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蝶々結び
不安定に交叉する


流石、と言うべきだろうか。
これは現メンバーに対してもOBに対しても言えることだった。
試合はどれを見ても目を見張るものばかりだった。OB達はやはりキャリアがある為経験の差を見せ付ける。技術もパワーも恐らく同年代のレベルから越えていた。
しかし驚くべきは現メンバーの方である。その上を行っていたのだ。
人によっては苦戦を強いられることもあったが、結果だけ見てみれば9割の勝率で現メンバーが勝っている。短い間だが今まで見てきた彼らが更に力をつけていた。
そしてOBとの練試が中盤に差し掛かる所で、ようやく水原の試合が始まった。
相手は丸井。水原はパワーよりも技術が高い。自分から仕掛けず相手のミスを誘う水原のようなテニスは、丸井が苦手とするタイプじゃないかとひよりは思った。
予想通りその試合は丸井が好まない持久戦になった。
隣のコートで赤也が試合を終わらせた頃のことだ。逆コーナーへと体を反転させた瞬間、水原がコートに倒れこんだ。水原が追おうとしていた打球は何度か跳ねてフェンスにぶつかった。
「大丈夫ですか!」
ひよりが慌てて水原に声をかける。一応、試合中なのでコートには入らなかった。
「ちょっと張り切り過ぎた。大丈夫大丈夫」
そう言ってゆっくり立ち上がる。しかし右足に重心が移動した瞬間、水原の動きが止まった。
どうやら右の足首を痛めたようだ。水原は痛む箇所を抱えるように蹲った。
「丸井、少々いいか」
了承を得たのは柳。恐らくひよりと同じ判断をして試合を中断させた。
丸井は少し荒い呼吸を整えながら頷いて、ひよりと共に水原の元へ行った。
「痛みますか?」
「…足首、捻ったみたいだ。」
自己申告する水原はとても残念そうな表情を浮かべていた。練試の為にここまで来たのに怪我をしてしまっては意味がない、そう思ったのだろう。
「とりあえずコートから出ましょう。立てますか?」
ひよりが水原の腕を取って立ち上がろうとした。しかしひよりだけでは支えきれずよろけてしまう。
「っと、危ねぇ」
倒れずにいられたのは咄嗟に丸井が反対側を支えたからだ。
「俺が支えてっから、お前はアイシングと救急箱用意してこい」
「う、うん、分かった。よろしくね」

この状態では恐らく今日はもう動けないだろうと判断し、丸井はフェンスを出て宿舎へと水原を運んだ。
水原をロビーの二人掛けソファに座らせて、丸井は腰に手を当てて一息吐いた。
「少し油断してたんじゃないですか」
「こんなザマじゃ返す言葉がないな」
はは、と水原は乾いた笑いを続けた。
「先輩を倒せるって楽しみにしてたのに」
「お前昔から口はデカイよな」
「…俺は口も器もデカイんスよ」
「丸井は変わってねーな」
先輩は少し変わったんじゃないですか。先輩は試合中に怪我するようなテニスはしない。丸井はそう思ったが口にはしなかった。
「お待たせしました!」
ぱたぱたと足音を立ててひよりがソファに駆け寄った。
「じゃ、俺は戻るぜぃ」
「ありがとな、丸井」
水原に倣ってひよりもありがとうと返し、それを受けて丸井は宿舎を出て行った。
丸井を見送った後、ひよりは水原の足首をアイシングした。
「…せっかく来てもらったのに、怪我をさせてしまってすみません」
「これは俺が悪い。秋川が謝ることじゃないって」
「そうかもしれないですけど…帰ったら病院に行って下さいね」
もう一度謝ると水原は気分を悪くすると思い、ひよりは言うことが思い付かず口を閉じた。
「さっきも気になったんだけど、その肘どうした?」
水原は言いながらひよりの肘を指す。先日、幸村に手当てしてもらった傷がまだ残っていた。
「あ、これはこの前転んだ時に擦りむいて…」
「気を付けろよ?テニス部みたいな殺伐とした所にいてもお前は女子なんだから」
「…ありがとうございます」

