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蝶々結び
スイカと雨上がり


二人で部屋を出たが、仁王はそのまま何も言わず先に行ってしまった。ひよりはその後姿を見ながら一先ず食堂へ行こうとその足を進めた。
階段を下りようとした所で階下にいた人物と目が合った。数秒二人の視線が膠着し、ひよりはその視線の意味を読み取ろうとした。しかし読み取る前に彼は視線を外し、何を言う訳でもなく階段を上ってきた。
「真田くん」
すれ違い様に名前を呼ぶと、その歩みは止まった。振り向いた真田は再び視線を合わせる。
もし丸井のように良く思われなかったら、とひよりは真田が口を開くまでの間、緊張していた。
「…入れ替わったのか」
ひよりの一言で状況を把握した真田に確かめられ、ひよりはゆっくり頷く。
「…そうか」
溜息交じりのようなその声は、ひよりの予想通り残念そうな色を含めていた。けれどどこか安心したようにも聞こえた。
おかしいな、とひよりは思う。自分がここに来て安心されるような理由はひとつも見当がつかない。
「俺の他には誰かに会ったか?」
「丸井くんと仁王くん。さっきまで一緒だったんだけど」
「幸村には会っていないのだな」
「…どうして?」
他にも会ってないメンバーはいるのに、ここで幸村の名を出したことに驚く。
ひよりがなるべく平静を装って問うと、何故か真田の方が驚いた素振りを見せた。
「…いや、深い意味はないんだが」
その間は意味があると答えているようなもので、正直な人だなとひよりは思ってしまう。
「…そう?」
「…ああ。」
それでも白を切るつもりらしいので、仕方なくひよりは追求することを止めた。
「じゃあ、幸村くんがどこにいるか知ってるかな?」
ひよりの問いに真田は黙る。
迷った。先程ロビーで話していたこと、幸村がひよりのことで不安定になっていることを言っていいものかどうか。
しかし言ったとして、何故不安定になっているのかと尋ねられると自分は答えられない。
それを答えるのは幸村本人のやることだと、真田は結論付ける。
「いや、見ていない」
そっか、とひよりは少し眉を下げる。
自分が嘘を吐いたことでひよりがこのような表情をするのは居た堪れない気分になる。
真田はなんとなく動けず、ただひよりを見下ろした。するとひよりは直ぐに表情を明るいものに切り替えた。
「あのね、」

「うわっ!副部長達どいて下さい!」
ひよりが何か言おうとした時、その声に被る様に聞こえてきたのは一直線の廊下の奥、もう一つの階段がある方から赤也が叫んだもの。
ひよりと真田がその姿を見て疑問に思っている間にもどんどん赤也は二人に走り向かってくる。その直ぐ後ろにはジャッカルが同じく走り向かってくるのが見える。
「えっ、なに?」
「うおおおおお!」
ひよりは赤也に尋ねてみるがそれは走っているせいか本人には聞こえなかったらしくスルーされる。
慌てて二人は廊下の端に寄り、二人の間を赤也はスピードを緩めることなく過ぎって階段を上がっていった。
その後を辿るように今度はジャッカルが二人の間に来て止まった。
「悪いな。今、赤也のペナルティメニューの一環で階段と直線廊下を使った走り込みしてて。タイム計ってるから止まれないんだ」
赤也の代わりにジャッカルが弁解した。
「でも、ジャッカルくんが一緒に走る理由は…?」
「まぁ、別にないけどな。雨でじっとしてるのも勿体無い……え?お前、秋川…?」
ひよりの疑問にすんなり答えたジャッカルだが、もう一人とは違う呼び方にこれまでの皆と同じく反応を示す。
「私、戻ってきました。度々お騒がせしてごめんね」
苦笑して、少しおどけるようにひよりが改めて伝えると、ジャッカルも同じく苦笑した。
彼はこういう困ったような笑顔をよく見せる。そしてそれが何故かよく似合う気がした。本人に言うと今度こそ苦い顔をされそうなのでそれはひよりの内に留めておく。
「そんな冗談言えるなら大丈夫だな」
「…また、よろしくね」
お騒がせを冗談で言ったつもりはないとジャッカルもよく分かっているだろう。けれど敢えてそう言って、ジャッカルはひよりの気を軽くする。
気を使ってくれているのが分かったのでひよりは否定しなかった。
「秋川、先程何か言いかけていたようだが」
「あ、そうだ」
「ん?何だ?」
真田とジャッカルの視線が同時に向けられて、ひよりは再び明るい表情を作る。
「みんなでスイカ食べたいなと思って。誰かに会ったら食堂に集合って伝えてくれる?」
「いいだろう」
「ジャッカルくんも、練習の邪魔じゃなかったら赤也くんに言ってもらえるかな?」
「ああ、分かった。下に行けば柳もいるから伝えとくぜ」
二人の承諾を得て、ひよりは階段に向かった。
「ありがとう。じゃあ私は先に行って準備してるね」
言って、三人はそれぞれ違う方向に足を進めた。
本当は、幸村くんを探しに行きたかった。けれど怖かった。幸村くんに存在を否定されてしまったらと考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。
そうであってほしくないと願うけど、先程の丸井と重ねてしまう。
気持ちを伝えるまで戻りたくないと望んだのに、臆病な自分に嫌気が差す。
階段を下りる足が止まった。
この世界にいられる猶予が気持ちを伝えるまでだとしたら。もし気持ちを伝えてしまったら、私はどうなるんだろう。その先は…。
時間が多く残されていないことは予想できる。分かっているけれど、自分の未来がバッサリと切り落とされたみたいで目が眩むようだった。
ひよりは今考えたことを払うように頭を振って再び歩き始めた。




