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蝶々結び
その存在の真偽と信疑


「この辺で青い蝶って見れんの?」
部活を終えて着替えながらの、他愛のない会話の一つのつもりだった。
意味があるのかないのかあやふやな会話が零れるこの時間。丸井は話題提供としてフと疑問に思っていたことを口にした。
唐突な丸井の問い掛けには、は?と誰もが一度目を瞬かせた。
青い蝶というフレーズに反応したのは数名。
「今の時期に本州で見られる種類はいくつかある。この辺りで見たのなら恐らくムラサキシジミだろう」
一人は的確に答える柳。膨大な情報を知る彼が言うなら間違いはないだろうと、丸井はへぇ、と感心する。
蝶か、そういえば屋上でそんな話をしたな。と、既に着替え終わっている仁王は会話には加わらずただ聞いていた。
「この前見たんだよ。テレビとかでしか見たことなかったから妙だなーと思ってたんだけど。別に珍しいことじゃねーのか」
なーんだ。制服のシャツを羽織ながら丸井は納得した。

「それ、いつの話?」
反応を示したもう一人、幸村が問い掛けた。
自分が納得してこの話題は終わったと思った矢先、丸井は目線を宙に浮かせて記憶を辿る。
「いつって…確か、跡部が来た日だぜぃ」
「…そう」
もしかしたら自分と同じようにひよりが来た日に見たのではと思ったが、残念ながら違っていたようだ。
「幸村も見たのか?」
「俺は、ひよりが来た日に」
「…へぇ」
先程柳に向けた感心の声とは言葉こそ同じではあるが全く違うトーンだった。
それが先を促しているように感じられて、幸村は落ち着いた声で、皆に聞こえるように丁寧に続けた。
「笑っちゃうような考えかもしれないけど、もしかして何か関係があるのかもしれないと思ったんだ」
「関係って…ひより先輩にですか?」
そんなまさかー!と、幸村の言う通り赤也は笑った。
「俺もそう思ったけど、それでもやっぱり引っかかって」
払拭したはずの考えは拭いきれていなかった。自分があの日見た夢の蝶と校内で見た蝶。姿が同じだったせいか、片方を考えるとどうしても繋がってくる。
何かひよりが戻れる手掛かりはないものかと、疑いたくもなる。

「関係ない、とも言い切れませんよね」
言い切る形だったが、誰かに同意を求めるように柳生は口にした。
「ひよりに関することは、全て否定できない」
俺達の常識を容易に越えた存在だ。と、柳は同意して苦笑を隠さない。
「…で、仮にもしその蝶が関係あるとして、どうするんだ?捕まえるのか?」
ジャッカルが単純な疑問を口にした。
「いいっスね!俺も青い蝶見てみたいっス」
「お、それなら捕まえてみるか」
乗り気になった赤也と丸井に、ジャッカルは先の流れを読みつつも一応尋ねてみる。
「誰が」
「ジャッカルが」
「俺かよ!」
「…どうした、弦一郎」
部室のドアを開けた真田の動きが止まった。不自然な背中に問い掛ける柳は真田の視線の先が見えない。
「…蝶だ」
言いながら、ドアの内側にいる皆に見えるように、真田はドアを引いたまま少し横にずれた。

ハッと、皆が息を飲んだ。
ドアの向こう側で、まるで「私はここだよ」と言っているように皆の視界の中をひらひら飛んでいた。
自分が呼ばれたことを分かっているかのような存在の主張。
現実にそこにいるはずなのに、どこかホログラムのような不思議な光景だった。
見えない何かに引き付けられている感覚。翻弄するような蝶から視線が外せなかった。
蝶は植え込みに止まりその羽を休めた。

