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蝶々結び
無自覚に溶け込んでいく


「お待たせしました」
そう言いながら隣の席につく柳生に、ひよりはおかえりなさいと声をかける。
目に入った柳生の首筋に、少しだけ毛先が濡れて張り付いていた。
「柳生くん、汗が」
先程席を離れた時にはなかったそれにひよりは疑問を抱きつつ、鞄からハンカチを取り出す。
使って、とハンカチを手渡せば丁寧なお礼が述べられた。
「どこに行ってたの?」
「全国大会に出場する他校生がいたので、手合わせをお願いしました」
「えっ」
一瞬動きが止まる。赤也じゃあるまいし、柳生がそんなことをするようには思えない。かといって、嘘を言っているようにも感じられなかったのでひよりは首を傾げつつ受け止める。
「…柳生くんもそういうことするんだね。でもいいの?大会前に練習試合みたいなこと…」
ひよりの問い掛けに柳生は得意げに眼鏡の中心に触れた。
「勝てばいいんですよ。」
自信溢れる言葉だった。普段見せていなくても、やはり柳生も勝ちにとことんこだわる立海の一員だということをひよりは改めて感じた。

場内にアナウンスが響き渡った。
入場してくる選手を視界に入れつつ、柳生は先程のことを思い浮かべる。
青学の海堂とペアを組み六里ヶ丘の選手と試合をしたこと。後を追ってきた寿葉に試合を見られたことは仕方がないが、この席にひよりを残して正解だった。
もしあの場にひよりがいたら、幸村のリハビリのことを知ることになっただろう。
いつか知ることになるかもしれないが、自分の口からは言うべきではないと、口止めされたあの時にそう思った。
もし尋ねられても、私は答えないか、もしくは嘘を吐くことになるでしょう。
コートを見下ろす楽しげなひよりの横顔をそっと見て、柳生は少しだけ表情を曇らせた。



「オイラプロの試合初めて見たんだ!感動した!」
帰りの電車の中でも寿葉は興奮状態がまだ続いており、はしゃぐようにその感想を述べていた。
「凄かったよね。迫力から違うというか」
それはひよりも同じで寿葉に応える。
だよね!と寿葉が賛同した時、電車が停車した。
「じゃあ私この駅だから。今日は二人ともありがとな」
「次にお会いするのは大会でしょうか?」
電車から降りた寿葉に柳生は尋ねる。振り向きながら寿葉は首を振って否定した。
「また明日!」
そこで電車のドアが音をたてて閉まる。寿葉は続けて何か言った後、手を振った。何を言ったのか聞こえなかったが、口元はよろしくねと動いているようだった。

電車が動き出すと二人は目を合わせる。
「また明日、来るってことかな?」
「彼女が言うのなら恐らくそうでしょうね」
柳生は少し苦い顔をしていた。その理由を尋ねようとひよりは続ける。
「こういう言い方は変かもしれないけど、寿葉ちゃんは何者なの?」
「…友人には見えませんか?」
どちらかと言うと見えない。ひよりは正直に頷く。
「友人として見るなら、みんなちょっと警戒してるように思える。でもただの知り合いとして見るなら、妙にフレンドリーというか…」
うまく表現できないが、なんとなく感じている違和感をひよりは口にする。
すると、柳生が軽く笑った。
「その通りですね」
「え?」
「彼女は偵察に来ているんですよ」
寿葉の学校のマネージャーが毎年この時期になると強豪校に姿を見せることを柳生は教える。
そうか、と寿葉の行動を思い出しひよりは納得した。跡部に会いたいと言ったのもその実力を確かめる為で、あの時幸村のことを聞いてきたのも情報収集のひとつだったのかもしれない。
「でも偵察って分かってるのに、みんなオープンだね」
「そのような方に、私達が本気を見せると思いますか?」
あ。とひよりは小さく声にする。柳生の表情は先程の自信溢れるものと同じで、ひよりは安心にも似た信頼を感じた。
「例えどんな情報が回ったとしても、私達は勝ちますから」
こういう所が立海の強さのひとつだ。常勝という信念を、絶対に曲げない。
「…ひよりさん、息抜きにはなりましたか?」
「うん、楽しかった。本当にありがとう」
自分もその一員であることが、ひよりは嬉しかった。



また明日。本人が言った通り、翌日のコートにも寿葉の姿があった。
彼女の目的は分かったが、だからといって態度を変えるのはおかしいなとひよりは昨日と変わらない対応をした。
午前練と午後練の間の昼休憩になり、寿葉の姿はコートの周りから消えた。
「寿葉ちゃん見なかった?」
「…もう帰ったんじゃなか?」
側にいた仁王に問い掛けると、仁王は関心がなさそうに口を開いた。
仕事を手伝ってくれたお礼にとひよりはドリンクを持って寿葉を探した。

花壇の、影になっている所に寿葉の後姿を見つけた。
「うん、これから青学に向かう」
電話をしていた。話している様子から、相手は学校の関係者であることが予想できる。
「跡部と真田の試合を見れなかったのは残念だった。でもABCオープンで偶然六里ヶ丘と会って…」
ひよりは引き返そうとした。
「幸村?」
しかし、その名を聞いて引き返すことが出来ず足を止めた。聞いてはいけないと分かっていても、ひよりは寿葉の死角に身を隠してその続きを待つ。
フン、と鼻で笑うような音が聞こえた。
「恐れることはないと思う。指導することはあっても自らラケットを握るのはあまり見なかったし」
嫌な感じがした。淡々と話す寿葉の声は昨日今日で受けた彼女の印象とは全く違っていた。
そして次の言葉を聞いた時、ドンッと胸の中心が押されたような衝撃が走った。
「神の子と言われていたのも去年までね。…うん、それにはいくら神の子でも勝てなかったみたい。今年は多分、間に合わないわ。立海は怖くない」

