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蝶々結び
街の片隅で


情報収集という名目の追っかけだと本人に告げて堂々と跡部の後を追った。ここは氷帝学園ではない。コートが8面ある街のテニスコートだ。
跡部のテニスが見れるのは嬉しいが相手が悪い。対戦相手は跡部に圧倒されるばかりで、例えば攻防を繰り返すような大きな盛り上がりはない。
跡部自身も本気を出してはおらず、ただ遊んでいるだけのように思えた。
「面白くない」
タオルを取りに荷物の元へやってきた跡部を見上げて寿葉は口を尖らせた。
それを受けて跡部はフン、と鼻で笑った。
「誰がお前の好みに合わせてテニスするかよ」
寿葉はしかめっ面のまま勢いよく立ち上がった。
「ジュース買ってくる」
「そのまま帰れ」
「跡部様のイジワルー!」
「知るか」
あくまで手の内を見せないつもりらしい跡部に、寿葉はこれからどうしようか考えながら自販機へ向かった。
小銭を取り出しながら自販機を見るとその奥に馴染みのある顔が見えた。
寿葉は二人の姿を見て反射的に引き返す。これは面白いことになるかもしれないと、寿葉は表情が緩んだ。
「跡部様跡部様!」
寿葉が駆け寄ると跡部は面倒そうに視線を向ける。しかし寿葉の次の言葉を聞いてその表情は一変した。
「立海の幸村くんが来た!」
「なんだと?」
「今入ってくるのが見えたの。すっごい偶然!こんな所で幸村くんのテニスが見れるなんてラッキー!」
先程までのつまらなさそうな雰囲気はどこへ行ったのか、寿葉は楽しそうに何度か飛び跳ねた。
跡部は無言のまま寿葉の後方を見つめる。更衣室や管理事務所がある建物の影から姿を見せた幸村とひよりに鋭い視線を向けた。

その視線に先に気付いたのはひより。思わず立ち止まるひよりに倣い幸村も視線の先を辿る。
寿葉が二人に手を振っていた。ひよりは少しだけ気まずさを感じたが寿葉からはそれが感じられなかったので、気にするのは良くないかなとひよりも小さく手を振って応えた。
「よう、いつかは世話になったな」
幸村と目が合い、跡部は口を開く。やや挑発的な声色にも幸村は冷静さを失うことはない。
「こちらこそ、あの時は真田が世話になったね。でも意外だな、こんな所で跡部に会うなんて」
「お互い様だろ」
突然の緊張感にひよりは様子を窺った。下手に口出しすることも出来ず、ひよりは幸村の後ろで身構える。
跡部が立海に来た時のように試合を申し込んでくるかと思ったが、跡部は幸村の返答を聞いて不敵に笑うだけだった。以前見た時よりも、跡部は余裕があるように見えた。
それを受けて「それじゃ」と幸村は違うコートへ向かおうとするが、それは寿葉によって遮られた。
「せっかくだから跡部様と軽く打ってけばいいんじゃない?」
「おい、」
「跡部様だってホントはやりたいでしょ?幸村くんもその方が退屈しなくていいと思うけど」
寿葉の提案に幸村とひよりは目を合わせた。どうしようかと視線で問われたが、ひよりは答えかねる。
「ひよりちゃんだって二人のテニス見たいでしょ?貴重だよ」
見たいか見たくないかと問われれば、見てみたい。けれどこのタイミングで草試合のようなことをしていいのだろうかとひよりは迷う。
ひよりが難しい顔を浮かべているのを見て、幸村は小さく笑った。
「俺はいいよ」
「キャーやった!」
「でも条件がある」
「…言ってみろ」
「ミクスドダブルスでどうかな」
「ミクスドだと?」
その条件には幸村以外が驚く。
「俺はひよりと、跡部は寿葉ちゃんと。それで構わないなら宜しく頼むよ」
「ゆ、幸村くん。私がいても邪魔になるだけだよ」
ひよりの心配顔をよそに幸村は微笑んだままそれを否定する。ただのフォローだとしても、本人にそう言われては返す言葉がない。
「いいだろう」
「いやいやいやちょっと待って!オイラやるって言ってないべ!」
愉快そうに口角を上げる跡部とは正反対に、寿葉は青い顔をしていた。
「お前が言い出したことだろ、責任取れよ」
「うっ…私テニス上手くないよ」
「ハッ、お前に期待なんかしてねぇよ。ただいるだけでいい。下手に動くな」
確かに期待はしてほしくないが、自分をハンデ扱いされるのもどうかと寿葉は思う。しかし跡部から見れば自分の実力なんてちっぽけなものだと分かっているので反論することが出来なかった。
「ごめんね、勝手に提案して」
「それは構わないけど、幸村くんはいいの?本当は跡部くんとシングルスしたいんじゃ…」
「焦らなくてもいつか戦うことになると思うから、気にしないでいい」
それは全国大会のことを言っているのか、それともその先を指しているのかひよりには分からない。けれどそれはとても現実味がある言葉だった。
「それに、今日はひよりとテニスをしに来たんだよ」
言いながら、幸村はひよりの頭を撫でた。
気持ちを伝えられてから接し方や表現が積極的になっているんじゃないかとひよりは頬を染める。それが嫌ではない自分も自分だな、とひよりは笑った。

