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蝶々結び
蝶が飛んだ日


ひらひらと、舞うように浮かぶ影がひとつ。
朧なそれは次第に姿を現し、蒼い空に瑠璃色の羽を広げている。

蝶だった。

瑠璃色の蝶は何かを誘うように飛んでいた。
どこへ行くのだろうか。行先は定かではないが、その姿に迷いは感じられなかった。

こっちへおいでと手招きをしているような瑠璃に、頭を空にしてそれに従った。







コンコン。
部屋のドアがノックされて、その後に母の声が聞こえた。
「もうそろそろ起きないと遅れるわよー?」
その声に朝が来たのだと目を擦りながらひよりは意識をぼんやりさせた。
いつもなら目覚まし時計の音で目覚めるのに今日はどうやら止めて寝てしまっていたようだった。

あぁ、準備しなきゃ。学校に行かなきゃ。

体を右に傾け両手でベッドを押して腹筋を意識すると、自然と上半身が起き上がる。


早くしないと朝練に間に合わない。今日のメニューは何だったっけ。


ぼんやりとしていた意識が視界と共にハッキリと戻り、そして、ひよりの動きが止まった。


「ひより?起きてるの?」
ドアから顔を覗かせる母の姿。
「…起きてるなら返事くらいしなさい。朝ご飯出来てるわよ」
母は小さく溜め息を吐き、それから爽やかな朝に似合う笑顔を見せた。
ドアは静かに閉められ、またこの空間にひとり。

ひよりはまだ動けないでいた。

おかしい。何か違う。
部屋の景色も、母の姿もいつもと変わりない。けれど違和感に捕えられた。

何をすればいい?用意して学校へ。――でも知らない制服がある。
学校への道程?頭に街の風景が浮かぶ。――でも知らない街並み。
朝練?テニス部の朝練習。――テニス。大好きなスポーツ。

浮かぶ疑問には自分自身の中に答えがあった。
何をすればいいのか、どうすればいいのか、答えがあるのだからとても簡単なことだった。
でも、じゃあ。
この鼓動の速さは何だろう。背中を伝う冷やりとしたものは何だろう。
日常。いつもの風景のはずなのに感じる違和感に追い詰められる。

知らない。そうだ、知らないんだ。
私が迎える朝とは違う。

ひよりはベッドから立ち上がった。
朝日が差す窓の前に立ち、カーテンを開ける。そこに見えるのは、全く知らない風景だった。
ひよりは理解が出来ず、知らないという感情が怖いに繋がって膝や手が震えていた。仕舞いには立っていることも出来ずよろけるように座り込む。
「……どう、いうこと…?」
座り込んだ為に目の前はただの壁。それを見てるのか見ていないのか、ひよりは声を出した。

ひよりは浅く細かくなっていた呼吸を整えようと、深呼吸を何度か繰り返した。

分からない。
自分の生活がここにあることは確かだった。
しかし自分が知っている、これまで生活していたものとは違っていた。

「こうしててもダメだ…」
深呼吸をして落ち着いてきたのか、ひよりは自分に言い聞かせて再度立ち上がった。
断片的に過ぎる記憶――自問自答の答えを頼りに、いつものように、でも知らない制服に着替え、いつものように、でも違和感を持って部屋を出る。
階下からは聞き慣れないアナウンサーの声がテレビから流れていた。

まだ震える足に精一杯力を入れて、ひよりは階段を下りた。


自分が知っている朝ではない。
でも、いつもこうして階段を降りてお父さんとお母さんに言うんだ。

「お、はよう」

発した声は微かに震えていたけど、そしたら、ほら。
いつもと同じ笑顔と声が向けられた。


知っているのに知らない。
知らないのに知っている。

ひよりを包む矛盾はこれが夢だと錯覚を起こしたくなる程の、確かな現実だった。









ひよりの視界から外れた部屋の窓の外に青い蝶がひらりひらりと飛んで、どこへ行くのだろうか、街並みに紛れていった。







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