[携帯モード] [URL送信]

蝶々結び
それぞれの夏が始まる


真夏日。時折髪を靡かせる風も熱気を帯びている。じっとしているだけでもじわりと汗が滲む。天気は晴天。眩しい日差しに肌がジリジリと焼けていくような感覚。
ついに全国大会の日がやって来た。以前、ひよりと柳生が足を運んだ会場に続々と出場校が結集してきた。会場に来たのは何日か前のことなのにその雰囲気の違いからか、ひよりはそれが随分前のことのように思えた。
「おい、あれ」
ただ歩いているだけなのに周りの視線が集まる。そして前方に人がいても自然と道が開かれる。
「うわ、来たぜ」
耳に入ってくる言葉は全てがいいものではない。他校生徒の立海に対する反応を初めて見たひよりは、立海が彼らにとって少なからず怖れの対象になっていることを知った。
けれどメンバーの顔を見ればそんなこと取るに足らないことだと堂々としていたのでひよりは安堵する。
これが王者立海なんだ。今年、三連覇を掲げた立海なんだとひよりはその凄さを感じ取った。
そして間もなく開会式が始まる。
「…本当に私でいいのかな」
この時間、ひよりは開会式を見る為に観覧席にいるはずだった。
「ここまで来たなら腹を括るしかないだろう」
ひよりの独り言のような呟きに柳が間を置かず冷静に応える。
「そ、そうだけど…緊張してきた…」
ひよりの言葉に皆が小さく笑った。

会場に到着後、真田とひよりが本部にメンバー登録をしに行くと開会式を少し遅らせると伝えられた。その理由を問うと返ってきたのは「プラカードを持つ予定の生徒が暑さの為に体調を崩した」という答え。
「代わりの方はいないんですか?」
「生憎、想定外のことなので」
「そうですか…」
真田がひよりを見た。ひよりは視線を受けて見つめ返したが、何を意図しているのが分からずに首を傾げる。
「でしたら、うちのマネージャーを使って下さい」
え?と、受付とひよりの声が重なった。
「さ、真田くん?」
「大切な仕事に突然代わりを申し立ててすみません。けれどうちのマネージャーは大丈夫です。どんな場面でも立海の生徒らしく振る舞い、与えられた役目はしっかりやり遂げます」
反論する前にそう言われてしまい、ひよりは照れて何も言えなくなった。真田の言葉はひよりを立海の生徒として認めているもので、滅多に聞かない褒める言葉でもあったからだ。
「秋川、やれるな?」
そうして再び戻ってきた視線に、ひよりは強く頷いた。
「協力ありがとうございます。それでは、式が始まるまで説明するので中に入って下さい」
「分かりました。宜しくお願いします」
「では後で合流しよう」
「うん、式でね」

