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蝶々結び
予期せぬ再会


赤也はイライラしていた。
それは表情にも態度にも、赤也が纏う空気にも、ラケットを置くような些細な動きにも表れていた。
理由は本日の練習メニューにあった。
「ゲームウォンバイ幸村、6−0」
審判をしていたジャッカルがマッチポイントが決まったことを確認して言った。
はらり、と幸村が肩に乗せたままのジャージが止まった。
相手が赤也でも、やはり圧倒的な強さを見せる幸村。リハビリ明けということも忘れてしまいそうだ。
本日の練習のメインはメンバー同士の総当り戦。OBには勝っても現在の3年には歯が立たず、赤也は黒星を連ねていた。
「あああああっ!!」
言葉にならない声を出して赤也がラケットを地面に叩き付けた。そしてラケットを拾うこともなく、誰とも目を合わさずにコートを出て行った。
「…逃げたか」
「…逃げたな」
赤也の背中を見送って仁王が呟き、丸井が応答した。
「アイツ去年も逃げたよな。ああいう所全然成長してねぇなー」
「俺としては試合が減るならそれでもいいんじゃけど」
仁王がそう言うと、丸井が呆れたように視線を向けた。後ろの方で柳生の咳払いも聞こえたような気がしたが仁王は気に留めず続ける。
「にしても、イキナリ三強と三連戦はないんじゃなか?」
「どんな順番であれいずれは当たる」
「手加減しても赤也の為にはならん」
「それでも向かってくるからこそ、赤也には期待しているんだ」
一言ずつ応える三強に、仁王はやれやれと肩を竦めた。そう言いながら一番負けず嫌いなのはお前さん達じゃなか?そう言うのは控えておいた。
「さ、次の試合に移ろう。次は仁王と柳生、真田と蓮二だ」
赤也が捨てていったラケットを拾い上げて幸村はさらりと次を促した。
「赤也くん、大丈夫なの…?」
ラケットをフェンスに立てかける幸村にひよりが尋ねた。
その質問に幸村は数回瞬きをして間を空けたが、次に言う言葉は決まっているようだった。
「…どうだろうね」
「え?」
「大丈夫か大丈夫じゃないかは赤也次第」
確かに、幸村の言う通りだ。赤也はこれまでも何度もプライドを崩されてその度立ち上がってきたのだろう。
そして皆は赤也が戻ってくると信じている。ひより自身もそう思う。けれど、不安は消せない。
「…私、ちょっと様子見てくる」
「私も行きましょうか」
心配を声色に乗せて柳生がひよりを見た。
「柳生くんはこれから試合だし、私だけで大丈夫だよ」
「しかし彼は怒ると乱暴になることもあるので…気を付けて下さい」
「ありがとう。じゃあ幸村くん、少し抜けるね」
そう言ってひよりは赤也が消えた方向へ同じく姿を消した。
「始めるぜ、幸村」
ジャッカルに呼ばれて、見えなくなったひよりの姿をまだ追いかけていることに幸村は気付く。
幸村はそれを隠すように大袈裟に振り返り頷いた。


爪先と足首に少しの痛みが走った。木の幹を蹴ったせいだ。
蹴られた木からは当然ながら何の反応もない。
目の前の木は見覚えがある。いやむしろ、馴染みがあると言った方が正しい。
去年も同じような状況でこの木を蹴った。表皮が剥がれるくらい何度も何度も。その証拠にたった今脚をぶつけた部分は他よりも色が薄い。1年じゃ元には戻らないらしい。
赤也は舌打ちをして顔を歪める。
試合内容にしろこの行動にしろ、成長していないのは自分が一番分かっている。だからイライラする。
「赤也くん」
ドキッとした。木を蹴ったことを見られたかと思ったのもそうだが、ひよりが追ってきたこと自体に驚いた。
去年もこのタイミングでひよりが姿を現し、無言でひっぱたかれた記憶がある。理不尽だと思ったが、手を引かれ無理矢理コートに戻らされた頃にはどこかスッキリしていた。
まさか今のひよりが同じことをするとは思えなかったが、赤也は無意識に体を緊張させた。
「…なんスか」
問いかけてもひよりは口を閉じてただ赤也を見ている。まるで自白することを迫られているような感覚。
なんだよ。俺が悪いって言いたいんだろ。謝ればいいんだろ。
そうは思ったが、口にしてしまえば自分が悪いと認めたことになる。赤也にはそれが出来なかった。
ひよりの視線に耐えられなくなり、赤也はもう一度幹を蹴った。
その勢いに驚いてひよりの肩が少し跳ねた。
怖がるくらいならコートに戻ればいいのに。
「先輩達みたいにほっといて下さいよ」
「ほっとけない。…連続だったから疲れてるでしょ。ちゃんと水分補給しなきゃダメだよ」
そう言って差し出されたのはドリンクボトル。受け取りにくい気持ちもあったが、喉が渇いているのは確かなので無言でそれを手に取った。
ドリンクを喉に流すとそこから体が冷えていく。火照った体には丁度いい冷たさだ。
口からボトルを離して、ちらりとひよりを見る。ひよりは赤也と視線を合わせずにその場に座った。
何か言われるかと思ったがひよりが口にしたのは赤也が恐れていた内容ではなく、今日も暑いよね、というどうでもいい薄い内容だった。
ひよりの意図も読めず、どうしたらいいのかも分からず、赤也は視線が合わないひよりを見下ろしていただけだった。
少しの沈黙の後、座ったら?というひよりの言葉に赤也は素直に隣に腰を下ろした。
風が吹いて木漏れ日が揺れた。

