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蝶々結び
空は変わらず青かった



テニス部がひよりを受け入れて数日。
慣れない関係や作業にも少しずつ余裕が出てきた。
自分がここに来た理由や原因は分からないままだったが、全国を控えて一日中テニスをしている生活にひよりは充実感を得ていた。
ひよりにとって体を動かす毎日は久しぶりだった。しかし元々運動が好きなこともあり、部活後の疲労感はとても心地良かった。

「…どう思う?」
コートの外で後輩部員のランニングタイムを計っているひよりを見て、柳は尋ねた。
「すごくやりやすいよな…?」
回答したのはジャッカル。語尾で誰かに同意を求めた。
「そうですね。真面目で段取りも良く、とても気が利くと思いますよ」
「でもなんか、やりやす過ぎて逆にやり辛いっていうか」
正直に赤也は答える。しかしそれは皆の違和感を代弁しているものだったので、確かに…と肯定するしかなかった。
「赤也の言う通りだな。ひよりよりもこちらが適応しかねている」
「別人にも程がありますよね!だって俺らが知ってる先輩はあんまり気が利かなくて、」
「少し不器用で」
「腕っぷしが強くて」
「騒がしい」
赤也に続いて柳生、ジャッカル、柳とまるでゲームのようにもう一人のひよりの特徴を述べる。
「正反対っスよね!」
と、赤也は楽しげに笑ったが、同時に寂しさも感じていた。それは他のメンバーにも言えることだった。
姿は同じでも全くの別人なのだから、彼女にこちらのひよりを求めるのは筋違いだ。分かってはいる。そういうことを口にしてはいけないことも理解している。しかし違和感というのは中々拭えないものだった。気が利かなくて、不器用で、腕っぷしが強く、騒がしいひよりと過ごした時間が圧倒的に多い為だった。

赤也達の視線に気付き、ひよりはコートの外から不思議そうにこちらを見た。
その視線に少し気まずくなったが、直ぐに次の走者が戻ってきたのでひよりは慌ててストップウォッチに目を落とした。
「しかし、一生懸命なのは変わらないな」
柳が独り言のように呟き、聞き入れた三名は納得してその場を去った。
「…お前ら、アイツのこと見過ぎだろぃ」
練習に戻った三人の代わりに柳の元に来たのは丸井。肩に掛けたタオルで汗を拭っていた。
「お前も気になるだろう?」
観察していたことを認めた上で、柳は問い掛ける。
その問いに丸井は顔を顰め、別に、と柳の視線から逃げた。
先日口ではああ言ったものの、その実、丸井は違和感を解消できずにいる。そんな自分に少し苛々していた。
それを知ってか知らずか、柳は続ける。
「午後のボレー練習の球出しはひよりに頼もうと思っている」
「えっ」
突然自分の練習メニューのことを言われ、声が出た。
無意識に声が出るってこういうことかと丸井は頭の端で思う。
「…アイツ、テニス出来んの?」
「少し前までやっていたそうだ。球出しくらいは任せてもいいだろう」
「ふーん…」
訝しげに問う丸井に柳は悠々と答える。これは相談ではなく決定事項なんだな、と丸井は理解し、ちらりとひよりを見た。楽しげに後輩と何か話していた。



なんとなく、花壇の隅でお昼をとるのが日課になっていた。お昼時は校舎が影になり、8月の現在でもそこは多少涼しかった。それにこの場所は初日のことを思い出し、冷静になれる場所でもあった。
こっちのお母さんが用意してくれる弁当はとても美味しくて、こんな所も違うんだな、と考えながらひよりは昼食をとっていた。
幸村は今日も不在だった。度々出かけることはあったが、その雰囲気から行先を聞くことはできずに見送るだけだった。他のメンバーの様子を見て何かあるんだろうとは思ったものの、やはり、触れてはいけない気がした。
正直、引っかかるものがあった。
「…いや、それよりも今は私に出来ることをしよう」
うん、と一人頷いて食べ終えた弁当を仕舞った。

そして持ってきていた部誌を膝の上で開く。部誌はもう一人のひよりが毎日欠けることなく記入してあり、それをひよりも引き継いでいるが、部誌を書く時以外でもそれを開くことはあった。
記入された内容から部活のことが分かるし、もう一人の自分のことも分かるからだ。
参考にしようと、ひよりは自分がここに来た前日のページを開く。
テニス部のメンバーとは打ち解けてきたものの、根底にある違和感はまだ漂っていて、それを消すには自分がこちらのひよりになればいいと思った。
彼らにとって大切な全国大会を控えている今、余計な所で気を使ってほしくなかった。

