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蝶々結び
欠けてほしくないから



マンガの話をしているか、冗談でも言っているんじゃないかと赤也は思った。
しかし言葉を続ける幸村の表情や声からはそんな雰囲気は微塵もなく、内容はあまりに現実味が無さ過ぎて実感が湧かなかった。
前にもこんなことがあったな、と幸村の声を聞きながら赤也は思う。幸村が倒れた時もこんな感じだった。
そこまで考えが及んで、赤也はそれを払拭する為に小さく首を振った。

幸村がひよりを追いかけてしばらくの時間が経ち、残ったメンバーは各々他の部員と共に練習に入っていた。
コートに戻ってきたのは幸村一人だけだった。そして幸村はレギュラーだけの招集をかけた。
ひよりがいないことに疑問を抱きつつ、部室に集められたメンバーは幸村の話を聞くことになる。
話が一段落つき幸村は口を閉じたが、しばらくは誰も発言することができなかった。

「それで、ひよりさんは今どちらに?」
開口したのは柳生。冷静な声に大きな変化は見られなかった。
「朝より落ち着いてる。俺が皆に話す間は校内で待ってもらってるよ」
「そうですか…」
「何が起こっているのかは分からない。けど俺は、原因があるなら突き止めたいし、ひよりを支えてあげたい」
幸村は目を伏せた。そこに見ているのは先程の涙を流すひよりの姿。
何も分からない世界で、独りにさせたくない。例えひよりが独りを選んだとしても、それは良い結果には繋がらないと幸村は思う。
「…賛成だな。原因が分かればこちらのひよりも戻る。それよりも先決なのは彼女の不安を取り除くことだろう」
「人間関係が欠如しているのであれば、授業のない夏休みは関わりが少なくて好都合ですね」
柳の言葉を受けて柳生も同意見を認めるように頷き、幸村は安堵の表情を浮かべた。

その賛同に赤也はそうか、と納得した。
このままだと元のひよりがずっと戻ってこない可能性もあるんじゃないだろうか。戻れないという現象はどちらのひよりも避けたいことだろうし、自分達だって困る。
それを防ぐ為には手探りでも何かしらアクションを起こすべきだ、と赤也は頭の中で結論付けた。

「俺もそう思う。それに、今マネージャーが抜けるのは俺達も苦しい」
次に意思表示したのはジャッカル。発言していない赤也を含めると同意は過半数になる。
過半数にならずとも、幸村と柳の意見が揃えば自然と全員がそちらへ向かう傾向がある為、彼らのとるべき行動は半ば決まったようなものだった。

「それじゃあ、ひよりを呼んでこよう」
「ちょっと待ってくれよ」
椅子から離れようとした幸村を止めたのは丸井だった。丸井はやや俯いて困惑しているようだった。そんな表情を見せるのは本当に珍しい。
そして戸惑い気味に続けた。
「誰も言わねぇなら俺が言わせてもらうけど、お前ら、それがどういうことか分かってんの?」
「…どういうことですか?」
「全国が近いこの大事な時期に、そんなことまで考えられねぇ。俺はテニスに集中したい」
「だから、テニスに集中する為には秋川の力が必要だろ?」
「んなこと分かってる!」
ジャッカルの宥める言葉に被るように丸井は声を荒らげた。
「分かってるけど…」
ちらり、と丸井は幸村に視線を送る。
「幸村だってやっと復帰できて、今は全国に集中するべきじゃねぇの?」
正当なことだと自信を持てなくなったのか、丸井の声は弱くなった。
理解は出来るけどどうしていいか分からない。それが丸井の心情だった。事実を素直に受け止めることが出来なかった。
「…まるで、秋川が邪魔だと言っているようだぞ」
これまで口を閉ざしていた真田の声。
「そんなんじゃねぇよ…」
「丸井、お前は皆揃って全国へ行けることを喜んでいただろう」
「それはそうだけど…ただ、どう接していいか分からねぇんだ」
丸井の本音は誰もが頷くことが出来たが、あっけらかんとする人物がいた。

「そんなの簡単じゃないスか」
赤也だった。
答えが出ないことに沈黙が生まれたが、赤也はそれを簡単に破った。
「新しいマネージャー、新しい友達が出来たって思えばいいんスよ。もしそう思えなくても先輩は先輩なんスから、難しいこと考えないで今まで通りでいいんじゃないスか?」
俺からすれば新しい先輩ですけど。そう付け加えて、多少淀んでいた空気を換気した。
軽くなった空気を感じて、丸井の表情が一転して明るいものになった。
「んだよ、人が真剣に悩んでるってのにお前…」
「俺だってマジっスよ」
「ったく、しゃーねぇな!元に戻ったらアイツこき使ってやる。でも俺は許容範囲外のことはしねぇからな」
あーあ、と吹っ切れたように丸井は両手を頭の後ろに回した。
「そうだな。秋川には出来るだけ普段と同じように接するのがいいかもしれないな」
赤也の意見に付け加えるようにジャッカルが発言した。


