蛇と猫とヒビ割れた万華鏡 (終)
漆黒の翼の壁が引き千切られ、強制的に取り除かれる。
術を発動してからおよそ21秒。やはり30秒もたなかった。
「貴様……名前をどこへやった?」
殺気を孕んだ声と視線がイタチを射抜く。この場には、もはや2人の人間しかいない。ついさっきまで居たはずの少女は、既に影も残さず、忽然と消え失せていた。
仮面の男は素早く辺りの気配を探ると、再びイタチを睨みつける。
「これは……時空間忍術か。元の世界へ帰したのか?」
「帰したのではない、帰ったんだ」
平然とイタチが言うと、仮面の男はしばし沈黙した。
「見誤っていたようだ」と彼が次に発した声には、隠すつもりのない挑発と嘲笑とが含まれている。
「お前が、あの小娘にこれほど入れ込んでいたとは」
そうじゃない、とイタチは呟くように反論する。
「あれはサスケのことも随分気にかけていたからな。俺の邪魔をされては困る。それに……元々、盤上には無かった異物だろう」
「だからこそ、手中にあれば戦局を支配出来た。しかし――いや」
仮面の男が、乾いた笑いを立てる。
「失った駒を惜しんでも仕方がない、か」
殺気が蒸発し、イタチも厳戒態勢を解く。
「デイダラへの説明は、お前がしろよ」
「………………」
どう説明をすれば良いだろう。まさか事実をつまびらかに明かすわけにもいくまいが、どう言い繕うにせよ、それに対する反応を考えると、とても気乗りのする仕事とは言い難かった。
(だが、俺がやるべきだ)
恐らくこれが、名前にしてやれる最後のことだ。贖罪……そんな大したものではない。これはただの「けじめ」だ。
暗い廊下はどこまでも続いている。イタチはふと思い出し、自分の後頭部に手をやった。ひとつに結わえている髪をほどく。
いつだったか、イタチの誕生日に名前から贈られた紅い髪紐は、いくらかくたびれてはいたが、まだ充分実用に耐えられる。
誕生日を祝う。それは名前があの組織に持ち込んだ、最も異質な要素だったように思う。名前はどうしようもなく異質で……そして「普通」だった。
その髪紐に、ため息にも似た吐息を吹きかけた。すると、蝋燭の火よりもささやかな熱が燃え立つ。
――彼女を繋ぐどんな結び目も、残してはならない。
彼女のために。そして自らが、為すべきことを為すためにも。
紅い火に舐められて、髪紐は音もなく灰になっていく。それを指先で擦り潰せば、もはや紐の形を保つことすら不可能になり、地下の澱んだ空気にはらはらと散っていく。
(……さよなら、名前)
薄暗い闇の奥へと歩を進めながら、イタチは声にすることなく呟いた。
同じ頃、別の場所で――大蛇丸は、異常なまでの時空間の歪みを感じ取っていた。
名前の特性をよく研究してきたからこそ分かる。あれは、名前の時空間忍術だ。そして感じ取れた力の強さからして……
「……そう。どうしたって、私の手の届かないところへ行ってしまうのね」
自分の立てた仮説は正しかった。いつもならば多少の喜びをもたらすその事実すら、今は慰めにもならない。
視界の端では、カブトがサスケに治療を施している。
まだ未熟な少年は徹底的に痛めつけられ、今は意識を暗闇の中に落としていた。
あの非力な子供も、あと数年もすれば見違えるほどの実力をつけるだろう。そしてその肉体は、そっくりそのまま自分のものとなる。
それで良い。それこそが希望であり、望みである。
望んでも手に入らないものは多くあった。例えば、本来サスケより先に目をつけていた、イタチや君麻呂の肉体。例えば、封印されて使い物にならなくなった己の両腕。例えば――……
「名前、もうどこにも居ないのね」
蛇の目が細められた。そのまま瞼を閉じる。視界にはどこまでも、どこまでも続く赤黒い闇が広がっていた。
(さようなら、出逢う筈のなかった人)
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