「…秋川は、このまま立海に進学するんだっけ?」
「え?」
短い沈黙の後に出た水原の言葉は唐突な質問だった。ひよりは驚いて水原を見上げる。
ぶつかった視線は、さっきまでとは何か違う気がした。
「…いえ、まだ決めてなくて」
「まだ?そんな余裕あるのか?」
普通に考えれば3年のこの時期にはもう進路を定めている割合の方が多いだろう。もし卒業を迎える頃にまだここにいたとしても、ひよりはそんな先のことまで考えられなった。
ひよりが苦笑を浮かべると、水原はソファに頬杖をつく動作の中で周りに人がいないかを確認した。
「…俺は、また同じ学校に通えたら、って思うけど」
そして頬杖だった手が、氷嚢を足首に当てるひよりの手に重なった。
言葉にもそうだが、水原のその動作にひよりは驚いて反射的に手を払った。アイシングの氷嚢がカシャと音を立てて床に落ちた。
何だろう、この感じ。水原はこういうことをする人だっただろうか。
「す、すみません。落としてしまいました」
動揺を取り繕うようにひよりは氷嚢を慌てて拾った。再び足首に当てようとしたが、今度はその手首ごと水原に掴まれた。
その腕が引かれ、え?と口にする前にひよりは水原の隣に座ることになった。
近距離で水原の視線が絡んだ。それから逃げるように体を引いても、背中に肘掛が触れるだけだ。
「ビックリしたよ。1年の時と比べて秋川が凄く変わってるから」
変わったと言われるのは今はもう慣れたことだった。しかしひよりは適当な誤魔化しを口にすることも出来ず、揺れる瞳で水原を見ていた。
「真面目そうになったのは意外だったけど、女の子らしくて、大人っぽくなった」
氷嚢は二人の足元に落ちたまま、捕まれた腕はまだ解放されていない。
水原が何を言おうとして、何をしようとしているのかひよりには分からなかった。
恐怖に似た焦りが血液の代わりに全身を巡っているようだった。
「実は7月の終わりに中学に顔を出したんだ。その時、花壇にいる秋川を見かけて。あの時、なんで泣きそうな顔をしてた?」
ひよりは目を見開いた。
水原が言う秋川ひよりは入れ替わった直後の自分だ。部室から飛び出して一人になったあの時の記憶が鮮明に蘇ってきた。
「…まぁ泣きそうな理由なんて何でもいいけど。その時に今年の合宿に参加することを決めたって言ったら、秋川はどう思う?」
「…わ、かりません」
「分からないは酷いぜ」
水原は笑った。ふざけているように、しかし目は真剣なものだった。
「初めっからお前が目的だったってこと。」
水原の視線を遮ろうと空いていた腕を眼前に持ってきた。しかしそれは叶わず、むしろ悪い方へと転んだ。両腕が掴まれて動きがとれなくなった。
水原は右足をひより側へ踏み込んで更に距離を詰めた。
ひよりは即座に気付く。立てないほどの足首に、それとほぼ同様の力を入れられるはずがない。
「水原さん、右足…」
「あぁ。怪我は、秋川と二人になる為のウソ。」
さらりと、先程ラリーをした時とは別人のように水原は言い放った。

"水原は自分の実力を誰かの口を通して伝えられるのが好きではない。確かめるのなら自分自身で。水原はそういう人だ。"
"水原はパワーよりも技術が高い。自分から仕掛けず相手のミスを誘うようなテニス。"
あまりにも共通する部分が多くて、自分が知っている水原を勝手に重ねて人格が同じだと錯覚していた。
彼に対して抱いた懐かしさも、嬉しさも、嘘だったんだ。
私が知っている水原さんはこんなことしない。水原さんは嘘を吐かない。
違うんだ。分かっていたはずのに。

