温が上がった気がして、カイジの額にじわりと汗が滲む。
「ご、ごほうび、って……?」
ごくりと唾を飲み、カイジはおそるおそる問いかける。
立ち尽くすふたりの傍らには、ちょうどちいさな公園があって、そこで遊ぶ子供たちの明るい声が、のどかに響いていた。
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