拾う神・3


 相変わらず言うことを聞かない脚でなんとか立ち上がるカイジに、男はニヤニヤ笑いながら問いかけた。
「どうだ? これで信じる気になったか?」
 だが、カイジは警戒心で強張った顔を崩さない。
「……確かに、あんたは只者じゃないかもしれない。でも、この程度じゃ、まだまだ信じるには足らねえ」
 男は眉を上げる。
「なんだよ、疑り深いな。なら、もっと大きい望みを叶えてやれば信じるのか?」
「そうだ」
 ニヤリと口端を上げるカイジに、男は楽しそうな顔をする。
「面白い……! 俺相手にたかろうなんて人間は初めてだ」
 男は生き生きした顔でカイジに近づく。
「で、なにが望みだ? なんでも叶えてやる」
「そうだな……じゃあまず、手始めに一億ほど……!」
「一億か……それなら、腕一本が相場だな」
 カイジはぴたりと固まった。
「腕一本って」
「え? 腕一本は腕一本だよ。読んで字のごとく」
 そう言って、男は懐から匕首を取り出してすらりと抜く。
 カイジは慌てふためいて男に怒鳴る。
「む、むむむ無理に決まってんだろっ……!」
「ん? 腕は駄目なのか? じゃあ脚を……」
「そういう問題じゃねぇ!」
 カイジの剣幕に、男は呆れた顔をする。
「お前な……リスクなしに大金せしめようなんて、そりゃあ図々しいぞ……」
「そ、それはわかってるけど、なんかもっと他にねえのかよ?」
 すると男は視線を斜め上へ投げて考える。
「んー……あとは、精気とか」
「せいき?」
「まぁ、簡単に言えばセックスするってことだ」
「もっと無理っ……! っていうか、なんでそんな物騒なもんばっかりなんだよ!」
「しょうがねえだろ。俺は賽銭だの、花だの、まんじゅうだのにまるで興味ねえんだから」
 そう言って眉を下げる男に、カイジはギリリと奥歯を噛み締める。

 こいつ、やっぱりただのヘンタイじゃねえか……!
 仮に、仮にだ。
 仮にこいつが本当に神様だったとしても、対価に体を捧げろなんて、とんでもない邪神だ。
 こんなヤツをあてにしようと一瞬でも考えた、オレがバカだった。
「付き合ってられるか」と吐き捨て、カイジは男に背を向けた。

 だが、男はカイジのあとをどこまでもどこまでもついてくる。
 走って撒こうとするも、男はいつの間にか先回りしていて、まるで瞬間移動したかのようにカイジの前に現れる。

 土砂降りのなか、埒のあかない追いかけっこを小一時間ほど続け、とうとうカイジは音を上げた。
 汗だくになり、肩で息をしながら、すました顔の男にわめきたてる。
「なんでついてくるんだよ!」
「俺がお前を拾ったんだから、当たり前だろ」
「頼むからどっか行って下さい、お願いします」
「嫌だね。俺はお前を気に入っちまった」
 男はニヤリと笑う。
「一応、俺も神の端くれだからな。ぞんざいに扱うと、バチが当たっちまうぜ」
「嘘つけっ……! 当てられるもんなら当ててみろってんだ、このヘンタイ宗教野郎っ……!」

 カイジが啖呵を切ったその瞬間。
 生ぬるいつむじ風が巻き起こり、カイジが握りしめていた手の中の五千円札は、曇天へと吸い込まれていった。

 狐につままれたような顔で空を見上げるカイジに、男は言う。
「ほらな」
「……」
「そんなに睨むなよ。今のは俺の力じゃないんだから。神に不遜を働けば相応の罰が下る。世の中、そういう風にできてんだ」

 男はどこか遠い目をしながら、のほほんとした調子で続ける。

「このまま俺を拒否し続けると、お前、今よりもっと不幸になっちまうだろうなぁ……」
「脅迫じゃねえか!! ふ……ふざけんな! この疫病神っ……!」
 涙目になりながら叫ぶカイジに、男は苦笑する。

「疫病神、ねぇ。俺が気に入って拾った人間にはなぜか、いつもそう呼ばれちまうんだよなぁ」

 男は気を取り直したようにカラリと笑って、カイジの肩をぽんと叩いた。

「ま、俺に気に入られちまったのが運の尽きだと思え。末永く、仲良くやろうぜ。な」


 その日。
 伊藤開司は初めて知った。
 人生には最悪の、さらにその下があることを。





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