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蝶々結び
転がり始める


「本当に持って行くの?」
「うん、みんなにも食べてほしいから」
3泊分の荷物とビニール紐でくくったまるごとのスイカをせーので持ち上げて、ひよりは母に向き直った。
「行ってきます」
「頑張ってね」
うん、と頷いてひよりは家を出た。

全国大会前の合宿は、その年のレギュラーとマネージャーのみで行われる。
都心から離れた高地にある施設で行われる為、出発はまだ空気が涼しい早朝。
一応監督者として学校の関係者が同行するけれど、合宿内容にはあまり触れず、生徒達が自主的にメニューを組んでいる。
もう一人の自分と記憶は共有しているはずなのに、何故自分がこのことを忘れていたのかは分からない。しかし参加するからには全国三連覇の為、自分の仕事を全うしようと思った。



「あれ、赤也くんがいる」
集合場所の校門前に到着すると、ひよりが一番遅かったようで既にメンバーは揃っていた。
それぞれとおはようを交わすと、赤也だけ不機嫌な顔をした。
「なんスかその言い方」
「だってまだ集合時間前なのに…いつも朝は弱そうだから」
素直に言うひよりに赤也はぐっと言葉に詰まる。それを見て丸井や仁王はニヤリと笑った。
「俺だってやれば出来るんスよ!」
「いつもそうならいいんですが」
言葉と同時に柳生が眼鏡を光らせているようだった。
「今日は特別だ」
「特別?」
柳の言葉に首を傾げれば、そのバトンを受け取ったのは幸村。
「今日は真田の迎えがあったからさ」
さすが、用意周到という所だろうか。ひよりは驚きよりも感心してしまった。
「…副部長が来なくてもちゃんと起きれましたよ」
「嘘を吐け。俺が行った時はまだ寝ていただろう」
「来るの早過ぎるんスよ!」
「大体お前は普段から夜更かしが多い」
真田の説教が始まりそうになり、赤也は耳を塞ぎたくなった。それをすれば更に怒られることは必至だったので少しでも回避しようとひよりの背中に隠れた。
真田がひよりに対して他の者よりも甘いことを赤也はなんとなく気付いている。
盾にされたひよりは苦笑しながら手の平を見せてまぁまぁと真田を抑える。
とにもかくにも、みんなの調子は心身共に良さそうだ。ひよりもよし、と気合を入れ直した。

「バスが来たぜ」
角を曲がって校門へ向かってくるマイクロバスに気付きジャッカルが皆に知らせる。
近付いてくるバスを視界に入れて、ひよりの鼓動が強く波打った。
体が硬直するような感覚のまま、目の前に停車したバスから視線が外せない。
「…これに乗って行くの?」
「そうっスよ。電車とか使わなくていいから楽ですよねー」
荷物を積み込むぞ。と真田に声をかけられ、ひよりは足元に置いていた荷物を持ち上げた。家を出る時よりも力が入らない。
するりと手から抜けていきそうになった所を、丸井が掬い上げた。
「落とすなよ。せっかく持ってきたのに勿体ねぇだろぃ」
「あ、ありがとう…」
「俺ひよりのばあちゃんのスイカ好きなんだよな。持ってきてくれてサンキュ」
丸井の言い方は、スイカを何度も食べていることを示していた。きっと、もう一人の自分はよく丸井にご馳走していたのだろう。
全員分の荷物が積み終わり、順々に乗り込んでいく。各々好きな席に座っていくのが窓から伺えた。
「…ひより?」
乗ってこないひよりに、幸村はバスのステップで振り返った。
ハッとして慌てて幸村を見上げると、こちら側に座った真田や仁王も窓から視線を向けていたことに気付く。
「…ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
「まだ眠いの?」
幸村がからかうように口にする。ひよりは首を横に振ってからバスに乗り込んだ。
その時密かに流れた冷や汗には、誰も気付いていないようだった。

バスは合宿所に向けて出発した。
車内では遠足のように早速持参したお菓子を広げる丸井。赤也とジャッカルもそれを手に取り、何か会話を交わしていた。
仁王は一番後ろの一人席で窓に凭れて眠っているように見えた。
通路を挟んだその隣の二人席では柳と幸村が合宿メニューの確認を行っている。
丸井達の前に座る柳生は読書し、一人席にいる真田は景色を見ていた。
それぞれ自由に過ごす中、ひよりは柳生の前の二人席にひとりで座っている。通路越しの隣は真田だ。

少し重そうに鳴るエンジン音。車体の揺れ。独特の匂い。触れるシートの感覚。窓から見えるいつもより高い視界。
体で感じる全てがあの日のことを覚えている。
胸の中や頭の中がざわざわと騒いでいるが、到着までなんとか堪えようとひよりは静かに自分の中のざわめきと対峙した。

「先輩、ひより先輩」
二度目の呼びかけでひよりはその声に気付く。
見上げると赤也がシートの肩に掴まって立っていた。ひよりの表情が固くなった。
「…走ってるのに立つと危ないよ」
「大丈夫ですって。それより先輩もUNOやります?」
「…だから、危ないよ」
「何言ってんスか、俺の運動神経知ってるでしょ?急ブレーキだって平気っスよ!」
「赤也、ひよりもやるって?」
誘いに返事をしないひよりを覗くように丸井も席を立つのが見えた。瞬間、ひよりは声を大きくしていた。
「危ないから座って!!」
バスは安定した運転を続けている。走行中に立つと危ないというのは常識ではあるが、危機が目前に迫ったような必死な声は車内の空気をきゅ、と引き締めた。
皆が、眠っているように見えた仁王でさえもひよりの方へと視線を向けた。
「…ご、ごめん…」
静かになった車内に気付きひよりは口ごもりながら続けた。
「誘ってくれてありがとう…でもちょっと眠いからまた今度ね」
「…わ、かりました」
一番側にいた赤也はひよりが珍しく声を大きくしたのを見て少々戸惑っていた為、カタコトな返事が口から出ていた。
席に戻るとひよりに言われた通り直ぐ腰を落とした。
同じく丸井も座る姿が見えたので、ひよりは頭を冷やそうと深く息をついてから目を閉じた。