説明を受けてから入場口で待機していると選手達が集まってきた。どの選手も凛としていて、そして全国まで勝ち上がってきた逞しさを感じ、同じ中学生なのになんだか少しだけ大人に見えて、それを言うなら立海のみんなもそうだなとひよりは頬を緩ませる。
「ねぇ、そこの人」
不意に呼ばれてひよりはその声を辿る。白と青の夏空みたいなジャージを着た、白い帽子の下から目を覗かせてこちらを見ている少年がいた。1年生だろうか、他の選手よりも身長が低い。
「なんでしょう?」
鋭いけれど、どこかぼんやりしているその瞳はキョロキョロと辺りを見回した。
「青学ってどこに並べばいいの?」
少年が口にしたそれにひよりはドキッとした。いつか寿葉から聞いたその単語。
よく見ると少年が着るジャージの胸元にはローマ字で校名が刺繍されていて、青学の選手ということにひよりは気付く。
少年はふわぁ、と大きな欠伸をした。ぼんやりしているように見えた瞳はどうやら眠いかららしい。その無防備な様子はとても全国に出場する選手には見えなかった。
「知らないならいいけど」
「あ、えっと、青学はずっと向こうだよ」
青学のプラ持ち係の女の子がいる方を指すと、少年は納得したように「ども。」と小さく礼をした。
そしてジッとひよりを見る。
「まだ分からないことあります?」
「…なんでアンタだけ制服が違うのかと思って」
他の係の子を見て少年は気付いたのだろう。ひよりはあぁ、と声を漏らす。
「私、立海のマネージャーなんだ。体調を悪くした子の代わりに急遽やらせてもらうことになったの」
「立海…フーン。」
少年は不敵に笑った。その瞳には先程までの眠気は消えていた。その代わり、プライドの高さがそこに窺える。
「2年の自称エースさんと、ゴリラみたいな副部長さんにヨロシク。お手柔らかにって言っといて」
「え?」
「おーい越前!こっちこっち!早く来いよ!」
二人を知っているの?と訊く前に、少年と同じジャージを着た選手が向こうから少年を手招きした。
少年は溜息を吐いてから、じゃ。と背中を向けて青学の選手達がいる場所へ歩いていった。
"今注目しているのは青学の越前くんと幸村くんだな"と寿葉が言っていたのを思い出す。
あの子がそうなんだ。幸村くんと同じくらい注目されている選手。とてもそんな風には見えなかったけれど、彼もコートに立てば魅力的な試合をするのだろう。
「見られるかな…」
自分より小さい彼がどんなテニスをするのか、ひよりは自然と興味を持った。
「あ、ホントに先輩がやるんスね!」
少年の背中を見送っていると、逆の方から赤也の声が聞こえた。
「今のって青学のルーキーじゃなか?」
仁王に問われてひよりは先程言われたばかりのことを繰り返す。
「そうそう、越前くんがね、赤也くんと真田くんにヨロシク、お手柔らかにって言ってたよ」
自称エースとゴリラみたいな、は割愛。
伝えると、赤也と真田の表情が強張った。言ってはいけなかったのかとひよりは戸惑うが、数秒後に2人は越前と同じように不敵に笑ってみせた。
「よくもヌケヌケと…今度こそブッ潰す」
「関東と同じようにいくとは思うな」
と、もうここにはいない越前に告げるのだった。

「これより、全国大会を開催します。選手入場」

そんなことがありひよりは観覧席ではなく、皆と共に関係者しか通れない内部通路にスタンバイしている。
緊張しているひよりだが、本部の計らいで立海のプラカードを持たせてもらえたことが一つの救いである。
「みんながなんでそんなにリラックスしているのか不思議だよ」
「当たり前だろぃ」
「前年度優勝校がビクビクしてたらカッコ悪いからな」
丸井とジャッカルが息の合った返答をした所で、立海が入場する順番が来た。
自分達よりも小さい背中、どうも緊張は解けないらしいが、けれど頼りになるひよりの背中に立海メンバーは続いた。
扉をくぐると光が溢れて、一瞬だけ目が眩んだ。
「神奈川、立海大附属中学校」
アナウンスがひより達を呼んだ。沢山の拍手が聞こえる。自分が踏み入れることはないと思っていたグリーンコートを歩みながらひよりは気付く。
そういえば、私が立海メンバーの先頭に立ってるのは初めてだ。今まで誰かの後ろばかり歩いていた気がする。
ひよりは嬉しかった。自分に続く8名のレギュラーが誇らしかった。彼らがいたから私はここに立てるのだと、それは強い自信にも繋がった。