そして1セットマッチの試合が始まる。
1ゲーム目。各人ミクスドの経験はない為か様子を窺いながらのラリーが続く。寿葉は言われた通りラケットを握って構えているだけで動こうとはしなかった。
ひよりは幸村とアイコンタクトを取りながら跡部の打球を慎重に返す。跡部は力半分も出していないように見えたが、それでも跡部の威圧感に肌で触れ、ひよりは対戦相手にドキドキする緊張を久しぶりに感じた。
2ゲーム目。跡部が仕掛ける。それは相手のコンビネーションを崩すような典型的な攻撃だった。しかしそこは幸村、ひよりのフォローをしつつ巧みにかわす。
3ゲーム目。巡ってきたボレーチャンスにひよりは腕を伸ばした。それは寿葉の足元に抜けて決まるかと思いきや、それまで動かなかった寿葉がそれを受けた。
「ごめん跡部様。やっぱりじっとしてるのは性に合わないべ」と寿葉は笑う。そして「これから動くから。下手だけど!」とひよりにラケットを向けて小さく挑発した。
ゲームカウント3−2。ひよりは楽しんでいた。テニスを出来る喜びを感じていた。部分部分で交わす幸村とのアイコンタクトに幸せを感じていた。
変な話ではあるけれど、こうしているのが普通のような、そんな錯覚に捕らわれた。本来ならば叶うことはないこの夢のような現実を、一生忘れることはないんだろうとひよりは思った。
そしてひよりのサーブ。トスを上げて空を見上げる。この青が好きだ。見上げた一瞬で爽快な気分になれる。
しかしひよりは空を見上げたまま、ボールはひよりのすぐ横に落ちてバウンドした。
「…ひよりちゃん?」
「ごめん、眩しくてボール見失っちゃった。今のフォルトだね」
レシーブ位置で構えていた寿葉は首を傾げる。こんなにテニス慣れしているのに、サーブトス時にボールを見失うなどあるのだろうか。
サーブを打たなかったひよりに不自然さを感じたのは寿葉だけではなく、跡部も訝しげに視線を向けていた。
「…ひより、大丈夫?」
心配し過ぎかとも思ったが、幸村は訊ねる。ひよりはボールを拾ってから笑ってみせた。
「大丈夫だよ。すごく楽しくて、今のはちょっとそれに溺れちゃったのかも」
笑顔が少しぎこちなく感じたが今を楽しんでいるのは本心だと分かった。それだけでも嬉しかったので幸村はそれ以上は訊かずにポジションへ戻った。

「…ダブルフォルトだ」
未だ怪訝な表情のまま跡部が口にした。ひよりのセカンドサーブはネットに掛かった。
「ごめんね、次は」
「止めだ」
ひよりが言い切るより先に跡部がコートから離れた。
「えっ?なんでだ跡部様!」
寿葉の疑問を流し、跡部は幸村に試合中止の確認をする。
「もういいのかい?」
強気に言ったものの、幸村もひよりに違和感を感じたので跡部の申し出に内心で安堵していた。それは勝つとか負けるとかの安堵ではなく、ひよりの為。
「満足はしてねぇが、やる気が失せた」
「…どういうことかな」
幸村の質問を受けてから跡部はひよりと目を合わせる。
「両足に疲労がきてるみたいだな」
目が合っているのだから自分のことを言われているのだろう。けれどひよりはどこか他人事のように聞こえた。だって今の自分は自由に動ける体なのだ。
「やっぱり気付いてないか。あと1歩出せば簡単に届くようなボールを、腕や上体を伸ばして取ろうとするのが気になった。怪我でもしてるのか?」
跡部の的確な指示に、ひよりと幸村は言葉を詰らせる。まるで本当のひよりを知っているような物言いだった。
寿葉はそれを理解するまで数秒時間を要したが、思い返してみるとその通りだと納得した。
「まぁ、怪我のことはどっちだっていい。万全な状態ではない奴をコートに入れたお前が悪いぜ、幸村」
「…あぁ。」
「待って跡部くん、私まだ出来るよ。最後までやらせて」
食い下がるひよりに、跡部は外した視線を再びひよりに戻す。
本心を射抜く氷のような視線にじっと見つめられてひよりは物怖じした。
「……お前は誰だ」
「え…?」
この世界で誰だと聞かれたことは初めてだった。しかも、あまり面識のない人に。
「立海に行った時も思ったが、お前には何か違和感を感じる。上手く言えないが、周りに溶けきっていない」
ひよりの存在自体を疑問に変えて突いてくる跡部にひよりは動揺を隠せない。
その様子を見て幸村はひよりの傍へ行き、肩に触れた。
「…流石跡部。洞察力があるね」
「幸村くん…」
「俺達立海テニス部に何かがあったのは事実だ。ひよりに違和感を感じるのもそのせいかもしれない。…けれどこれ以上は言えない」
これで跡部が納得するとも思えなかったが、幸村はそう答えるしかなかった。入れ替わりのことを言ったところで信じてもらえるかも分からなかったし、そのことは寿葉の耳にも入れたくなかった。
「…お前らの事情に触れるつもりはねぇよ」
興味がない、という風に跡部は言い放った。そして荷物を手に取る。
「えっ跡部様帰るだか!?」
「お前らより先に青学を倒すのが楽しみだぜ。せいぜい決勝で待ってな」
じゃあな。と跡部はコートを出て行った。その背中には絶対の自信を見ることが出来た。