「…赤也くん、足、痛めてない?」
不意にひよりが視線を合わせて口にした。赤也はまた心臓が大きく跳ねた。
物に当たるな。そう言われると思った。しかし次の言葉は赤也の予想とは全然違う返答だった。
「お願いしていい?」
「…はぃ?」
予想外過ぎて声が裏返った。
「お願いだから、大会前に怪我するようなことはしないで。一人も欠けてほしくないから」
怪我は大会後だって気を付けてほしいけど。とひよりは付け加える。
しかし赤也はその付け加えられた内容はどうでもよかった。一人も欠けてほしくないと言ったひよりは幸村のことを知っている口調で、そっちの方が気になった。
「…聞いたんスか、部長のこと」
「…うん、本人から」
それは自分の告白と引き換えに聞いたようなものだけど。と、ひよりはそれを口にせず飲み込んだ。
どんな経緯で聞いたのか赤也には想像できなかったが、他人の口からではなく幸村本人が言ったのならそれでいいと思った。
「みんなで全国に行こう。みんなで、優勝しようよ」
素直に頷くには照れ臭くて、でも同意せずにはいられなくて。赤也はひねくれた口調で「当たり前っスよ」と口にした。
不思議とイライラが消えていた。負けたことは悔しいが、それ以上に闘志が湧いていた。
こういう、他人を穏やかにする所がひよりの一番良い所かもしれないと赤也は思う。
「なんか木陰って気持ちいいね」
「って先輩、俺を連れ戻しに来たんじゃないんスか?」
すっかりくつろぎモードに入っているひよりに赤也が笑うと、同じくひよりも笑顔を返した。
「無理矢理引き戻したりはしないよ。息抜きも必要だしね」


「…そろそろ戻ります。負けた分のペナルティメニューもこなさないといけないし」
どれくらい経ったか、赤也の体力は回復したようで座っていた木陰から立ち上がった。
「うん、残りも頑張ろう」
同じくひよりも立ち上がり木から離れる。と、ひよりが赤也の背後を見て「あ、」と呟いた。
誰か来たのかと赤也は背後を振り返る。しかしそこにいたのは人ではなく。
「青い蝶…」
それを発見して赤也は思わず呟く。
いつか見た蝶と似ている。というより、同じにしか見えなかった。やっぱりCGみたいだ。
「綺麗だね」
ひらひらと遊ぶように飛ぶ蝶を見つめ、ひよりはそれに釣られるように赤也を通り過ぎて近付いていく。
また逃げられるんじゃないかと赤也は思ったが、今度はそうではなかった。蝶の方もひよりに近寄っている。
蝶はひよりの目の前を飛んでいた。何かを伝えているようにも見えた。
自分の周りを舞う蝶に驚きながらもひよりは人差し指を差し出す。
まさか、とんぼじゃあるまいし。赤也が笑うよりも先に、蝶はひよりの指に止まった。
「わ、止まった!」
小さな子供のように嬉しそうに言うひよりの後姿が可愛らしく思えた。
蝶が指に止まっている為動けないひよりは、数秒間その蝶を見つめていた。
そして蝶はひよりから離れてどこかへ飛んで行く。

蝶を見送って赤也はひよりの肩を叩いて行きましょうと合図した。
赤也はそのまま数歩進んで、後ろに足音が聞こえないことに気付く。不思議に思った瞬間、ザザ、と地面が擦れる音がした。
またひよりが倒れてしまったのではと赤也は瞬時に振り返る。
しかしひよりは倒れてはいなかった。
倒れてはいなかったが、座り込んで自分の足を撫でるように、その存在を確認するように触れていた。
「……私…」
体調を悪くしたようではなかったが、何か様子が変だと赤也は思う。
「ひより先輩?」
赤也の呼びかけに、ひよりは初めてそこに赤也がいることを知ったような表情をした。
赤也と目を合わせて、数秒。
「赤也…?赤也っ!今日、何月何日!?」
「何言ってるんスか、今日は8月………え?」
今、先輩は俺のことを何と呼んだ?今、確かに「赤也」と言った。
今のひより先輩はさっきまで「赤也くん」と言っていたはずだ。急に呼び方を変えるとは思えない。加えて、質問の内容もおかしい。

もしかして、もしかしてこれは。
「……まさか…ひより、先輩…?」

























「部長!幸村部長!!」
息を切らして赤也はコートに戻ってきた。その姿を見て、誰もが不審に思った。
「どうしたんだい、そんなに慌てて。…ひよりは?」
「そっ!慌てっ、ていうか先輩が、ぶちょ!」
「…赤也、落ち着いて話して」
幸村が宥めると、赤也は何度か急ぎの深呼吸をした。
そして顔を上げて皆に聞こえるように声を大きくする。
「ひより先輩が戻りました!」
まるで真空の中。空気がなくなって息苦しいようにも感じられた。そう感じたのは自分だけだろうかと、幸村は皆の顔を見る。
どうやら誰もがその言葉の意味を理解するまで時間を要していた。
「…それはどういう、」
幸村がその意味を確かめようと口を開く。ほぼ同時にカシャンとフェンスが鳴いた。
フェンスに触れるその人物はひより。ひよりはどこか覚束ない足取りでフェンスの内側に入る。
何が起こったのかと驚きや動揺を隠せないメンバーを一瞥して、ひよりはその足を速めた。
ひよりが駆け寄ったのは入り口に近い場所にいた幸村や赤也ではなく。


「ブン太…!」

丸井を「ブン太」と呼ぶひよりは、両手を伸ばして丸井に触れた。



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