解かれたきずな
足音がして、一瞬だけ緊張する。けれど、その正体が分かった瞬間に、緊張はすぐさま安心に変換された。
黒い髪、紅い瞳。
「イタチ兄さーーん!」
抱きつこうとしたけど思うように走れず、イタチ兄さんの懐に辿り着く前に壁に寄り掛かってしまうという体たらく。
うーむ、不覚。
一人で悔しがっていると、イタチ兄さんの表情が険しい(いつも気難しそうな顔してるけど、更に5割増しくらいで)ことに気が付いた。
その視線を追えば、血塗れのお腹にたどり着く。
「あ、これですか?」
深刻にするのもなんだか嫌で、誤魔化しか照れ隠しのようにニヤけてみせる。
「大蛇丸さんに手酷くやられちゃって……傷は治したんですけど、結構ダメージくらっちゃったみたいで、ふらふらするんデスよ。すみませんが、ちょっと手を貸してくれません?」
イタチ兄さんに手を差し伸べると、イタチ兄さんはそれに応える様子もなく、じっと私を見つめた。
……あれ?
これ、マダラさん同様「お願いします」がないとテコでも動かないとか、そういう感じ?
えー、イタチ兄さん冷たい。こちとら怪我人だってのに。
「イタチ、他の連中はどうした?ゼツに呼びに行かせた筈だが」
マダラさんが、どうやら周囲の気配を探りながら言う。
「少し迷ってもらっている」
「……あいつらに幻術をかけたのか?」
「合流する前に、名前の能力について話をしておきたい」
およ、私の話か。
「ふん。相変わらず、病的に用心深いな。心配せずとも、さっき手に入れた情報以外の収穫はない」
「あのー、それなんですけどね。ちょっとばかし厄介なことになってまして。いつでもどこでも名前ちゃん呼び出し機ってのがあるんですよ……………………いや、マジで冗談じゃないんですってイタチ兄さんそんな顔しないで下さいよ」
私だって、好きでこんな単語口にしてるわけじゃないやい。
私は簡潔に、大蛇丸さんが持っていた忍具について説明する。私の血とチャクラを使って時空間忍術を発動し、私を「口寄せ」する迷惑極まりないアレだ。
「ああ、アレか」と頷くマダラさん。
「アレなら大丈夫だ、見た限りチャクラは帯びてはいなかった。再び名前のチャクラを込めなければ、ただの金属球だ」
あ、そーなの?
じゃあ、さっきみたいにいきなり大蛇丸さんの目の前にワープとか、考えただけでも胃痛を起こしそうな事態には取り敢えずならないわけだ。
良かった……んだけど。
「あのーマダラさん。それが分かったのは嬉しいんですが、あなたもしかして結構最初の方から見てましたね?」
「文句でもあるのか?俺に助けられるのは癪なんじゃなかったか?」
「ぐぬぬぬぬ……」
「名前」
マダラさんにどういう罵詈雑言を浴びせかけてやろうかと考えていたら、不意にイタチ兄さんに名前を呼ばれる。
「はーい?」
「怪我は、大丈夫なのか」
「ええ、まあ。大体治しましたからね。聞いて下さいよイタチ兄さん!名前ちゃんったら医療忍術出来るようになっちゃったんデスよ!やばくね!超有能じゃね!」
「…………」
「無視かい!!あーでもこの感じ、懐かしい!感慨深い!!」
「おい、その話は後で出来ないのか?」
ばしんと後頭部を叩かれる。睨みつけても、マダラさんは涼しい顔だ。(多分)
「へいへい、後でたっぷりお話しますよっと。イタチ兄さん、行きましょう」
「…………」
「……イタチ兄さん?」
やっぱり気のせいじゃない。今日のイタチ兄さんは、やけに無口だ。普段からそんなに口数の多い人じゃないけど、それでもいつもより、何かをじっと考え込んでいる感じがする。
……どうしたんだろ?
「名前」
考え込んでいると、低くて穏やかな声が、私の名前を呼んだ。その途端、視界が真っ暗に塗りつぶされる。
――いや、真っ暗じゃない。鴉の羽。無数の鴉たちが、渦を巻くように飛び交っている。一瞬のうちに、マダラさんの姿は漆黒の向こうへと分断されてしまった。
「奴が相手では、30秒も持つまい。手早く済まそう」
「え、なになに、どしたんです?」
「舌縛りの術は……まだかかっているな」
「え?あーはい、そーデスね。大蛇丸さんは別に、暁の情報を取ろうとはしませんでしたから、かかりっ放しになってるはずですが。……あのー、イタチ兄さん?それがどうしたん……」
見慣れないものが目の前にあって、言葉と思考が途切れた。
イタチ兄さんが、薄っすらと笑ってる。珍しいこともあるもんだ。
でも――どうして?
「思えばお前は最初から、暁に好意的だったな。俺たちの誰に対しても」
「えっと、すみません。話が見えてこないんですけど」
「俺たちは出遭ってしまった。そして恐らくそれが……結び目となった」
イタチ兄さんの手が伸びてきて、あれ、撫でられちゃったりするのかな。なんて思う。
けれど指先は頭ではなく、その少し下。私のおでこをトンと小突いた。
途端――、
頭の中を全て覗かれているような、心に土足で上がりこまれているような、生理的な不快感が襲ってくる。
何をされてるのか。分からなかったのは初めの一瞬だけだった。すぐに理解する。それは直感に近い、奇跡的なひらめきだった。
……舌縛りの術。
自分自身に掛けられた術の、その本質を思い出す。
いつか聞いた、リーダーの声が頭に反響した。
――お前自身に『舌縛り』がかけられて、敵はお前から情報を引き出す事は出来なくなる。
――舌縛り以上の術で頭を覗かれた場合……
――お前の記憶そのものを削除する。
「ま、待ってイタチ兄さん!何してるんです!?ちょっと、ストップ!」
身を引こうとするけれど、背後は壁だ。手を払いのけようとするけれど、力で敵うわけもない。
そうこうしている間にもイタチ兄さんは、容赦なく私の記憶をーー頭の中の「情報」を暴いていく。
「待って、やめてよ、そんな勝手に!私ようやく覚悟が出来て、これからみんなを……」
その時――ぱちん。頭の中で閃光が弾けた。
暁の情報を漏らさないための防御機構。例外なんて許さない冷たいルールが、頭の中でシャボン玉みたいに膨れて……弾ける。ぱちん。
そのたびに、何かが消えていく。
――声が、思い出せなくなった。
――名前が、思い出せなくなった。
――顔が、思い出せなくなった。
――誰のことを思い出せなくなったのか、それすらも思い出せなくなった。
「…………あ、れ?」
そして目の前の人が――哀しげな紅い瞳のこの人が、一体誰なのか思い出せなくなった時。
視界全体がぐにゃりと歪んで、身体の内側が、どこか遠くに引っ張られるような感覚がした。
「あ、あの……っ!」
知っているはずのこの人の、その名前が口から出てこない。
おでこに触れていた指先が離れて、そして私の頬を、掠めるように撫でていく。
「……許せ、名前」
その人は優しく、哀しいほどに優しく笑った。
視界が渦巻く。右と左、上と下が分からなくなって、自分がどこにいるのかおぼつかなくなる。
抗いようのない渦に呑み込まれる瞬間、目の前の人に手を伸ばしたけれど――綺麗に微笑むその人が、私の手を取ることは終ぞなかった。
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