「…秋川、どうしたんだ?」
ジャッカルの問いに赤也は自分も分からないと首を傾げるが、答えは勿論出なかったので考えても仕方ないとUNOを切り始めた。
「ひよりの様子がおかしいな」
その後ろにいる柳が幸村に確かめるように言った。
「集合した時はいつもと変わらないようだったけど…」
赤也や真田とのやり取りを思い出しつつ幸村は呟く。柳も同じくひよりの行動を辿り、様子が変わったであろう一点にピントを合わせた。
「バスに乗る時、少し迷っていたように見えた」
「迷っていた?」
幸村の発言に柳は言葉を繰り返した。
「…バスに乗りたくない、てカンジじゃったな」
幸村とは反対側からの声に柳はそちらを向く。仁王が窓の向こうに目を向けたまま二人の会話に参加するように、しかし独り言のように口にした。
確かに、例えるならその表現が一番合っている。
「ちょっと様子を見てくる」
赤信号でバスが停まるのを待ち、幸村は席を立った。
ひよりの席まで行く際に柳生と視線が合い、少し困ったような表情に幸村は無言で頷いた。柳生もまたひよりの様子がおかしいことを悟り、気にかけていたようだ。
「ひより、隣いい?」
声をかけると、閉じていた瞳が幸村を映した。その瞳は不安に揺れているようだった。
「幸村くん…」
ひよりは遠慮がちに頷く。それを受けて幸村は静かにひよりの隣に座った。
信号は青になり、バスはまた走り始める。

「さっきはごめんね、騒がしくしちゃって」
瞳だけではなく声も不安に揺れている気がした。精一杯喋っているような不自然さがあった。
「騒がしいっていうのは赤也達のことを言うんだよ」
軽く笑って、盛り上がる後方に耳を傾けた。彼らもひよりを心配に思っているのは間違いない。
赤也達は空気が鎮まり続けないようにいつもより大袈裟に明るく振舞っているようにも思えた。
「…乗り物に弱いの?」
バスに乗りたくない理由として、一番可能性があるのはこれだ。
しかしひよりはちらちらと目を泳がせてから首を横に振った。
「じゃあ、体調が悪い?」
これにもひよりは首を振った。
そして不安を纏った声のまま、ひよりは弱々しい笑顔を作った。
「…大丈夫。大丈夫だから気にしないで」
そう言うひよりは明らかに大丈夫ではない。何かに苦しんでいるような、痛みを堪えているような姿は、見ているこちらまでそれが感じられる。
本当は大丈夫ではない。と、真実を告げないのは何か理由があるのだろうかと、幸村は追求することを辞めた。
「…本当に平気なんだね?」
こくりと、今度は首を縦に振る。
「…分かった。もし調子が悪くなったりしたら直ぐに言って」
もう一度、本当の気持ちを言ってくれないかとひよりに機会を与えたが、それは受け取ってもらえなかった。
ひよりを心配して本当のことを言ってほしい自分と、皆を気遣って言わないひよりの気持ちが反発し合っている。幸村はそれに歯痒さを感じた。
次の赤信号でバスが停まるまで幸村とひよりはどちらも口を開かなかった。
バスが停まると、幸村は何も言わず元の席へ戻っていった。

ごめんなさい。と、言うことすら出来なかった。嘘の笑顔を作ることで精一杯だった。
ぐらぐらする。ムカムカする。気持ちが悪い。呼吸はそれを抑えようとする程に荒くなる。
もう大丈夫だと思っていたのに、体と心に刻まれた記憶は簡単には覆せなかった。
目を閉じるとあの日の雨が蘇り、次に雨の音が耳の中で再生される。
お願い。早く到着して。早く、ここから出して。



景色はいつの間にか街から緑に変わって、バスは見知らぬ駐車場に停車した。
どれくらいの時間がかかったのかひよりには分からなかったが、とても、とても長く感じられた。
少しだけ安堵の息を吐いて、ひよりは握っていた拳から力を抜いた。
「施設関係者に挨拶してから荷物を運ぶ。その後コートに集合だ」
バスを降りる前、真田が後ろを振り返り皆に確認した。
そして、それぞれが自分の荷物を手に取りバスを降りていく。ひよりも後に続こうと立ち上がった。
しかしずっと緊張して強張っていた体は急に解放されたことによりバランスを保てなかった。
あ、倒れる。ハッキリと理解できたのに体はそれを防ごうとしなかった。
ぐらぐらした視界がゆっくりと天井を仰いだ時、ひよりは視界を閉ざした。
意識が、途切れた。

「秋川!」
ひよりの体が傾いて、座席の角に頭をぶつける既の所で真田が腕を伸ばした。
呼びかけには反応を見せず、抱えた体からは完全に力が抜けている。
ひよりが倒れた様子を外で見た幸村が素早くバスに戻った。
「ひより、ひより!」
他のメンバーもバスに戻りひよりの名を呼んで様子を伺ったが、ひよりに変わりはなかった。









そして私は、あの日の夢を見た。




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