忘れじの人は泡沫
「なぁぁぁぁぁぁぁぁつのおぉぉわぁぁぁぁりいいいいいいいいいい」
「………………」
「なぁぁぁぁぁぁぁぁつのおぉぉわぁぁぁぁりいいいいいいいいああああああああ」
「あのさあ、その脳味噌溶かされそうな歌やめてくれないかな」
「何をおっしゃる。名曲デスよ?」
ソファにダレていた身体を起こして、私は丸めた紙切れをカブト君の後頭部に向けて放り投げる。カブト君は背中に目でも付いているのか、振り返りもせずにそれをはたき落とした。
「で?さっきの歌は何の主張だったんだい」
「いやあ、夏が終わっちゃったなあって」
「そうだね」
「海水浴もスイカ割りも虫採りもなーーーーーーんにもしないまま、夏が終わっちゃったなあーーーーーーーって」
「アレはあげただろ、夏休みの宿題ってやつ」
「ああ……」
7月半ばくらいに、余りにも夏要素がなかったことに気が狂いかけた私が、カブト君に頼んだものが、夏休みの宿題だった。
どうせ外出許可は出ないし、スイカ割りはこんな暗くてジメッとした室内でやっても面白くないし、ここで虫採りをしようとすると生理的にアレな虫ばっかり採れるしで、とにかく夏らしいことが全く出来なかった。
そんな中、唯一見出だした夏らしいイベントが、夏休みの宿題。カブト君に頼んで、医療忍術やら転送忍術やらの宿題を出してもらっていたのだ。
「で、結局きみ、8月になったらやるとか25日過ぎたらやるとか言って、今の今まで何ひとつやってないよね?」
「あー、まあ、別にサボってたわけじゃないんですよ?」
8月中に散々使って擦り切れた言い訳を口にする。
「確かにヒマで死にそうだとか、暑くて死にそうだとか、もっと夏っぽいことしたいとか文句言いまくったのは私ですし、夏といえば夏休み、夏休みといえばラジオ体操と宿題、なんて言ったのも私ですけど」
「そうだよね、きみだよね」
「はい私ですね。でもですよ。夏休みの宿題なんてのは8月31日に死ぬ気でまとめてやるから風情があるってもんで、毎週末に提出日が来るとか聞いてないですしルール違反です」
「うん。それで、もう8月もとっくに終わったけど」
「やってませんね」
ね、じゃない。と苛つくカブト君を、まあまあまあ、と手で制す。
「なんだかんだラジオ体操は毎朝やってたんですから、これは私の怠惰ゆえという訳ではないんです。風情ですよ、風情」
いるよね。新学期になってもなかなか夏休みの宿題出さないやつ。それでそのまま先生が忘れるのを待ってるやつ。
微塵の反省も見られない私に苛々がつのったのか、カブト君が手に持っていた巻物を振りかぶった。叩かれるか、と思ってガードの姿勢に入るが、いつまで待っても何の衝撃もない。
おや、と思ってカブト君を見れば、さっさと無視の体勢に入って何かの記録をつけている。ここ数日、カブト君はアジトを留守にすることが多かった。任務の報告書かなにかを作っているのかもしれないと手元を覗き込めば、さり気なく腕で隠される。
が、チラッと見えてしまった。
「…………ふーん、なるほど」
「覗きは趣味が悪いんじゃないかな」
「覗きじゃないですーたまたま姿勢を傾けたらたまたま視線の先に文字があったのでたまたま見えちゃっただけですー」
「白々しい」
つらつらと長い文章の中にちらりと見えたのは、「暁」。何だかその文字すら懐かしい。
「なるほど暁と絡む任務ですか。良かったら名前ちゃんが同行しますよ。事情通デスし」
「要らない」
取り付く島もないとはこの事だ。
「もうほんと、何度も言ってますけど娯楽がなさ過ぎて死にそうなんですよ!なんか面白い術とかクスリとかプリーズ!猫耳生やすみたいな」
「…………仮にあったとして、それを誰に試す気だい?」
「ぶっちゃけ言うと大蛇丸さんに試したいんデスけど、流石にそこまで命知らずではないのでサスケ君あたりが無難かなあと」
今、ちょっと笑ったの見逃さなかったからなカブト君。私的にはカブト君も標的に入っているんだけど、それは敢えて言わない。どつかれそうだし。