「六里ヶ丘戦が終わったら俺達は青学の試合を観に行こうと思っている」
「え?青学の初戦もウチと同じ時間くらいに開始じゃないの?」
「そうだが、六里ヶ丘をデータ分析した所、青学のD1かS1には間に合う予測だ」
「まぁ、初戦だし?アップのつもりで10分で終わらせていいっスよね?」
「アップのつもりで試合するのは対戦相手に失礼ですよ」
「そうじゃ、相手も本気で来るならこっちも本気の方が良かろ。その分瞬殺かもしれんがの」
「分かっていると思うが、パワーリストは外すな」
「そんな心配いらないと思うぜぃ」
「王者の貫禄ってヤツを見せてやろうぜ」
「みんな準備はいいようだね。それじゃあ、いこうか」
という会話を六里ヶ丘に聞こえるようにやってしまう辺り、このメンバーは怖い。ワザとそうしているのかもしれないが、それはひよりが判断できる所ではないので相手に申し訳ないと思いつつ苦笑するしかない。
「よう、言ってくれるじゃねぇか。この前の礼をさせてもらうぜ、柳生」
六里ヶ丘ベンチから聞こえた声に、メンバーはそれぞれその人物に視線を向けた。
彼は柳生を睨み、ニヤリと笑って見せた。
「…お礼を頂くようなことをした覚えはありませんが」
「忘れたのか?それならもう一回言ってやろうか?」
表情を変えずに応える柳生に、六里ヶ丘の選手は片眉をぴくりと吊り上らせた。その様子は誰が見ても苛々しているようだった。
「柳生、どういうことだ?」
柳が問い、柳生は数秒俯いた後に諦めたように小さく息を吐いた。
「お伝えする必要はないと思っていたので黙っていましたが、以前彼らと手合わせをしました」
それを聞いてひよりは思い出した。
「あ、ABCオープンの時の…」
「ひよりは知っていたの?」
「いえ、その時は一緒ではありませんでした」
幸村の問いに柳生が答え、同時にひよりも頷いて柳生の言葉を肯定した。
「偶然居合わせていた青学の海堂くんとダブルスを組んで試合をしました。当然、我々が勝ちましたが」
「…そう。」
幸村はベンチに座ったまま腕を組んだ。特に咎めることもないと思ったが、一つだけ気になることがある。それによっては考えが変わるかもしれない。
「それで、彼らは何を言ったんだい?」
「それは…」
柳生は言い淀む。例え他人が言った言葉だとしても、自分の口からは言いたくなかった。
「関東で負けた立海はダラしねぇな!部長の難病も悪化すればいいのに!って言ったんだよ!」
自分が蚊帳の外になっていたことが気に入らなかったのか、六里ヶ丘の選手は先程よりも声を大きくした。
その言葉が届いて立海ベンチの空気が変わった。瞬きさえも忘れてしまいそうな、冷たく、張り詰めた空気。ひよりやレギュラー陣だけではない。それを聞いていた他の部員も、相手の体を射抜くような視線を六里ヶ丘の選手に向けた。
「…一度負けたくらいでは懲りないようですね」
「あれはお前らのデータを取る為にワザと負けたんだよ!それに部長も退院したからって満足な試合出来ねぇんじゃねーの?この試合も補欠みたいだしな!」
酷い。酷い。どうしてそんなことを言えるんだろう。
ひよりは顔を歪めた。気を緩めてしまうと泣いてしまいそうだった。
ひよりは知っている。幸村が退院してからどれだけ努力したのかを。無敗の信念を取り戻す為に沢山の努力をしたメンバーを。
何も知らないどこかの誰かに、そんなこと言われたくない。両手は自然とスカートを握りそこに皴を作った。
「……今の言葉、取り消して下さいっ」
震えるような声でひよりが言った。
「はぁ?聞こえないんですけどー?」
弱く聞こえたひよりの声に調子に乗り、六里ヶ丘の選手は周りの選手達と続けて立海を悪く言っていた。
やめて。と言ったけれどひよりの声は六里ヶ丘の選手達の笑い声によって消された。
私にはみんなを守ることは出来ないの?
悔しかった。自分の弱さを実感した。もう一人の自分ならきっと立ち向かっているはずだ。ここにいることが出来ない彼女の代わりに自分がそうしなくてはと、ひよりは意を決して前に出た。
しかしそこに刺し込んだのは幸村の声。
「随分と愉快なことを言ってくれるじゃないか」
幸村は微笑んでいた。冷たい声に似合う、冷たい微笑。傍にいたひよりでさえ息を飲んでしまう程に綺麗で、同時に怖かった。
六里ヶ丘の選手も怯んだけれど、それでもまだ何か言っている。しかし幸村はそれを無視して皆に呼びかけた。
「試合前のアドバイスだけど、」
そこまで聞いてレギュラー陣は各々に笑みを浮かべた。それには絶対の自信が溢れている。
「自分がやりたいように、思いっ切りプレイするといい」
言いながら幸村が皆に向けた笑顔は冷たいものではなく、仲間を信頼していることを表していた。

