[携帯モード] [URL送信]

蝶々結び
午後の来訪者


「あれぇ?アンタもしかして氷帝の跡部さん?」
部員達が小声でその存在を確かめ合う中、本人に話しかけたのは赤也。
その表情と声はとても挑発的で、ひよりはそんな赤也を見るのは初めてだった。
「一人で何しに来たんスかー?」

ひよりは少しずつ移動し、コートから出る。後ろにいた柳とジャッカルの側に駆け寄り、二人に尋ねた。
「あの人は誰?」
「東京の強豪校、氷帝学園の跡部だ」
答えてくれたのは柳。跡部の突然の来訪にも驚く様子はなく、いつものように冷静だった。
その姿にひよりは少し安心し、赤也と跡部のやり取りを伺った。

「真田はどこだ」
「副部長?さぁ、どこっスかねぇ?」
一触即発。ピリピリとした空気が周りを囲む。
当の真田の姿はコートにはなく、つい先程走りこみに行ったばかり。赤也は知っててとぼけている。
「副部長より、俺と勝負しません?」
赤也の提案に跡部は冷たい視線を向けた。先程目が合った際にひよりが感じた、まるで氷のような視線。
「お前に用はない」
跡部はサラリと言い放った。
「……はぁ?」
赤也の眉が一瞬、ピクリと吊り上った。スイッチが切り替わったのがひよりにも分かる瞬間だった。

「…赤也くん、様子が変じゃない?大丈夫なの…?」
「どちらかと言えば大丈夫じゃない。アイツ、他校生に対して敵意剥き出しだからな…」
ジャッカルの答えにひよりは言葉を続けられなかった。ジャッカルの言い方は、これが初めてではなく何度も経験している言い方だった。
「…ジャッカル、ひより。弦一郎を呼んできてくれ」
柳が赤也と跡部を見たまま、静かに口を開く。
「コートを出た時間からすると、そろそろ1周目の外周が終わり校門付近にいるだろう」
「分かった。行こう、秋川」
ジャッカルに促されるまま、ひよりはコートから離れた。

「赤也くんは?あのままじゃ喧嘩になるよ!」
ジャッカルの背中を追って走りながら、ひよりは問い掛けた。
「赤也は心配ない。柳が止めてくれる」
その言葉はとても信憑性があり、ひよりの不安を軽く吹き飛ばしてくれた。
「ただ、跡部が真田に何をするのか…それは分からないけどな」
他校生が一人でやって来るにはそれなりの理由があるんだろう。ひよりは跡部を思い出し眉を顰めた。
校門を跨ぐと柳の言った通り真田の姿が見えた。
「真田くん待って!」
ひよりの声に真田は二人を視界に入れ、その雰囲気から何らかの異常を感じ取った。
「…何事だ」
「氷帝の跡部が来て、お前を呼んでる。赤也がキレる前に探しにきた」
真田はいつもと変わらず難しい顔をしたまま、一度跡部の名を口にしただけだった。

コートに戻った時にはテニス部以外の生徒の姿もあり、跡部という人物の知名度が伺えた。
ジャッカルの言ったように赤也は柳が止めてくれたらしく、赤也は不機嫌な顔をしてコートを眺めていた。近寄りがたい空気を纏っていたが、ひよりは赤也の側に行き、状況を見守ることにした。
真田と跡部が一言二言言葉を交わして、試合は始まった。

試合は真田が優勢に進められる。それを見て部員達は応援の声をどんどん大きくしていく。
自然と周りにいたレギュラー達を見れば、真田の勝利を予想し、嘲笑にも似た笑みを作っていた。
立海の常勝理念。分かっていたことだが、ひよりは改めてそのシビアな面を感じた。
跡部が押されているのは誰が見ても明白だ。でもなんだろう、何か仕掛けようとしているようにひよりには見えた。
「全国へ行く事の出来ぬお前が、我立海に単身乗り込んで来るとはな。何の茶番だ?跡部」
ゲームカウントは4−0。肩で呼吸する跡部に対し、真田はまだまだ余裕を見せていた。
「そんな程度か」
そして2度目の風林火山、『山』。
「持久戦で完全にアイツを潰す気だ!」
後方で誰かが言った、次の瞬間。『山』は破られた。
跡部の打球は真田の足元に突き刺さるように抜けていった。
何が起こったのか、誰もが息を飲む。真田でさえも次のモーションに入れずにいた。
「完成だ!」
跡部が高らかに笑い、これでもかという程に今見せた技の完成を告げた。

まるで時間が止まったような中、動いた者が一人だけいた。その人は何も言わず階段を下り、ネットの側へ歩む。
「幸村くん…」
肩にジャージを羽織った幸村だった。
どうやらひより達が試合に夢中になっている間に学校に戻り、幸村もいつの間にかその試合を見ていたようだ。
幸村は誰に断ることもなくネットを緩める。
「さぁ、そこまこだ」
ひよりが今日初めて聞いた幸村の声はこれまでと全く違っていた。その違いをどう表現すればいいのか分からなかったが、明らかにひよりが知っている幸村ではなく別人なのかと錯覚するようだった。
「テメーが相手してくれんのか?」
「…公式戦が楽しみだ」
「どういう意味だ?」
「いずれ分かるよ」
幸村の言葉に納得したのか、跡部は不敵な笑みを見せて何も言わずコートを去っていった。
誰も跡部を止める人はなく、次第にその姿は消えた。
幸村と真田が何か話していた。ひよりにはその内容が聞こえなかったが、二人の表情から察するにあまりいい話をしているようには見えなかった。
幸村の表情は真田が見せるそれよりも、もっとずっと厳しかった。
「さ、みんな練習に戻って」
空気を変える幸村の一言に部員達はそれぞれ練習に戻り、同じくひよりも丸井のボレー練習に戻ることにした。