「…油断できないな」
と、幸村はひよりに笑いかける。心配そうな言葉とは裏腹に、その表情や声はとても期待に満ちていた。
「跡部様最後までオイラを無視してった!とことん追っかけてやる!」
ネットの向こうで一人きりだった寿葉は慌てて自分の荷物をまとめて跡部が消えたコートの向こうへ走る。が、途中で振り返り戻ってきた。そして手招きしてひよりを呼んだ。
何?と首を傾げてひよりは寿葉の傍へ歩み寄る。
寿葉は幸村に聞こえないように小声で話しかけた。
「この間は、その…ごめん。幸村くんは大丈夫そうだね。全国が楽しみだ」
それは以前寿葉が学校関係者に伝えた幸村の評価とは正反対で。あの時は何も知らなかったけれど、今病気のことを知った上でこの言葉を聞けてひよりは嬉しかった。
「ありがとう。みんなで頑張るよ」
「それと、丸井くんはどうしたの?」
唐突に丸井の名前が出てひよりは不思議に思う。その質問の意図がよく分からないが今日は一緒ではないことを伝えると、寿葉は「そうじゃなくて!」と強く否定した。
「いつ丸井くんから幸村くんに乗り換えたのか聞いてるの」
そう言われてひよりはハッとした。彼女はきっと知っていたんだ。もう一人の自分が丸井を好きなことを。
「それは…」
言い淀むひよりを見つめて寿葉は溜息を吐いた。
「言いたくないならそれでもいいけど。…でもホント、跡部様の言う通りだ。あなたは誰なの?」
疑う気持ちはよく分かる。自分も逆の立場ならそうしているはずだ。けれど彼女に言えることは一つしかなかった。
「…私は、秋川ひよりだよ」
いつか見た、泣きそうだけど強い瞳。その視線とこれ以上聞かないでほしいという言い方が、寿葉の疑問を消沈させた。
「…まぁいいや。いつか話せる時が来たら教えてね」
「ありがとう」
寿葉はもう一度溜息を吐いて、けれどそれは次の行動の為の明るいものだった。
寿葉はひよりの向こうにいる幸村を見た。
「全国大会で会えたらヨロシク!あと、デートの邪魔してごめんね!」
大きな声で手を振り、寿葉はそのまま去っていった。
デートと言われてきょとんとするひより。でもよくよく考えてみればその言葉が当てはまってしまったので今更だがひよりは妙に緊張した。
「ひより、今日のことはみんなには内緒だよ。ミクスドとはいえ、跡部と試合したなんて言ったら大変なことになるから」
「そうだね」
この試合のことを追究してくるメンバーを思い浮かべ、ひよりは小さく笑った。
「それじゃあせっかくだから」
不意に幸村はひよりの手を取った。突然手を繋がれてひよりは首を傾げる。
「デート、楽しもうか?」
幸村が余りにも綺麗に微笑むのでひよりは頬が熱くなる。
「や、やっぱりこれってデート…なの、かな?」
「ひよりとデートするなんて、思ってもみなかったな」
ふふ、と照れたように幸村が笑うから、ひよりは胸が熱くなった。「全国大会が終わったらまたデートがしたい」と、つい言いそうになってしまった。
未確定な未来での約束は出来なくて歯痒い。悲しくなる。
でもだからこそ、最初で最後かもしれない今日のような日にひよりは感謝した。






「ひより、跡部の言っていたことは本当?」
「…両足に疲労が、って言われたけど、全然そんな感じはしないよ」
普通に動けるし、走れる。本当の自分の体で感じるような重さや怠さなど感じない。
けれど跡部の洞察力は折紙付だ。彼が言ったことは一理あるのではないかとひよりは思う。
「でも、無意識に庇っていたのかもしれない」
本人の意識はこれだけなのに、跡部はそれを見抜いた。気付けなかった自分は何を見ていたのだろうかと幸村は少し悔しさを感じた。
「ダブルフォルトをしたのは?」
幸村に訊かれて、サーブが上手くいかなかったあの瞬間を思い出す。
見上げた空が、青が、余りにも鮮明で。合宿時に見た蝶を連想した。
「なんだか、動けなかったの。足が痛いとかじゃなくて、力が抜けたっていうか」
「…前にもそう言ってたことがあったね。肘を怪我した時」
「あ、そういえば…」
突然力が抜けるのは、あちらの世界と何か関係があるのでは。
入れ替わりのことで一つ解りそうな何かのヒントのような気がしたけれど、考えても答えは出なかった。



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