「…ゆき、むらくん…っ」
水原の上体がひよりに重なるように近付き、ひよりは弱い声で幸村の名を呼んだ。
「ひよりー、手当てが終わったら試合のスコア取ってほしいんだけどっ!」
あと数cmで唇が重なるという瞬間、玄関の方から声がした。声をかけた人物は語尾を強くしてドリンクボトルと共に言葉を飛ばした。
ボトルは水原の背中に命中した。
「センパーイ、合宿に来てそれはないんじゃないスか?」
ボトルによって水原の動きが止まりひよりの腕は解放された。それを見て丸井は一先ず安心し、水原を睨みながらひよりの側へ歩んだ。
そしてひよりの腕を取って自分の後ろに立たせた。
「先輩に物を投げつけるとはいい度胸してる」
「…センパイ、変わりましたね」
「2年もあれば人は変わるんだよ」
自分を正当化する水原を見て、丸井は嫌気が差した。同時に、水原に対して失望した。
「これでもセンパイのこと尊敬してたんですよ」
「…過去形か。笑えるな」
水原が立ち上がった。そして不意にひよりに向けて腕を伸ばした。
「ひよりに触んじゃねぇ!!」
瞬間、丸井の大きな声がロビーに響いた。
水原が怯んだ隙を縫って丸井は無言でひよりを連れ出した。
丸井の大きな声にひよりも驚いていた。速い歩幅で進む丸井に合わせて半ば走るように足を動かしながら、ひよりは丸井の背中を見ていた。


玄関を出てコートへの中間地点でその歩みは止まった。
掴まれていた手首は離されて、同時に丸井は振り返った。
「なんでもっと抵抗しねーんだよ!」
怒りを露わにしたその声と表情はひよりが初めて見るものだった。
「お前危なっかしいんだよ!もっと危機感を持てよ!」
丸井の勢いに圧倒されて、ひよりはただ彼を見上げるだけで何も言えなかった。
しかし自分にも非はあったことを自覚してその目線は次第に俯いた。
「…ごめんなさい」
ひよりの呟きを耳にして、丸井は次に言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
「…別に、謝ってほしいとかじゃなくて」
危なっかしくて放っておけないのは事実だ。でもそう思うと同時に自分にはどうにも出来ない歯痒い感情にぶつかる。
入れ替わる前のひよりだったら、同じ状況でも自身で脱出するに違いない。それならこんな心配もせずに済んだのに。
そう思うこと自体不毛なことだと分かっている。でもどうしても考えてしまう。だから歯痒い。
「……水原さんを知っていたの」
「…知っていた?」
今はその名前すら聞きたくないと思ったが、自分が知りたかったひよりと水原の関係を示す言葉に丸井はひよりに聞き返した。
「向こうの世界で、同じ人を知ってるの」
そんな偶然があるのだろうかと丸井は思った。
「待て、でもそれはお前と同じように、その…姿は同じでも別人だろ?」
ひよりは頷いて自分にも確かめるように続けた。
「同じ人かと思うくらい似ていた。だから勝手に重ねて、同一人物だと錯覚してた」
丸井は何も言えなくなった。自分もそうすることがあるからだ。
笑っているひよりを見て、もう一人のひよりを重ねたこともある。後姿を見ては、元に戻っているんじゃないかと錯覚を起こす。
「知ってる人がいるって思ったら、嬉しくて」
「…………」
「でも怖かった。もし丸井くんが来てくれなかったらって思うと…」
ひよりの指先が自身の服の裾を掴んだ。きゅ、と結ばれた手は微かに震えているように見えた。
そんなひよりを見ていられなくなり丸井は大きく息を吸った。
「あー!もういいって!今のことは忘れろ!コートに戻るぞ!」
「え、でも水原さんは…」
あんな目に遭っても尚アイツのことを気にかけるひよりの気が知れない。
「ほっとけ!それとアイツが帰るまでお前は絶対に近付くな!いいな!」
捲くし立てるように言われて、その勢いに釣られてひよりは「…はい」と返すだけだった。






あの時、ひよりが小さく声にした名は自分ではなかった。
当然といえば当然だ。今のひよりは誰よりも幸村に心を開いて、信頼している。
でもどこかで腑に落ちない自分がいた。ひよりの隣は、いつだって自分がいる場所だと思っていた。
もし入れ替わりがこのまま元に戻らなかったら、この気持ちはどこを彷徨うことになるのか。
それは自問した丸井自身にも、他の誰にも分からないことだった。




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