それには勝てない?間に合わない?何の話?
寿葉が何を言っているのか分からなかった。けれど自分の鼓動はどんどん大きくなり、眩暈を起こしたような錯覚になる。ドリンクが入ったペットボトルが手から滑り落ちた。
何故か分からないが、とても泣きたくなった。
「うん、また連絡する」
寿葉が電話を切り、携帯を制服のポケットにしまった。
「…寿葉ちゃん」
「あれ、ひよりちゃん。何か用事?」
どんな情報が回ったとしても私達は勝つと、柳生はそう言った。それに賛同できた。
でも今のは、情報というにはあまりにも陰湿な言葉に聞こえた。
「…幸村くんのことを…立海のことを悪く言うのはやめて」
呟きのような、懇願しているような、ひよりの声は泣いているように弱かった。
寿葉は気まずそうに溜め息を吐いた。
「そっかあ、聞かれちゃったか」
潔く自分の発言を認めた後、でも、と寿葉は声のトーンを下げる。
「私は謝らない。訂正もしない。だって本当のことでしょ?幸村くん、大会に間に合うようには見えないもの」
再び出たその単語をひよりは拾い上げる。
「間に合わないって何の話…?」
見つめる瞳は今にも泣きそうに揺れていた。
寿葉はひよりが問う意味が分からず眉を顰めた。
何の話って、病気のことに決まってるじゃない。何の話か問いたいのはこっちだと、寿葉はひよりを凝視した。

「秋川」
ひよりの背後で声がした。寿葉はひよりよりも先にその声の主を視界に入れた。
寿葉の視線の先を追ってひよりは振り向く。
「仁王くん…」
左手には、さっきひよりが落としてしまったペットボトルを持っていた。
「赤也がコケて擦りむいた。手当てしてやってくれんか」
仁王は表情を変えずにぽつりと伝える。
「あ…うん、分かった」
いつの間にか握り締めていた拳や体中から力が一気に抜けて、ひよりは息を吐く。
ほっとした。仁王が来てくれなかったら、泣いていたかもしれない。
少しずつ冷静さを取り戻し、ひよりは何も言わずコートへ走った。

ひよりの姿が見えなくなってから、仁王は寿葉を見下ろす。
「お前も、場所を選べ」
その言葉で、寿葉は仁王も聞いていたことを悟る。
「私達のやり方に文句つけないでくれる?」
フンと鼻で笑う寿葉に対し仁王はわざとそれを真似た。
「報告が悪口に聞こえるやり方か?」
からかうような口調に寿葉は仁王を睨み付ける。
「だからアンタは嫌いなのよね」
「去年は俺にベッタリじゃったくせに」
「先輩の命令だったから仕方ないでしょ!」
「今年は幸村か?」
そうよ。と寿葉は外方を向く。
「神の子が復帰したって聞いたら、誰だって注目する」
それは幸村が病気になったことは誰もが知っているという言葉の裏付けだった。
「…用が済んだなら早く青学に行きんしゃい」
「言われなくても」
寿葉は肩にかけていた鞄をかけ直して仁王の横を過ぎる。

「青学の越前リョーマ、どう思う?」
数歩前に行った寿葉が振り返る。その問いに仁王は愉快そうに口角を上げた。
「もしウチと対戦することになったら、アイツと当たるのは幸村しかおらん」
からかっているのか本心なのか寿葉には分からない。もちろん、寿葉以外でも仁王の言葉に翻弄される人は多い。
寿葉は判断するのを諦めてもう一度それを口にした。
「だからアンタは嫌いなのよね」
仁王はまた愉快そうに笑った後、手にしていたペットボトルを寿葉に投げた。
寿葉は両手で受け取ってそれを見る。
「…何?」
「秋川がお前さんに用意したもんじゃ。多分」
多分て何よ。寿葉は心中でツッコミを入れた。
「そういえばひよりちゃん、この1年で何かあったの?性格が全然違った」
1年どころか、ひよりに異変があったのはつい最近だ。
しかし仁王がそれを言うことはなく、またからかいとも本心ともつかない声色で答えた。
「性格が変わったからそれを用意したのかもな」
ペットボトルを指して仁王は続ける。
「仕事を手伝ってくれたお礼のつもりじゃろ。…多分」
「だから多分て何よ」
ツッコミながら、寿葉は俯いた。
「…何があったか知らないけど、ああいうタイプはちょっと苦手だな」
先程ひよりが見せた、泣きそうだけど真っ直ぐな瞳を思い出した。あまりにも真っ直ぐだから、ひよりの前で嘘は吐けないと感じた。
「でも嫌いになれんじゃろ」
「…そうかもね。アンタは嫌いだけど」
「それはもう聞き飽きた」
じゃあまた大会でね。と、寿葉はペットボトルを鞄にしまって校門へと歩き出す。
歩き出したが、また振り返りこう言った。
「…ありがとうって言っといて」
誰に何のことを、と寿葉は明言しなかったが、仁王はそれを読み取って笑った。








赤也の手当てをしながら、ひよりは先程自分が言ったことを思い出していた。
あんな言葉が自分から出るなんて。あんな、初めから仲間だったような言葉。
「…悪く言うのはやめて、か…」
「へ?何か言いました?」
「ううん、なんでもない」
いつの間にか無自覚に。でも、ごく自然に。私はみんなを大切に思っていたんだ。



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