拾う神・2

 ……拾う?
 
 カイジは怪訝な顔をして男を見る。
 男は朗らかに笑いながら、カイジをじっと見ている。
 その視線と、二人一緒の傘に入っているという事実、それに「拾ってやる」という発言を統合し、カイジはある結論を導き出した。

 軽く青ざめ、二、三歩あとじさって男から距離をとる。
「おいおい、どうして離れるんだ? 濡れるだろ」
 離れた分近づいてこようとする男を牽制するように、カイジは声を張った。
「あのっ……! タバコ貰っといてこんなこと言うのもアレなんですけど……!」
「なんだ?」
「オレ、男のツバメとか、そういうのは勘弁なんでっ……!」
「ツバメ?」
 男は面喰らったように目を見開くと、豪快に笑い出した。
「はははっ……! そんなんじゃねえよ、安心しろ」
 可笑しくてたまらない、という風に笑う男に、カイジは少しほっとする。

 しかし次の瞬間、男はカイジの想像の遥か斜め上のことを口にした。

「実はな、俺は神なんだ」

 カイジはぽかんと口をあけたまま固まった。
 そんなカイジにはお構いなしに、男は話を続ける。

「捨てる神あれば拾う神あり、っていうだろ」
「はぁ」
「その、拾う神、ってのが、俺だ」
「はぁ……」
「他の神連中が見放した、お前みたいなヤツを気紛れに拾うのが俺の役割なのさ」
「……」
「? だから、どうして離れようとするんだよ?」

 さっきよりも大きく距離をあけるカイジに、男は不思議そうに首を傾げる。

「宗教とか、そういうの間に合ってますんで……!」
 カイジのうさんくさそうな顔に、男はきょとんと瞬きしたあと、苦笑した。
「ま……そういう反応になるわな、大抵の人間は」

 男は顎に手を当ててなにかを考え込んでいたが、やがて、よし、と一声上げてカイジに問いかけた。
「お前、なにか欲しいものはあるか?」
「へ? か、金……」
 突然問いかけられ、カイジは馬鹿正直に答えてしまう。
 男はポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコを揉み消すとにんまり笑った。

「今から、俺が神だって証拠を見せてやる」

 言うが早いか、男はカイジの顎に手をかけ、あろうことか、その唇をカイジの唇に重ねてきた。

「……!?」

 カイジは驚愕し、慌てて逃げようとした。
 だがおかしなことに、体が石のように固まって一歩も動けない。

 それなのに、固く閉ざした唇を舌先でなぞられれば、カイジの意思とは裏腹に唇が勝手に開き、男の舌の侵入を許してしまう。

 男の口づけは狂暴なまでに激しかった。
 舌の根が痛むほど強く吸い上げられ、男の口内に引き込まれたあとは咀嚼するようになぶられる。
 男の口から舌を逃がそうとすると、仕置きを与えるように噛み付かれる。
 その噛み方も、甘噛みなどという生易しいものではない。
 歯形が付くほど強く噛まれ、噛み千切られるのではないかという恐怖にカイジが大人しくなると、男はようやく力を緩めて自分の噛んでいた箇所を労るように舐めてくる。
 歯列の表も裏も余すところなく舐め上げられ、唾液を奪いつくされると、今度は男の唾液をたっぷりと注がれる。

 カイジの口内を食らい尽くし、吐息すら飲み込もうとするような貪欲なキス。
 混ざり合った二人の唾液が、カイジの口の端からだらだらと零れ落ちて喉を伝う。


 次第に、カイジの体に異変が現れ始める。
 頭がぼうっとして、意識が遠のく。徐々に目の前が白くなってくる。
 苦しいが、ちゃんと息はできているから酸欠ではない。
 いくら経験の少ないカイジだって、ふつうのキスではこんな風にはならない。
 縦横無尽に口内を這い回る男の舌に、なにか大事なものが吸い取られていくような、そんな感覚。




 永遠のように長かった口づけは、不意に終わりを告げた。
「おっと」
 唇を離した途端、がくりと膝から崩れ落ちるカイジの体を、男は咄嗟に支えてやる。
 短くなったタバコが、カイジの指の間から水溜まりに落ちた。
「大丈夫かい、兄さん」
 カイジは男の腕にしがみつき、ぜえぜえと荒くなった息を整える。
 体が鉛のように重い。男の支えがなくてはまともに立ってすらいられないほどの激しい疲労感。
「てめぇ……! 何すん……」
 男を睨み付けようと顔を上げ、カイジは大きく目を見開いた。

 そこにいたのは、カイジと同じ年頃の、若い男だったのだ。
 服装と白髪は変わらないが、顔の皺がきれいさっぱり消えている。体躯も先ほどよりがっしりしていて、惚れ惚れとするような美丈夫がそこにいた。
 だが、その顔には初老の男の面影が確かにあり、同一人物だということが知れる。
 男は一瞬で若返ったのだ。そう考えるより他なかった。

 カイジは信じられないものを見るような目付きで男を見る。
「あ……んた、何、しやがった……?」
 男は肩を竦め、さっきより張りのある声で答える。
「対価をいただいたのさ。願いを叶えるための」
「対……価……?」
「あんたらの言うところの『お供えもん』だよ」
 男はすらすらと言葉を並べる。
「ロハでってわけにゃいかねぇだろ。崇め奉られるだけで願いを叶えるなんて綺麗事言う連中もいるが、俺に言わせりゃそんなのは古い考えだ」

 それにしても、と男は皺の消えた自分の顔をぺたぺた触る。
「お前さん、なかなか美味いな。こんなに若返るのは久々だ。ますます気に入った」
「……」
「まぁ……今のなら五千円ってとこかな」

 ヤバい。こいつは完全にヤバい。
 確かに、一瞬で若返る手品だか奇術だかは単純に凄いと思ったが、言っていることが意味不明だ。

 絶対に頭がおかしい。関わってはいけないタイプの人間。

 カイジは一刻も早く逃げ出そうと、ガクガク震える足で走り出そうとする。
 が、やはりままならず、二歩目で早々に足をもつれさせ、さっきと同じ水溜まりに突っ伏した。
「お前、なにやってんだ?」
「……」
 呑気な声にカチンときて、カイジは再び泥まみれになった顔をガバリと上げる。
「お前のせいだろうがっ……! このキチガイジジ……」
 言いかけた瞬間。
 強い突風が起こり、カイジの口になにかが飛んできてびたんと貼り付いた。
「!?」
 泡を食ったような顔でそれを剥ぎ取って、カイジは目を丸くした。
「……五千円札……」
 びしょ濡れの樋口一葉が、カイジに微笑みかけている。
 思わず顔を上げると、男が得意気な顔でカイジを見下ろしていた。

「神の力はすげぇだろ」
「……」

 樋口一葉と男を交互に見比べ、カイジは考え込む。

 偶然か? しかし、さっき男が口にした金額とぴったりの札が、このタイミングで、風に吹かれてやってくるなんて、そんな偶然があるだろうか。
 それに、さっきの若返りの術。
 あれにタネも仕掛けもないのだとしたら、この男、本当に神……

 の、わけはないとしても、なにかこう、特殊な力を持っているのではないか?




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