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小説
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きっちりとスーツを着込み、時折思い出したように時計をちらりと見て、珈琲を飲む姿を見るのが好きだった。
甘党のわたしは、ブラックで珈琲を飲む姿を見るたびに、なんて大人なんだろうと、うっとりとよくその姿を見つめていたものだ。
今日も、いつも待ち合わせをする喫茶店で珈琲を飲む姿は変わりなくかっこいい。
ただ、いつもと違うのは、二人の間を流れる空気だ。
季節は春になろうとし、窓から見える桜は幾つか蕾をほころばせ、こぼれる光りは暖かい。だというのに、二人の間を流れる空気は冷やりと首筋を舐め、常であれば合う目線は今日は一度も合いはしない。
ただ、ただ、珈琲の芳ばしい香りが鼻を擽るだけだ。
「辰哉さん」と、呼びかけてみようか。
「どうして、最近連絡をくれなかったの?」と、怒ったフリして問いただしてみようか。
「このまえ、出た携帯の女の人はだれ?」と、軽やかになんでもないように尋ねてみようか。
くしゃり、と、奇妙に顔が歪む。ぐっと、歯を食いしばり、俯く。

(ああ、まるで答えの分かっている問題を、わざわざ尋ねるようなものじゃないか)

俯き、奇妙に歪んだ自分の顔は、哂っているのだろうか。泣いているのだろうか。嗚呼、それさえも自分で分からない。
ただ、時計の針の音が耳につく。
せめて、分かりきった別れを自分から綺麗に終わらせればいいのに、食いしばった口は、まるで縫い付けたようにぴたりと閉じて開きはしない。
ただわかるのは、目の前の男に、自分がどうしようもなく惚れているということだ。


「別れないで別れないで別れないで別れないで!」


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