「…驚かないんだね」
初めてこちらに来た時はこんなことを考える余裕はなかったが、二度目にしてみんなの落ち着きようにひよりは感心した。
再び入れ替わったことを告げても、皆が皆それを寛容に受け入れる。まるでそれが分かっていたことのように。丸井の場合は少し違うけれど、どちらかと言うとその反応の方が普通ではないかと思う。
「いえ、ひよりさんにはいつも驚かされてばかりですよ」
食器棚から皿を数枚取り出しながら柳生は答えた。
そうだとしてもひよりにはそう見えなかったので、うーん、と少し首を傾げる。そんなひよりに柳生は小さく微笑む。
「初めてこちらに来た時も、テニスをした時も、跡部くんや寿葉さんが来た時も」
「…そんなこともあったね」
よく考えると、これまでのことはあまり振り返ったことがなかった。今ある現実に身を置くことで精一杯で、あるかどうかも分からない先のことばかり考えていた。
こちらでの出来事を振り返ることは、少し余裕がないと難しい。その余裕をくれたのは言わずもがな、みんなの優しさだ。
「私ね、戻る前にこう思ってたことがあったの」
なんですか?と柳生は皿を持ち隣に並んだ。
「戻ったら、全部忘れてしまうんじゃないかって」
元に戻って分かったけど、それはただの杞憂だった。戻っている数時間はみんなや幸村くんのことを考えて悲しかったけど、でも。
「忘れなくて良かった。みんなで宿題したこととか楽しいことだけじゃなく、バスで倒れたことも、本当は…歩けないことも、みんなも覚えてくれてて良かった」
独り言のように言いながら、ひよりはスイカを切った。ストンッと心地いい音がキッチンに響く。
「…忘れませんよ、絶対に。」
ただ一言、柳生が告げた。その優しさにひよりは心が震えて泣きたくなり、やんわり滲む視界に慌ててスイカに意識を戻した。
「手伝わせてごめんね」
ストンッとまた包丁とまな板が鳴く。
「好きでやっていることなので気にしないで下さい」
食堂のドアを開けると、そこには柳生の姿があった。みんなでスイカを食べようとひよりが言うと、準備を買って出てくれたのだ。準備と言っても切って並べるだけなのでもちろんひよりは一度断っている。

