獄焔CHaiN

「タチバナ。お前にこれからやって貰う任務は、東の或る村にある、神龍の宝玉を手に入れることだ。……出来るな?」
「はいっモチロンです!」
「よろしい。ならば、行け!」
「ハッ!」

「これがその宝玉かー。ただの硝子玉じゃん。これ何に使うんだろ?まーいっか。いえーいゲットだぜー」

「きゃーっ警報!?」
「曲者ぉおおおおお」
「きゃあああああああ」

「い゙ッ……わ、わわわささささ刺さ矢が刺さっ刺さったぁああああああ死ぬぁああああ」



「――――死ぬあああああああああああ!!!」
 バッ、とタチバナは飛び起きた。
「ああぁああーーー……あ……夢……? ――いづッ」
 びっしょりと浮かんだ額の汗を拭おうとした刹那、駆けた痛みにタチバナは身体をくの字に曲げて反射的に脇腹へ手をやった。指先から伝わるのは乾いた感触。
 おや、と思って目をやると、茶色く乾いた血糊が自身の白Tシャツにべっとりこびり付いていて。短く悲鳴をあげた。小さく穴の開いた衣服からは、血の滲んだ包帯が荒っぽく巻かれているのが見受けられた。
 そして気付いた。自分が牢獄に入れられている事に。狭い牢獄。堅い寝台の上。ボロボロの布地。カビ臭い。
 最中で雪崩の様に思い出す。そうだ、俺は矢で射られて、何か引っ張られて、地面にぶち当たった拍子に矢が背中を突き破って……
(……ん? 引っ張られ、……)
 じゃら。
 手に当たったひやりとした感触。
 それは、胸から生えた――鎖。
「!!」
 夢じゃ、ない?
 やっぱり、現実?
 タチバナは、ゆっくりゆっくり鎖の先を視線で辿っていった。
「〜〜〜っッッ!?」
 声にならない悲鳴。
 鎖の先には、

 あの朱い、明王が。

 そして、信じられない事に。
 鎖は、それの逞しい胸板へと、タチバナと同じ様に繋がっていたのだ。
「……」
 朱の明王は、じぃっ、とタチバナを見詰めている。その顔に憤怒は無く、ただ無機質な無表情が浮かべられていた。右手に焔を模した七支刀は無い。
 取り敢えず、敵意は無さそうだと……信じたい。
「……スイマセン」
 取り敢えず謝るタチバナ。ヘルメットのズレたその顔は引き攣っていた。そして明王がすいと顔を寄せて来たので、その顔は益々引き攣る事となった。
「……」
 相も変わらず無の表情で、しかし目には何処か輝きを湛えて。
 人ならざるそれは、両手で徐に硬直しているタチバナの顔を固定して、鼻と鼻がくっつきそうなほどの至近距離で彼を観察し始めた。
「〜〜〜……」
 喰われるフラグおっ立ったとか早鐘の心臓で思っているタチバナは呆然とそれを眺め返した。
 間近に居るそれは、端正な若い男の顔立ちをしている。例えるなら、豹の様な。猛々しさの中に、何処かしなやかで且つ鋼の様に強い美しさが存在していた。
(明王、なんて……もっとゴッツくて厳ついゴリラみたいなの想像してたぜ……)
 黒真珠のような真っ黒の双眸が、タチバナの気まずそうな顔を映し込んでいる。三白眼の、冴えない顔面。
 それから、どれぐらい経っただろうか。明王はずっと、飽きもせずにタチバナの顔を眺め続けている。
「……あのぅー」
 意を決して、とうとうタチバナはそれに話しかけてみた。言葉が通じるかは解らない。コミュニケーションは気合いとノリだ、と何処かで聞いたような気がするようなしないような。
「ちょ……少し離れて下さいません?」
 引き攣った笑顔で切り出してみる。
 が。きょとん、と明王は無表情のままで首を傾げた。もう一度言ってみる。それは目をぱちくりとした。言葉は通じないようだ。なんてこったい。
「あ゙ーー……」
 どうしたものかと考えていると、明王が寝台に膝を乗せる。それは丁度タチバナに馬乗りになった様な姿勢で、そんな密着度が増した状態で相も変わらず観察時間。
 近い。
 だと言うのに、更に数ミリだけぐっと顔が寄せられれば思わずドキリと心臓が跳ねて。反射的に身を捩ろうとすると、脇腹に鋭い痛みが走った。
「ぃづッ……つぁー〜ッ」
 呻くタチバナを明王は無表情で眺める。それから視線を、彼が押さえる腹へとやった。そして躊躇無く手を伸ばすや乾いた血糊で汚れたTシャツを捲り上げた。
「いっ!?」
 いきなりの行動にタチバナは身を引いて逃れようとしたが、生憎後ろは冷たい壁。しまったと思った直後に明王が雑に巻かれた包帯を引き千切った。露わになる傷口。血で滲んだ痩せた腹。
「おい……ちょ、何っ……」
 全身から血の気が引いて行くのを感じる。明王が傷口へと顔を寄せていく。まさか、まさか血の匂いで何か飢えたケダモノの血が騒いじゃいましたなふいんき……?
「ちょっ俺なんか喰ったら腹壊しますよマジで」
 咄嗟に制止の言葉を言うも、それが止まる様子はない。
 あ、死んだ。俺終わった。
 タチバナは死を覚悟した。
 が、脇腹から伝わって来たのは牙を突き立てられる感触ではなく。
 れろ、とそこを柔く舐め上げる舌先の感触。
(……へっ?)
 生暖かい感触。ビクビクしながら見下ろしてみると、本当に明王が傷口を舐めていた。
 まるで獣がするように、傷口と、その周りにこびり付いた赤茶けた汚れを丁寧に舐め取ってゆく。
「……っ、ん……ちょ」
 くすぐったい。タチバナは片手で口を、漏れる息を押さえ込む。
 腹を這う舌は、タチバナを気遣うような感触だった。
 一体、コイツはなんなんだ? 何のつもりだ? なんなんだ。あの御堂の木像が、どうして。そして何故、自分と鎖で繋がっている?
 そこでふと、気付いた。痛みが和らいでいる。傷口が、少しだけだが、小さくなっていたのだ。
「……お前」
 呟くと、口元をタチバナの血で汚した明王が顔を上げた。しゃら、と身に着けた美しい装飾が鳴る。瞬きもせずに人間を見つめるその瞳には、憤怒ではなく深い慈しみが在った。
「お前は……俺の、味方……なのか?」
 明王は何も言わなかった。黙って再び手を伸ばすと、タチバナの身体をひっくり返す。「どわぁ」と声を上げた彼に構う事はなく、今度は背中の傷にも口を寄せる。
「……、」
 抗う術もなく、大人しくうつ伏せているタチバナは奥歯を噛み締める。傷口を這う濡れた舌の感触。少し痛くて、かなりくすぐったい。あと、超恥ずかしい。何処までも丁寧で温かい感触。
 はぁ、と荒い感触の毛布に顔を押し付け、息を吐いた。
 はてさてこの世には不思議が満ち溢れているが、まさか神に舐められる事はそうないだろう。
 そもそも、神に出会えた事だけで伝説になりそうだというのに。
「ホント……なんなんだ一体……」
 解らない事だらけ。
 だが唯一解った事があった。
 この明王は、自分の味方のようだ。
 暖かく、優しい舌の感触はタチバナにそう思わせてくれた。

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あきゅろす。
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