各々メニューを消化し、本日の練習は終わった。
ひよりは1年生と共にコート整備をした後、帰っていく部員達を見送りつつ部室で日誌を書いていた。
跡部のことを書くべきか迷ったが、こちらのひよりの為に書いておこうと手を進めた。跡部のことだけじゃない。部員達の行動や練習精度はこまめに書こうと思った。
こちらに帰ってきた時に知らないことがないようにと、ひよりなりのメッセージのつもりで。
ペンを置いて一息ついた時、部室のドアが開かれた。
「あれ、お前まだいたの」
迷わず自分のロッカーに向かう丸井にひよりは部誌を書いていたことを伝える。
「忘れ物?」
「あぁ。ま、他にも持ってっから忘れて困るようなもんでもねーけど」
と、ロッカーから取り出した手の平よりも小さい緑のものをひよりに見せた。
「ガム…丸井くんいつも噛んでるよね」
「まー、なんつーの?噛んでると落ち着くっていうか」
そして、ん。と手の平ごと目の前に差し出される。その意図を読んで、ひよりは少し遠慮がちにガムを一粒手にする。グリーンアップルの香りが鼻に届いた。
「ありがとう」
「…アイツより字キレイだな」
丸井が開いていた部誌に目を落としてポツリと言った。言った直後にしまった、という表情で口元を押さえた。
やっぱりここにいなくちゃいけないのはもう一人の自分なんだ。と、ひよりは苦笑するしかなかった。
「だからどうってことはねぇんだけど…気にしたならワリィ」
気まずい空気。それをどうにかしようと、ひよりは話題を変えた。

「…今日は跡部くんのことがあって、いつもとちょっと違うみんなの姿を見れてビックリしたよ」
「赤也がキレかかったこととか?」
「真田くんもいつもよりちょっとだけ饒舌だった」
ひよりの発言に、丸井は光景を思い出して吹き出す。
「あんな跡部を見たら饒舌にもなるよな」
「でも一番驚いたのは、幸村くん」
昼間のそれを思い出すように、ひよりは自然と伏目になる。
「…なるほど」
丸井が何かに納得した。何に対しての納得だったのかひよりは分からず、つい答えを求めて丸井に視線を合わせる。
「だからお前、幸村を避けてたのか」
「…え?」
「え?嘘だろぃ、自覚なし?」
指摘されて、ひよりはとても恥ずかしくなった。言われる通り、今日は事務的な会話しか交わしていないことに気付く。
知らない幸村を見て動揺して、どう対応していいか分からなかったのだと思う。
恥ずかしさで体温が上がる顔を思わず両手で覆って俯いた。
「…あんな幸村くんを見たの初めてで…ちょっと怖かった、みたい…」
「そう思うのは当然かもな。テニスに関しては鬼みたいだし」
「失礼だったよね?」
「幸村気にしてたぞー?明日謝った方がいいんじゃね?」
丸井は明らかにからかっている口調だったが、ひよりは真摯に受け止めた。
幸村がくれた安心感というのはひよりにとって今も大きな支えになっている。それに背を向けるようなことはしたくなかった。

「それより、明日も早いんだから終わったんなら早く帰れよ」
そうだね、とひよりは席を立つ前に部誌を鞄の中にしまった。
それを見て丸井が不思議そうに口を開く。
「部誌持ち帰ってんの?」
持ち帰る目的を言うべきかどうか、ひよりは一瞬迷う。
「うん。私が来る前のページを参考にして、私がもう一人の私になれればと思って」
迷ったが、正直に言った。
「…それって、お前がこっちのひよりのフリをするってこと?」
丸井の声のトーンが下がる。同時に表情もやや固いものになった。
「そうした方がみんなやり易いと思うから」
ひよりは席を立つ。鞄を肩にかけると、丸井の溜め息が聞こえた。
「部誌、置いてけよ」
「え?」
「…確かに、違和感とかやり辛さはある。けど、お前は知らない環境の中でよくやってると思う。それは多分、他の奴も思ってる」
なんだかぶっきらぼうな言い方ではあったが、ひよりは褒められていることに気付きくすぐったさを感じる。
「だからこれ以上お前が遠慮することないだろぃ」
若干のデジャヴ。昼間、花壇で柳生が言ったことと同じだった。
ひよりは自分の間違いに気付き微笑んだ。
私がもう一人のフリをしたって、本人にはなれない。それにそんな行為は逆にみんなに気を使わせてしまう上に、他にいいことなんてない。
「分かった。」
鞄から部誌を取り出して机に置く。私が来る以前のページはもう開かないことにした。
それを見た丸井は満足気によし、と頷いた。

「じゃーな。気をつけて帰れよ」
部室に鍵をかけるのを見届け、丸井は背中を向けて手を振り先に歩いていった。
「また明日」
聞こえているかどうか分からないが、それに応えてひよりもひらひらと手を振った。
部室の鍵を鞄にしまい、帰路につく。
明日もきっと暑くなるだろう。









忘れ物に気付き戻った為に丸井は珍しく一人で帰宅することになった。
少しずつ空の色が変わってくる中、視界に入ってきたのは青い蝶。
「珍し…」
初めて見る青い蝶に丸井は呟く。
蝶は夏の風を気持ち良さそうに受けながら、悠々と空高く飛んでいった。




[*前へ][次へ#]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!