「…本物?なんかCGみたいっスね」
赤也が感じたことを正直に口にする。本物の蝶に見えなかったのは、見慣れないせいだけだろうか。
「あれは本当にムラサキシジミ?」
問い掛けるのは幸村。柳はドアに近付き、蝶を凝視する。
「よく見てみないと分からないが…少々、模様が違う気がするな」
「じゃあやっぱ捕まえようぜぃ。行けジャッカル!」
「やっぱり俺かよ!って、わっ…!」
丸井によって背中を押され、ジャッカルはバランスを崩しながらドアをくぐる。蝶とジャッカルと部室のドアが直線上に重なった。
蝶はそんなことも気にせずまだ羽を休めていた。
ジャッカルが振り返って、本当に捕まえるのかと視線だけで問う。
乗り気なのはやはり丸井と赤也だけで、他はどちらともつかない表情をしていた。
仕方がない。と、ジャッカルは気配を消してそっと蝶に歩み寄る。
部室の中で、誰かが唾を飲む音が聞こえた。

「わっ!」
ジャッカルが右手を蝶の真上に翳した瞬間、声がした。その後には足元に転がってくる沢山のボール。
向かってくるボールを遡るとひよりが転んでいた。かごに入れて運んでいたボールごと転んだようだ。
「秋川」
「…転んじゃった」
恥ずかしそうに告げると、ひよりは砂がついた部分を払いながら立ち上がる。
そして側にあるボールから片っ端に拾い上げていった。
同じようにジャッカルも足元にあるボール達を拾うと、部室にいた者達も何も言わずまだ転がり続けるボールを拾う。
「おっまえ、たまにドジ踏むよなー」
丸井が笑いながらひよりの側にあるかごにボールを投げる。直後、カシャンというシュートの音。
「ごめん…」
「何か考え事でもしていたのか?」
「怪我はありませんか?」
柳、柳生と続けて気遣いの言葉。それにひよりは同じくごめんねと返すしか出来なかった。
「前方不注意。」
ぱちん、と昼間にしたようにひよりに向けてデコピンをする仁王。
それは宙に放たれたはずなのに、ひよりはまた額に痛みがきた気がした。
「お前らしくないな」
それでもお決まりのたるんどるを控えたのは真田なりの心配が見え隠れする。
「大丈夫?」
幸村が拾ったボールをかごに落としてひよりを見る。
「ごめんね。なんか急に足から力が抜けて。変だよね」
ひよりの言葉に、脳裏に自分が倒れた時のことが過ぎった。全身の力が急に抜けていく感覚は今でもよく覚えている。

「…幸村くん?」
幸村の視界に自分が映されてないことに気付き、ひよりは何か考え事をしているのかと呼びかける。
すると幸村の視界は再びひよりを映し、ひよりの手首を掬い上げた。
えっ、と周囲の音に消えてしまいそうな小さなひよりの驚きに幸村は苦笑する。
「肘、怪我してる」
「え…あっ、ホントだ。気付かなかった」
怪我といってもほんの擦りむいた程度。しかしじわりと滲む血を見ると今思い出したように痛みがそこに集中した。
「手当てしよう」
「でもまだボールが…」
「怪我してるから洗ってくるよ」
ボールを拾う皆にそう言って、幸村はひよりの手首を掴んだまま水場へと方向を変えた。


「あっ!蝶は!?」
ボールを拾っていた赤也が俊敏に向きを変える。慌てて確認した植え込みにはもう蝶の姿はなかった。
ひよりに気を取られている内に、どこかへ飛んでいったようだ。
「ジャッカルがもたもたしてっから」
じゃあお前が捕まえればいいだろ。と、ジャッカルは丸井に向けて内心で呟く。
「また現れるんじゃないですか?」
根拠はなかったが柳生はそう思った。不意に、タイミングを計ったように、きっとまた姿を見せるのだろう。
「ムラサキシジミではないとすると、ゼフィルスか…」
それとも、自分が知らないものか。
確かめた訳ではないので推測に過ぎないが柳は分析する。
「…幸村が言ったように、本当に秋川に関係があるのだろうか」
誰かへのものというより自問自答のような問いかけだったが、皆は疑問を口にした真田を見た。
「現段階じゃ、肯定も否定も出来んの」
仁王が最後のボールをかごに入れて、それを受けて柳生がかごを持ち上げた。
「もしも、という考えは苦手だ」
「頭が固いんですよ副部長は。もっとジューナンに考えましょうよ」
「柔軟を書けないヤツに言われたくねーっての」
「丸井先輩は書けるんスか!」
「当たり前だろぃ。こうだろ」
落ちていた小枝で地面にザリザリと漢字を書く丸井とそれを覗き込む赤也。
そんな二人を大して気にすることもなく他は部室に戻った。
柳生がボールかごを定位置に置き、我々は明日に備えて帰りましょうかと丁寧に言った。
そう言ったのは、幸村に任せて大丈夫だと、ひよりが来たあの日のことを思い出したからだ。



