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Long-story
金曜日の彼 D





いつだったか何てもう忘れてしまった。

覚えているのは多くの瞳、沢山の人、そしてその場所が道場だったという事だけ。

叩かれた体が受身を取れずに畳みに倒れる。
それでも父は、容赦なく自分を何度も打った。

‘何故もっと強くなれんのだ’

強くなりたかった。

このご時世、強さを持ったところで何の役にもたたないけれど、強くなりたかった。
空手、柔道、剣道、合気道、少林寺、テコンドー。

何でもやった。
それで父が満足するのなら。それで父が、認めてくれるのなら何だって。


ふわり、と鼻を擽ったのは甘い匂い。頬を掠めたのは肌触りの良いハンカチ。
見上げた先には彼が、優しい微笑と共に待っていた。

「…私に気を遣わなくていい。ロイドに頼まれて来たのだから。」

彼が一体何を言っているのか分からなかったけれど、それでも、彼の持つ温かさと優しさに絆されて涙が更に溢れてくる。
滲んだ涙のせいで何も見えなくなって、膝が震えて崩れ落ちるが、床に座る前に彼がスザクの体を抱かかえた。
それからゆっくりと腰を降ろさせる。

一つ一つの動作が一々優しくて、手渡されたハンカチを目に押し付けるように泣いた。
溢れ出る嗚咽と涙を全て包むように抱きしめられて、泣いても泣いても涙が枯れる事がないかのように思われた。

ただ、子供のように泣きじゃくった。






泣き止んで初めて聞いたのは時計が12時を示すときのメロディー。
嗚咽が止んで、どうにか訳の分からない涙が止まって、気付けば一時間弱。

「あ、すいません……。急に、泣いたりして。」

「構わないから、もう少し黙っていなさい。」

まるで、咎める様に言い含める彼に首を振って腕から逃れる。

「、こんなに泣いて、お客様にも迷惑を掛けて……、申し訳ありません。」

何をしているのだろう自分は。
憧れの人にこんな姿を見せて、同情でもしてほしかったのだろうか。

酷い自己嫌悪に陥りそうになっていると、溜息が頭上から聞こえて肩を震わせる。

恐る恐る見上げたその先には、彼の困ったような瞳が在った。
何度視ても綺麗なそれは、涙で濡れたみっともない自分を映している。

「だから言っただろう?私はロイドに頼まれて此処へ来たのだと。
まぁ、此処へはいつものとおり来る予定だったのだから、この時間に来たのだと言った方が良いかもしれないね。」

まただ。
泣き出し始めた時だって彼は同じ事を言った。

一体、何の話なんだろうと小首を傾げて腫れぼったい目で見つめると、彼はスザクの頬に手を添えて笑う。素敵な笑顔だった。

「私はシュナイゼル・L・ブリタニア。
ロイドとは大学時代の旧友でね、今でもよく話をしたりする。」
「シュナイゼル、さん…?」

名を呼んだ自分に、まるでテストで良い点を獲った子供のように頭を撫でて満足げに頷く。

「ロイドとセシル嬢は君の事を心配していた。
此処へ来て、君に涙を流させるよう頼んだのは他でもないあの夫婦だよ。」
「!ロイドさんと、セシルさんが…?」
「そう、あの2人がね。はじめは一週間ほど前だったかな?急にロイドが‘キミを泣かせて欲しい’って電話をして来たんだ。
それで日取りを決めて昨日にしたんだけれど、取り消しになったんだ。」
「あ………。」

昨日に自分が何をしていたのか、忘れた訳ではなかった。
そう、店番を休んでルルーシュ達とショッピングへ行ったのだ。セシルやロイドの、シュナイゼルの好意に気付かないまま。

本当に、自分は一体何をやっているのだろう。

しかし、そんなスザクの内情を悟ったシュナイゼルは苦笑を浮かべながら癖髪を数度撫でて笑う。

「セシル嬢は、君が先日買い物をした事に大層喜んでいたよ。」
「、え、…?」

妙な声が出てしまったのは許して欲しい。
だって、目の前の彼が変な事ばかり言うから。

思っていた事と正反対の発言がスザクの脳内をぐちゃぐちゃと掻きまわす。
けれどシュナイゼルの瞳は真剣というより楽しげな色を滲ませていた。

「ずっと気を張っていた気がしていたんだそうだ。
もちろん、真面目に勤務するのにはとても感謝していたようだけれど、それでも心配だったんだよ。」

さぁ立って、と腕ごと抱えてスザクを立ち上げる。

にっこり笑う彼は、まるで王子様みたいだった。

「さぁ、外へ出ようか。」
「……へぇ…?」

お間抜けな声を上げた自分に苦笑して、シュナイゼルがレジのキーを横へ回してしまう。
鍵をスザクのポケットの中へ入れて、ポンポンと服の上からソレを叩いた。
何だか、変な感じだ。

「ロイドに、否違うな…。私が外へ君を連れ出したい。
ロイドやセシル嬢にはもう了承は得ているから、そういう面では安心して良いよ。」
「あ、あの……っ」

嵐のような話の展開に付いて行けずに困惑する。

そもそもこの人の名がシュナイゼルと言って、ロイドとセシルとグルで、自分を気遣って泣かせて、それから外に出ようと言っている。

で、いいのかなと要点を纏めているとドアを開ける際に響くベルの音がした。
ガラスの扉を開いていたのは、シュナイゼル。

「さぁ、おいで。世界が君を待っている。」

ガラス越しに見えるのはいつもの風景。でも、何処か違っていた。
何がとか、どんな風にとかは分からない。けれど、何かが違う。

開かれたショーウィンドーと、差し出される白い手袋に覆われた大きな手、微笑む彼は、誰よりも眩しくて優しげだった。

嘘のようにクサい科白に頬を染めて、スザクは彼の手を握った。








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あきゅろす。
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