「立海の奴ら、遊んでるみたいだぜ…」
観戦している誰かが言った。実力差はその結果を見ても歴然だった。言葉の通り、あっという間に立海対六里ヶ丘戦は終わった。全ての試合で1ゲームも取れなかった六里ヶ丘は気まずさを感じたのか、S1が終わると素早くコートを出て行った。それは彼ら以外の誰が見ても情けない姿だった。
少し悪いことをしたかなと思ったけれど、ひよりは気分が晴れていくのを感じていた。ヒーローが悪者を倒した後のような清々しさを感じた。他校から見れば怖い存在かもしれないけど、ひよりにとって彼らは強くて優しくて、時に面白いヒーロー達だ。大好きな仲間達だ。
「みんな、ありがとう」
独り言のようにそう呟いた幸村もきっと同じように感じているだろう。
「でも、思いっ切りって言ったよね。初戦とはいえ動きが悪いよ」
ぴしゃりと言い放った幸村に、勝利に気分を良くしていたひより達は動きを止めるのだった。


「今日の試合はこれで終わりだけど、観戦も勉強になるから自己判断で。各自、明日の準備も怠らないように。」
3回戦以降は明日なので今日はこれで解散となることを幸村が告げる。
「ひよりはどうする?」
幸村に問われ、ひよりは少しだけ考える。
「私も、青学を見に行きたい」
もしかしたら越前くんの試合が見れるかもしれない。そう思い、ひよりは答えていた。
それに青学がどんな学校なのか知りたかった。合宿時にメニューを組むくらい、皆がどの学校よりも意識しているからだ。
関東大会のことをひよりはあまり知らない。立海を下したというその実力を自分の目で確かめたかった。

青学対比嘉が行われているコートに着いた頃には、最後の試合が始められていた。各校部長同士のS1。
移動中に真田が手塚のことをよく見ておくといいと言うのでどんな人物なのかを柳に訊ねると「百聞は一見に如かず。見れば分かるさ」と、表情を変えずに言っただけだった。
「…凄い」
越前の試合を見れなかったことは残念だったが、見ている内にひよりは自然と口にしていた。そうとしか言えなかった。立海の他にもこんなにレベルの高い選手がいることにも驚いたし、そのレベルはとうに中学生レベルを超えていることにも驚いた。
ひよりは試合に集中し、食い入るように見つめていた。真剣なその横顔を見て幸村が微笑んだことも、ひよりは気付かない。
試合が終わる頃には有名校が引き寄せられるように集まりコートを囲んでいた。それだけ手塚という選手は、いや青学は、この大会において重要な鍵となっていることが容易に窺えた。
「ゲームセット!ウォンバイ青学手塚6−4!」
青学側のベンチが歓声に包まれる。
試合が終わってもひよりの鼓動は鳴り止まない。自分が試合するのではなく、観戦だけでこんなにドキドキしたことはかつてあっただろうか。
落ち着けるように深呼吸していると、不意に両手が掬われる。
「手に力が入ってるよ。これじゃ深呼吸の意味がない」
幸村は子供が手遊びをするようにひよりの正面に立ち両手を合わせた。力が入っていると言われてひよりは初めて拳を握っていたことに気付く。それだけ先の試合を見て体が力んでいた証拠だ。
手の平に爪の痕が微かに残っていて、それを同時に見つけた幸村とひよりは目を合わせて苦笑した。
「木手くんもだけど、手塚くんも凄い人だね。少しだけど見られて良かった」
「手塚は真田の小さい頃からのライバルなんだよ」
「そうなの?」
「数年前対戦したことから真田は常に手塚を意識している。しかし中学大会での対戦は一度もない。そうだろ、弦一郎」
柳に問われた真田は何も言わなかった。けれどその無言は肯定を示していた。
「この大会で戦えるといいね。その時は勿論、手塚くんの強さを認めた上で真田くんを応援するよ」
「…無論だ」
帽子で目を隠して応える姿に、他の3名はそれが照れ隠しであることに気付き小さく笑った。
「さ、学校に戻ろうか。手塚の試合を見てたら体動かしたくなったよ。俺は今日試合なかったし」
幸村が繋がれていた両手を離して声をかける。
「他は見なくていいの?次に当たりそうな兜中とかまだ試合やってるみたいだし」
「兜中なら心配しなくていい。データは既に揃っている」
「…流石参謀だね」



それぞれの夏が始まる


学校に戻ると他のメンバーも考えていたことは同じらしく、コートには既にボールが飛び交っていた。
聞けば、今日の試合だけじゃ物足りないと口々に言っていた。それもそうかとひよりは納得する。
だからこそ、立海は強いのだ。
太陽が沈むまで数時間、夏の始まりを満喫しよう。




第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!