「ここにいたのですか」
部誌を読み進めようと文字に集中した途端、柳生の声がした。
「もう直ぐ午後練が始まりますよ」
「もうそんなに時間経ってた?ごめんね、わざわざ呼びに来てくれたんだ」
午後の練習が始まる前にドリンクの補充などやらねばならないことがあり、昼休憩に入ってからそれをしていた為に時間感覚がズレていたらしい。
ひよりは慌てて部誌を閉じ弁当と水筒を抱えて柳生の元に走った。
「…ひよりさんは花が好きなんですか?」
え?とひよりが聞き返すと柳生は付け足した。
「よくここにいらっしゃるみたいなので」
「…花が好きというよりは、この場所は落ち着けるから」
「そうですか…もし嫌じゃなければ、今度は私達と共に昼食をとって頂けると嬉しいのですが」
「え?」
突然の提案に、いいの?と言いかけてひよりは柳生を見た。それを受けて柳生は微笑む。
「遠慮なんて誰も望んでませんから」
どうしてそんなに気を遣ってくれるんだろう。どうしてみんな優しいんだろう。心が震えるのを感じた。
ひよりはそれに応えるのが礼儀だと思った。
「じゃあ、明日からそうしてもいいかな?」
「勿論。」
ひよりは笑顔を返した。

「ひよりさん。突然ですが、明後日の午後、私に付き合って下さいませんか」
その誘いは本人が言う通り突然だった。ひよりは明後日に何があるのかと首を傾げる。
「明後日…?」





グッとグリップを握り2、3度素振りをした。ラケットの重さが少しだけ懐かしく感じた。
「ラリー数回の後、ネット際へ誘う球を打ってくれればいい。大丈夫か?」
柳の指示にひよりは頷く。そしてネット向こうに構える丸井に手を上げて合図した。丸井が頷くのを確認してトスを上げる。
見上げたボールの後ろに広がる空には雲ひとつなく、青が突き抜けていた。
少し前まではよくこうして空を見上げていたな、とひよりは思う。トスを上げた時に見上げる青空が好きだった。
ひよりからのサーブでラリーが続く。
「…ほう」
後方で柳が関心を示す。キレのある動きは誰が見てもテニス慣れしているもので、ひよりの動きに皆が驚いた。
「…上手いな」
ジャッカルが柳の隣に並んでひよりの動きを見た。
「丸井は少々侮っていたようだ」
ふ、と柳は笑う。その笑みは例えるなら計画通りとでも言わんばかりで、ジャッカルは苦笑する。

なかなかやるじゃん。
打球を直に受けている丸井の表情が面白くなさそうなものから変わり、口角は楽しげに上がっていた。
数回打ち返した後、丸井は前に出た。それを抜けるようにひよりは丸井のバックハンド側へ出来るだけ低いネット近くを狙って打ち返した。
逆サイドに打たれた丸井は意表を突かれたが、ボールに追いつくと独特のフォームでラケットを振る。
ネット上をコロコロと伝って、とん、とボールがコートに落ちた。得意技の綱渡り。とんとんとバウンドするボールを見つめ、ひよりは心臓の鼓動を聞いていた。

楽しい。テニスをするってこういうことなんだ。やっぱりテニスが好きだ。
少しだけ乱れた呼吸を整えて、じわりと額に浮かぶ汗を袖で拭った。
「やっぱり上手いね」
「いや、中々いい球打つじゃん。驚いたぜ、ひより」
ネットの向こうで丸井が笑い、ひよりの動きが一瞬止まる。
どうした?と問う丸井にひよりは少し照れたように、でも満面の笑顔を見せた。
「今、初めて名前呼んでくれた」

何かに射抜かれたようだった。
無意識だった。名前を口にしていなかったことを、本人に言われて気付いた。
他のメンバーのようにこれまで通り名前を呼べなかったのは、どこかでひよりを否定していたからじゃないかと丸井は思った。
でも今自然と名前を口に出来たのは、このたった数回のラリーがあったからではないだろうか。ラリーの中に、ひよりを受け入れた瞬間が確かにあった。
采配した柳に全部見透かされていたようで悔しくて、丸井は小さく舌打ちをした。

「…そんなことで喜んでんじゃねぇ」
対抗したつもりの言葉は全く威力がなく、ひよりを更に破顔させるだけだった。
「いいから次、早く打てよ」
再び、ひよりは高くトスを上げた。
途端、背後が騒がしくなった。それに反応するように丸井はサーブをスルーし、ひよりの背後の一点を見ていた。
「アイツ…なんでここに」
丸井がそれを見て呟いた。
ひよりは何かと思い、注目を浴びる後ろに振り向く。

「真田はいるか」
コートの外に立っていたのは、パーカーを着た見たことのない人物だった。




空は変わらずかった


物物しい雰囲気を纏うその人物と目が合った。
見下ろされるその視線に、ひよりはヒヤリと冷たいものを感じた。




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あきゅろす。
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