AM3:00 アカカイ+佐原 バカップル




 バイトの休憩を終えたばかりの、いちばんかったるい時間帯。

 コンビニの店内に客の姿はなく、やる気のない動作でのろのろと雑誌の荷解きをしていた佐原は、ドアチャイムとともに入店してきた人物の姿を見て、思わず、うわぁ、と声を上げそうになった。
 こぼれ出そうになっていた大欠伸を一瞬で引っ込め、「いらっしゃいませ」の声掛けすらせず、あわよくば客に己の存在を認識されぬようにと、深々俯く。

 そうして熱心に雑誌の結束を解くフリなどしていたが、やはり、そううまくはいかない。
 狭い店内では佐原の存在など当然バレバレで、客はまっすぐ佐原の方へやってきて、無言で隣に立った。
 このまま気づかぬフリでやり過ごしてやろうかとも考えたが、隣からの無言のプレッシャーに押し潰されそうになったので、佐原は渋々顔を上げる。
「……どーも」
 ほとんど独り言のようにおざなりな挨拶は、白髪のシャープな顔つきの若い男に、あっさりと受け流された。
「あの人は?」
「休憩中っすよ」
「……そう」
 素っ気ないやりとりのあと、男はその場でラックの中の雑誌を眺め、週刊誌を手に取る。
 立ち読みでもしながら、『あの人』を待つつもりらしい。
「あ」
 男が手にした雑誌を見て、佐原は思わず声を上げてしまい、鋭い目に見られて訳もなく冷や汗を垂らす。
「あの、これ……最新号……」
 ちょうど手許にあった、結束を解いたばかりの冊子をおずおずと差し出せば、男はしばし眺めたあと、黙ってそれを受け取った。
 真新しい雑誌の頁を繰り始める男に、佐原はハッと我に返り、『しまった』と思う。
 これでは、どうぞここにいて下さいと自分から言っているようなものではないか。
 激しく後悔し、己の体に染みついた店員の性を憎んだが、今さら遅い。
 案の定、男は動く気配すら見せず、佐原は仕方なく、男の隣で仕事の続きを始めた。




 新商品を紹介する長閑な有線と、結束帯を切断するバチン、バチンという音だけがしばし、店内に響く。
 黙々と品出しを続けながら、佐原は興味本位で、退屈そうな男の横顔をチラチラと盗み見る。

 髪だけじゃなく、肌も抜けるように白い。だが決して女性的という訳ではなく、精悍な顔立ちと伸びやかな体躯はむしろ雄々しいと形容できる。
 ただ、纏う空気が明らかに尋常のそれではないので、男とか女とかいうよりも、まず本当に人間なのかどうかを真剣に疑ってしまう。野生の獣とか猛禽とか、そっちの方が近いのではと思えるほどだ。
 近寄りがたい雰囲気の男だが、なぜだか人の目を惹きつける。女だけでなく男にもモテそうな、他者には得難い不思議な魅力を放つ青年だった。

 己の横顔に送られる視線に気がついて、男の目が佐原を見る。
「……なに?」
「いや……」

 正直、邪魔なんで外出てもらってもいいっすか?

 ……などという本音はもちろん口には出せず、佐原は咄嗟に、ここにはいない共通の知り合いの名を呟いた。
「カ……、伊藤さんとは……」
 いつもの癖で『カイジさん』と言いかけたのを、咳払いして言い直す。
 男の前でその呼び方をするのは、なんとなく気が引けたのだ。
「?」
 瞬きもせず、静かに自分を注視する瞳に威圧され、わけもなく佐原は焦り、果てしなくどうでもいいことを口走ってしまう。

「その……あの人とは、うまくいってるんスか……?」

 なに聞いてんだオレ。
 佐原は泣きたくなる。
 意外な質問に軽く目を見開いたあと、男は緩く口角を持ち上げた。

「さぁね……あんたはどう思う?」

 知らねーよ、なんなんだそのすました顔は。
 アハハ、と返事にもならぬような引きつった笑いを返し、佐原は沈黙した。

 これ以上藪をつついたら、なにが出てくるかわからない。
 このごく短いやり取りだけで、すでに蛇以上に恐ろしいものを見たような気分がしている佐原は、もはや男と会話する気など完全に失せ、ただただ仕事に専念しようと心に決めた。
 そんな佐原を男も深追いはせず、また誌面へと目線を戻し、店の中をさっきと同じ沈黙が支配する。





 それから、佐原にとっては地獄の時間が過ぎていき、新刊の差し換えもほぼ完了したころ、相変わらずひとりしか客のいない店内に、休憩中だった店員ーー伊藤カイジが戻ってきた。
 天の助け、とその姿を見た佐原は一瞬思ったが、男とカイジがいわゆる恋仲であるという事実を思い出し、ひどい頭痛に見舞われる。

「いらっしゃーー……んだ、お前かよ」
 ぼそぼそと言いかけた言葉を途中で引っ込め、カイジはため息をついた。
「なにそれ? ずいぶん、ご挨拶じゃない」
 雑誌をラックに仕舞い、男はカイジに近づく。

「カイジさん、何時に上がるの?」
「六時……お前、飯は? どうせロクに食ってねえんだろ」
「まあね……終わったらなんか食わせてよ。あんたのうちで」
「えー……金払うならいいぜ」

 などと、心安いやりとりをするふたりの距離が異様なほど近く、完全に恋人同士がいちゃついているときのそれで、しかも当の本人たちはそれが当たり前のように平然としているので、佐原は(うわぁ……)と思いながらも、ついまじまじと観察してしまう。
 すると、白髪の男だけがその視線に気づき、佐原に向かってニヤリと笑った。
「カイジさん」
 男は口の横に手を当て、「なんだよ?」と無防備に近づいてきたカイジの耳に、なにごとかを吹き込む。
 すると、大きく目を見開いたカイジの顔が、みるみるうちに真っ赤に色づいてゆき、
「うわぁ……」
 今夜三度目の『うわぁ』を、佐原はつい、声に出してしまった。
 能面のような表情の佐原にハッとして、カイジはようやく二、三歩ほどアカギから離れる。
「な、なんだよその『うわぁ……』ってのは……」
「そこ、スケベな話禁止」
「なっ! なっなっ……」
「そう、悪かったね」
「〜〜!!」
 自分を蚊帳の外に進められる会話に、声にならない声を上げるカイジを、男は愉しげに眺めている。
 他者ではなかなかお目にかかれないであろうその表情に、佐原の口から、アハハ、と乾いた笑いが漏れる。

 おたくら、めちゃめちゃうまくいってるんスね。わかりきったこと聞いちゃって本当、申し訳ない。
 それはもう十分、うんざりするほどよっくわかりましたから、
「もー……とっとと帰ってくれませんかね? あんたら」
 ほとほと疲れ切ったような顔で吐き捨てられ、カイジはあわあわし始める。
「はぁ!? お、オレはバイト中だろっ……! コイツにだけ言えよっ……!!」
「後生ですから、『伊藤さん』。ふたり仲良くオレの前から消えて下さい」
「なっ……さ、佐原……っ」
「せっかくだし、厚意に甘えようぜ? カイジさん」
「お前は黙ってろっ……!!」
 
 バイト中であることも忘れ、客を挟んでやいのやいのと騒いでいたふたりの店員は、当然、後から店長の大目玉を喰らう羽目になるのだった。
 




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