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ぬるい温度に溺れておしまい(谷田部と+αと)



まだ幼さの残る可憐な少女が明滅する電灯の明かりだけが頼りの、闇に落ちた住宅街を独り歩く。就寝には早過ぎる、普段ならそこかしこにカーテン越しの光が漏れ、それとなく物音が響くはずなのに。
通るたびに吠えてくる犬の、唸り声すらなかった。
――いや、寧ろ人が、生物が暮らしを営む気配がまるでない。
死の静寂。
【…っ】
不穏な言葉が脳裏を掠めた瞬間、細い肩が静電気にでも触れたかのようにびくりと跳ねた。
振り向いてはいけない。
振り向かねばならない。
葛藤に瞳を閉じた少女の背後の暗がりから鎌首を持ち上げたのは、闇――そのもの。
【きゃあああああ…っ】



「…!!」
「…?」
悲痛な、魂の底から絞り出されたような絶叫が住宅街を貫き、紅の鮮血が路上を彩ると同時に力いっぱい掴まれた手首に走る痛み。何事かと三好は隣に視線を流し、そこにひきつった顔の谷田部を見る。奥歯に力が入っているようなので声を堪えるため手にも力が入り、結果肘掛けと間違って三好の手首を掴んだようだ。
三好が理解に及んだところで谷田部も手の中に掴んだものが硬い肘掛けとは明らかに違う感触を伝えていることに気付いたらしい。ぎこちなく首を回して三好と視線を合わせた谷田部の頬が、薄暗い中でもそれと分かるぐらいに赤くなった。
“…わ、わりぃ!”
口早に小声で詫びた谷田部が咄嗟に離そうとした手を三好の方から掴む。
“……み、三好?”
動揺を隠せない谷田部に向かい、三好は小首を傾げた。
“怖い?”
“………別に、”
気まずげに逸らされる目。三好は柔らかく双眸を細めると、谷田部の横顔を見つめたまま、小さく囁く。
“よかった。僕、少し怖いから。このまま手、掴んでていい?”
“…っ!!”
スクリーンからの光でちらちらと揺れて見える大きなつり目がちの瞳でまっすぐに映され、谷田部は一も二もなく頷いた。
正直、手のひらに収まった三好の手とその温もりのおかげでスクリーンの向こう側から投げ掛けられる恐怖も、客席のどこかしらから吹き付ける殺気などもすべてどうでもよくなっていたのだが――。



ぬるい温度に溺れておしまい




堪らなかったのは、事情も状況も全くわからない他の客たちだった。フィクションの恐怖よりリアルな、冷たく突き刺さるような殺気立った空気に晒され耐えきれなくなって席を外す者もいたとかいなかったとか。



♂♀



「…………ったく、ヨシヨシも優しいっつーか、なあ…」
「三好の中に他人に幻滅って感情なさそうすもんねえ。あーあー、谷田部さんもう映画なんて観えちゃいないっすよ、あれー」
「でれでれ」
「何かが飛んでくる前に手ぇ離せばいいけどよ。…いや、むしろ後頭部に何かぶち当たれば目が覚めるか…」
「投げやりっすねー、将軍」
「腑抜けてる谷田部が悪い」












ホラー映画と黄巾賊。
振り撒かれる殺気の主たちはご想像にお任せ。



タイトルは『花洩』さまからお借りしました。


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