「…雨、上がりそうですね」
「ほんとだ。これ食べたら直ぐ練習再開出来そうだね」
切ったスイカをテーブルに運びながら窓の向こうを見ると少し光が差していた。
「どうでしょう、コートが乾くまで少し時間がかかるかもしれないですね」
「あ、そっか。水はけ確認しないとね」
適当に並べて準備は済んだと椅子に座る。少しの間、先程のように柳生と二人でこちらでのことを振り返って話していた。
短い間だけれど本当に色々あったなと、ひよりは懐かしく思う。数日前のことを懐かしいと思うのは変かもしれないが、世界が違うと思うとその時間や距離も随分遠く感じられるから不思議だ。
そこで、初めて来た時のみんなの様子を柳生が話した。ひよりが幸村と話して、ひとり花壇で待っていた頃、みんなで話したと。
「今だから言えますが、あの時、丸井くんだけがやや否定的でした」
その言葉にひよりは一度だけびくりと肩を震わせた。だけど彼の気持ちを知っているから納得できた。
柳生が丸井やもう一人のひよりの気持ちを知っているのかは分からないが、柳生の表情は柔らかいものだったので、ひよりはなんだか暖かい気持ちになった。
ひよりは柳生の話を聞きながら先程のことを思い出していた。
仁王くんは、丸井くんをここに連れてきてくれるだろうか。
そう思った時、食堂のドアが開いた。
「うあー涼しー!」
手の平を団扇にしながら汗だくの赤也を先頭に、柳、ジャッカルと続いた。
「エアコンの温度もっと下げていいっスか?」
聞いているくせに本人にとっては決定事項らしく、赤也は壁にあるエアコンのリモコンを手に取った。
「赤也くん、体を急に冷やすのは良くないよ」
他の誰かが制する前にひよりは赤也に忠告した。
すると赤也はひよりを見つめて、持っていたリモコンを落とした。それが運悪く自らの足に当たった。
しかしそれを気にすることなく赤也はひよりが座っている前まで近付き、ジロジロとひよりを凝視した。
「…え?な、なに…?」
マジマジと見つめられてひよりはしどろもどろになる。
「うわっ!マジで!本物!?」
ひよりの存在に本物も偽者もないのだが、という突っ込みが柳の口から出たが赤也は驚きで聞こえていない様子だ。
柳はやれやれと落ちたリモコンを元の位置に戻して、ジャッカルと共にテーブルに歩み寄る。
「3時間と47分振りだな」
そう言って柳はひよりの斜め向かいに座った。
告げられた時間は柳が言うのだから恐らく正確なのだろう。実際はもっと長く感じたと思うのはひよりだけじゃないかもしれない。
「仁王くんや真田くん達は見ましたか?」
赤也とジャッカルも座るのを見て、柳生は尋ねる。しかし三人は三様に否定をした。
「どうする?」
ジャッカルに問われ、皆も同じようにひよりを見た。
決定権は自分に委ねられたことをひよりは察して、少し考えて口を開く。
「みんなで食べようと思ったけど、強制じゃないし…」
「じゃあ先に食べちゃいましょうよ」
ひよりが決めかねていると赤也が口を挟んだ。
「…そうだね。真田くん達の分は残しておこうか」

「お前らだけ先に食おうとしてんじゃねぇよ!」
会話が聞こえていたのか、ドアを開けるなり丸井は声を大きくした。
「相変わらず食い意地張っとるのぅ」
丸井の後ろから仁王が入ってきて、その表情は呆れ顔だった。
仁王はひよりに視線を合わせ、ひよりだけに分かるよう小さく笑った。それを受けてひよりは幾らか安心する。
ひよりはありがとう、と口の動きだけで仁王に伝えた。
躊躇うこともなく丸井はひよりの隣に座った。ひよりは少し身構えたが、丸井はそれに気付かず目の前のスイカに手を伸ばした。
「よしじゃあ食おうぜ。いただきまーす」
そう言って丸井は誰よりも早くスイカを頬張った。
それを見て他のメンバーも遠慮なくスイカを手にする。それぞれにスイカを褒める言葉を口にしていたので、ひよりは持ってきて良かったと思った。
柳がスイカの豆知識を話し、それを聞く柳生とジャッカル。赤也はスイカの種を取りながら仁王に話しかける。仁王はそれを聞いているのか聞いていないのか曖昧な相槌しかしていなかった。
その光景を見て、当たり前のことだけれど、3時間ちょっとじゃ何も変わらないんだなとひよりは実感した。
「ひより」
不意に隣から名前を呼ばれて、ひよりは丸井を見る。
本当は顔を合わせ辛い気持ちもあったけれど、自分を呼んだ声が少し神妙だったのでひよりは真剣に丸井に耳を傾けた。
「さっきは悪かった」
「ううん、私もごめんね」
「誰も悪くねぇよ」
と、丸井は仁王の言葉をそのままひよりに告げる。
「…ありがとう」
「…おう」
少し照れくさくなってひよりはスイカを口に入れる。瑞々しくて甘くて、なんだか少し恋心に似ているような気がした。自分がいいと思うものをみんなと共有出来ることが嬉しかった。
「…もう一人の私は、私に何か言ってた?」
フと気になって丸井に尋ねる。自分達は面と向かうことは出来ないから、何か言っていたのなら知りたい。
「何かって…」
ひよりとしては本当に他意はなくただ聞いてみただけだったが、丸井は何か思い当たることがあったらしく続けようとする。
「……え、と」
「うん?」
「……な、何も言ってねぇよ」
しかし丸井は誤魔化し、何故か顔を赤くしていた。
「…え?どうしたの?」
「何もねぇって言ってんだろぃ!」
照れ隠しの為か声は少し大きくなって、丸井は吐き捨てた後スイカに齧りついた。これ以上喋る気はないらしい。
「ブン太に手を出したらぶっとばす」なんて、俺の口から言えるかよ。ただの惚気みたいじゃねぇか!
隣で丸井がそう思っていることは、ひよりはこの先も恐らく知ることはない。




上がり



間もなく真田が食堂に姿を見せた。精市は一緒じゃないのかと柳が問うと、後から来る旨を真田が答える。
バチッと真田と視線がぶつかって、真田は先程と同じように何か意味がありそうな視線をひよりに向ける。
しかし再びその意味が伝わる前に真田は視線を逸らした。



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