ちゃんと砂を落としてしっかり濯ぐこと。ひよりにそう言い残して幸村は救急箱を取りに部室に戻った。
他のメンバーが丁度帰ろうとしていた所らしく、すれ違いながらいつもの挨拶を交わす。
その挨拶には明日からの合宿への期待感が込められているようにも感じられた。
救急箱はひよりのロッカーの中。ひよりが開けていいと了承してくれたので幸村は迷わず扉を開けた。
救急箱を手に取り直ぐ戻ろうとロッカーを閉めようとしたが、扉に触れた手が止まった。
はたり、と一枚の写真が倒れたのが目に入ったからだ。
救急箱に立て掛けるように置いてあったのか、支えをなくした写真は静かにこちらを見ていた。
いつか病院の屋上で撮った写真だった。
そこに写る自分は、自分の中の苛立ちが目を覚ます程にとても弱い。

いや、そんなことよりも。と幸村は思考を変える。
この写真がここにあるということは、ひよりは確実にこれを見ている。
きっと疑問を持ったはずだ。誰かに聞こうともしたはずだ。
でもひよりはそれをしなかった。
ひよりは、他人が嫌がる詮索などしない。自分よりも誰かを優先させる。だから聞けなかったのかもしれない。
幸村は罪悪感にも似たようなものを感じながら、何も口にすることなくロッカーを閉じる。金属が摩擦する音が部室内に響いた。

入院していたことを言った方がいいのだろうか。
しかしもしひよりが負担に思ってしまったら黙っていたことが無意味になる。
それに、もう終わったことなのだ。ようやくリハビリセンターへの通院も不要になり、課題はあるがやりたいことがやれるようになった。弱い自分には別れを告げたのだ。
ひよりが両親に向けて願ったように、可能であれば、病気のことは知らないままでいてほしい。
幸村は一度深い呼吸をしてから、洗い場へと足を進めた。


洗い場に戻るとひよりはこちらを見て申し訳なさそうに笑った。
写真のことは忘れているのだろうか。それとも知らない振りをしているのだろうか。
ズキズキと傷が痛むのはひよりの方なのに、幸村の中の罪悪感が少しだけ疼いた。




その存在の



「蝶?」
「そう、青い蝶。」
先程皆が目撃した蝶のことを話すと、ひよりは興味深そうに聞いていた。
「私も見たかったな」
この言葉はつまり、ひよりは青い蝶を見たことがないということだ。
幸村はそれを悟り少しだけ落胆したが、それでもひよりと青い蝶が無関係だと結論付けることは出来なかった。
「その蝶は空と同じ色?」
「いや、もう少し深い青だよ」
「そっか。私、トスを上げた時に見上げる空が好きなんだ」
その空を思い浮かべるひよりに釣られ、幸村も見上げる空の色を思い出す。
「…俺も好きだな」
同意した声はとても優しかった。
幸村と同じものが好き。そんなことがひよりはとても嬉しく感じる。
「だから蝶も同じ色だったら素敵だと思ったんだけど」
「蝶の青色もきっと好きになるよ。さ、手当て完了だ」
「ありがとう。」
はにかんで笑うひよりは、とても女の子らしい柔らかい表情をしていた。
いつの間にか、こちらのひよりの笑顔ではなく今目の前にいるひよりの笑顔が自分にとって自然となっていることに、幸村はまだ気付かない。



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