「良いなあ、私も任務行きたいなー」
「無理だろうね。大人しくここで馬鹿なことしてなよ」
「あ、馬鹿なことする許可は出たってことデスか?」
「なんでそういう方向に思考が進むかな」
「根っからポジティブなもんで」
「図太いだけだろ」
まあ、そうとも言う。
しかし図太さってのも才能のひとつだと思うし、時々は褒めてほしい。この陰鬱な、エンターテイメントのエの字も見当たらない穴ぐらの中で、日々を楽しく生きるのは至難の業なのだ。
あんまり楽しくし過ぎても、ここに馴染みすぎちゃうかもとか思い悩んだこともあった。あったけれど、まあそれはそれ、これはこれだ。日々を楽しく、面白おかしく逃げる算段を立てれば良いだけの話だ。うーん、名前ちゃん天才。そしてカブト君は何にも分かっちゃいない。
「人の苦労も知らないで、よく言いますよ。私がどれだけ努力してるか分かってます?」
「知ってるよ。サスケ君の部屋を物色したりしてるんだろ」
「物色なんて人聞きの悪い言い方やめて下さい。エロ本の捜索をしただけです」
「君の倫理基準ってどうなってるんだい?」
カブト君に倫理がどうとか言われたくない。
まあそれはともかく、こっちはこっちで色々考えてるんだ。
軽口を叩き合っていると、ふと微弱な揺れを感じて天井を見上げる。地震かと思ったけれど、何だかおかしい。
狭い部屋に、耳の奥底に響くような重低音が反響する。
「………………爆発?」
私が呟いた時には既に、カブト君は書いていた書類を片付けて、「迎え撃つ」準備をしていた。
「敵襲デスか?珍しい。っていうか命知らずな……」
「全くだ。君はここで大人しくしているといい」
「あー、はい」
部屋を出ていくカブト君の背中を見送って、私は時間差で廊下に出る。命知らずな襲撃者の顔を拝んでみたいというのもあるし、騒ぎに乗じて逃げられるかも知れないという淡い期待もあった。妙にタイミングが良いけれど、これに便乗しない手はない。
再び、アジトが揺れた。今度はさっきよりも近い。
「なかなか善戦してマスね……」
なるべく長く生き延びて下さいよ。と、顔も知らない襲撃者にそんな無責任なことを思う。
音と振動を頼りに、騒ぎの渦中を探す。振動と共に、天井から土埃がぱらぱらと落ちた。
暗く伸びた廊下を、少しだけ気配を消しながら(消す真似事をしながら)、早足でかけぬける。
カブト君が対処するなら、その辺の雑魚ならさっさとやられてしまうだろう。騒ぎがおさまる前に行動しなければ。
と、その時。すぐそばで、壁が崩れる大きな音と、何だか聞き慣れた笑い声。
「ゲハハハハァ!次に死にたいのはどいつだぁ!」
足が止まった。半端に空いた口からは、短い吐息程度しか漏れ出さない。人って、本当に想定外のことに出くわしたら、こういう反応になるんだなあと、頭の裏側でぼんやり思う。
曲がり角の向こうに、懐かしい声の主がいる。
「良いのかい角都?アイツに好き勝手やらせたら酷いことになるぜ、うん」
「構わん、とにかく派手にやれということだ。お前たちはそういうのが得意だろう、好き勝手やると良い」
「あ?オイラのは派手とかそういう陳腐な言葉じゃ表現しきれない、一瞬の美を切り取った……」
そうだ。そうだそうだ。
なんで爆発から、すぐに彼を連想しなかったんだろう?なんで、「来てくれたのかも」と思わなかったんだろう?
いや、そうじゃないのかも知れない。来てくれたわけじゃなくて、たまたま何かの用事があって、ついでとかかも知れないんだけど。
でも、そんなのどうでも良い。もう、何だって良い。
「デイダラくん……」
間抜けな声しか出なかった。
今、自分がどういう表情をしているか。よく分からないけど、きっとあんまり上手く笑えてない。
青い瞳と視線がカチ合った。
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