「…仁王は?」
唯一発言を控えていた仁王はずっとロッカーに寄りかかって様子を窺っていた。
柳に意見を求められて、仁王は諦めたように静かに声を出した。
「…好きにしんしゃい」
我関しない言葉ではあったがそれは確かに賛同で、幸村は今度こそ椅子から立ち上がった。
「ひよりを呼んでくるよ」
「待ちんしゃい」
再び入る制止の声に幸村は苦笑する。
「まだ何かある?」
「お前さん、リハビリセンターに向かう時間じゃろ」
「あぁ…そうか、そうだった」
朝からそれどころではなくて幸村はすっかり忘れていた。それと同時にもうそんな時間かと後ろ髪を引かれる思いだった。
復帰したての体はまだ少し不安定な部分もあり、定期的にセンターで診察を受けていた。これを疎かにする訳にはいかない。
「じゃから俺が行く。どこにおる?」
ひよりのことは気がかりだったが、幸村は仕方ないと心の中で溜め息を吐いた。
「花壇にいると思う」
仁王が頷くのを確認して、幸村は部室を出ようとドアノブに手をかける。が、それは直ぐに回されず、幸村は振り返り皆に届くよう口を開く。
「…俺の病気のことは言わないでほしい。ひよりに不安要素を増やしたくないんだ」
各々の間合いで皆はそれに応えた。
信じることができる頼もしい仲間達を背に、幸村はその場を去った。



「なんでお前も来るんじゃ」
花壇に向かう人物は二人。その片方から面倒そうに言葉は吐かれた。
「俺、謝りたいんスよ」
「は?」
「俺が一番に先輩に会ったのに、違うなんて全然気付かなかったから」
申し訳ないと思っているのはどうやら本心のようで、それが表情や声によく表れていた。
「…別にお前さんが悪い訳じゃなか」
「そうかもしれないスけど、なんかスッキリしないんで」
「あぁ、そ。」
こういう所は素直なのにどうして普段は生意気なんだろうかと仁王は心中で悪態をつく。
当然それは赤也に伝わるはずもなく、赤也は仁王からの相槌に笑うだけだった。
そして二人は前方に広がる花壇に視線を向ける。そこには屈んで花を見つめるひよりの姿があった。

「ひより先輩!」
自分を呼ぶ予想外の声に驚き、ひよりは瞬きを繰り返して声の方へ目をやった。
仁王と赤也がひよりと対面するまでの数秒間、二人の歩く音だけがそこに広がる。
迎えに来るのは幸村だと思っていたひよりは朝に見ただけの二人の姿に緊張を隠せなかったが、ぐっと息を飲み込んでから二人を見た。
「えっと、仁王くんと、赤也くん…だっけ」
先程幸村に話を聞いてもらった際、逆に幸村からも皆の特徴や名前を聞いていたのでひよりは迷いながら彼らの名前を口にした。
「名前聞いとったか。自己紹介の手間が省けた」
仁王の言葉に口にした名前は正解だったのだとひよりはほっとした。
ひよりの目は、少し赤かった。それを見つけた二人はひよりが泣いたことを確認できたが、それには触れなかった。
「ひより先輩、朝はすいませんっした」
赤也の突然の謝罪にひよりは何のことか分からず、仁王に疑問を投げた。しかしそれは軽くスルーされ、どうしていいか分からずひよりは首を傾げる。
「俺がもっと早く異変に気付いてれば…」
あぁ、とひよりは合点が行く。
「それは赤也くんが謝ることじゃないよ。それに私も動揺してたし、謝るのは私の方だよ」
朝とは違う落ち着いた様子に仁王が些か安心していると、仁王くんも、とひよりに名前を呼ばれた。
「混乱させてごめんなさい」
ぺこり。ひよりは頭を下げた。

「……本当に別人なんスね」
「え?」
赤也の驚いた声にひよりは頭を上げる。
「いや、こっちのひより先輩はそんな謙虚じゃないっていうか…」
少しも言い淀むことなく赤也はそれを口にした。悪気は全くない。
「そうみたいだね」
あはは、とひよりは笑顔を見せる。
それを見て仁王と赤也はまた少し驚き、実感した。見慣れているはずの笑顔が性格の違いからか全然違うものに見え、それは紛れもなく現実だった。
「あの…幸村くんは?」
「部長はびょ、痛っ!何するんスか仁王先輩!」
赤也が病院と言い切る前に、仁王は赤也の頭上に拳を一発入れていた。さっき幸村に言われたばかりだろ、と睨むと赤也は思い出したように視線を合わせた。
「幸村は学校外に用事があって席を外した」
「そうなんだ…」
「お前さんのこと、心配しとったぜよ」
残念そうに目を伏せたひよりだったが、その言葉を聞いて感じる幸村の優しさに微笑が広がった。

「部活、出れるか?」
仁王の問い掛けにひよりは頷く。
「マネージャーはやったことないけど、こっちの記憶もあるから多分大丈夫だよ」
ひよりを真ん中に、三人は並んでコートへと歩き出した。
「俺ら、先輩が戻れるように力になりますから。何でも言って下さいね!」
「…ありがとう。」








こちらの優しさに触れる度、ひよりは感謝を噛み締めた。
同時に、もう一人の自分に対して想いを馳せる。

どうか、あっちでも優しさが広がってますように。





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あきゅろす。
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