真昼の月 短文



 カイジがシャワーを浴びて戻ると、少年はベッドの上に体を起こしていた。
 裸のまま三角に折って抱えた膝に、片頬を押し付けている。
 十日余りの月のような瞼を伏せ、うすく開いた唇から微かな吐息を零して、少年が座ったまま眠っているのか、それとも起きているのか、判別がつかなくてカイジは目を眇めた。

 足音を立てずにそっと床を踏んで近づいても、少年は動かない。
 乱れたシーツの上、背中を丸くして白い足を抱える姿が、窓越しに射し込む午後の陽の光に照らされて眩しい。
 まるで青空に貼り付いた真昼の月のように、どこか場違いで不健全な姿に、カイジは思わず目を逸らしたくなる。

 反応がないということは、眠っているということなのだろう。
 そう判断して、カイジは少年の方を碌に見もしないまま、ベッドの側を離れようとした。

 瞬間、
 するりと、
 手首に、冷たいものが絡みつく感触。

 弾かれたようにカイジが少年の方を見ると、膝に頬を押し付けたまま、伏せられていたはずの鋭い双眸がカイジを射抜いていた。

 清潔な白い頬に、細い髪が軽くかかっている。
 緩く上がった口角。うっすらと淡い笑みに、目が離せなくなる。
 少年はこんな風に、曖昧にしか笑わない。それが言いようもなく心を揺さぶる。ほんの表層しか見えないその心の奥をもっと覗きたくて、不安に似た気持ちのまま、カイジは引き込まれるように少年の瞳に見入ってしまう。

 外からのわずかな光に透け、その瞳はまるで硝子玉のようだった。透明度が高く、それでいて、底を見通せないほど深い色。

「……どこへ行くの?」
 ふいに、薄い唇の隙間から言葉が漏れ出した。
 なめらかなテノール。大人になりきらない、独特な高さの声。
 カイジが黙っていると、切れ長の目がスッと細まる。
「あんたを、待ってたんだよ」
 その言葉とともに掴まれていた手首を緩く引かれ、カイジはそのままベッドの上に引き倒される。
 聞き慣れたスプリングの軋む音とともに、わずかに背中が跳ねた。

 よく晴れた真夏の、今は午下り。
 少年がこの部屋にやって来てから、ずっとカーテンは開けっ放しだ。
 外から誰かに見られることを恐れ、カイジは閉じようと幾度か試みたのだが、少年がそれを許さなかった。

 もう八月も半ば。少年がこの部屋に入り浸るようになってから、すでに半月以上が経過している。
 誰かに見られてしまうのではないかとか、自分の体や表情を白日の下に晒すのが嫌だとか、カイジのそういう恐れや羞恥心は、茹だるような暑さの中どろどろに溶けきってしまった。

 ただ。
 覆い被さる若木のような体の艶めかしい白さには、カイジの目は未だ慣れることなく、見るたび眩んでしまう瞳を、逃げるようにそっと逸らす。

 真昼の月。
 少年が部屋にやって来てから、昼夜のべつ幕なしにずっと、夜にするようなことばかりしている。

 汗や汚れを洗い流したばかりの体を、飽きもせずまた暴かれていきながら、カイジの心に満ちるのは、不思議な気持ちだった。
 喩えるなら、月を地面に引き摺り下ろすような、圧倒的な罪悪感と、すこしの高揚感。
 自分よりずっと高いところにいて捉えどころのない存在を、こんな蒸し暑く狭い部屋の、薄汚れたシーツの上に縛りつけている。

 無論、それはカイジが望んだことではなく、少年自らの意思でそうしているのだ。そのことが余計に、妙な気分を掻き立てる。

 達観していて、なんに対しても冷めたような態度を崩さない少年が、自分のような八つも年上の男の体に欲情し、いつまでも手放そうとしない。
 この場違いで不健全なベッドの上で、少年は自分と同じ、野蛮な動物に成り下がるのだ。自らの意思で。

 ゾクリと肌が粟立って、でもそれはきっと肌を撫でる掌の冷たさのせいだけではない。
 そのことに少年も気づいたのか、獣のような吐息を吐き出す間に、ちょっと首を傾げた。
「珍しい」
 なにが、とカイジが問う前に、不思議な色の虹彩を閃かせ、
「あんた、なんでそんなに愉しそうなの?……やらしい」
 自ら落ちた真昼の月は、心から愉快そうにそう言って、その目を細めた。





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