あなたを満たすのがいつだって僕であればいい(静雄さんと) いつもは優しい光を宿して静雄を見つめるつり目がちの大きな瞳は今、街に溢れる多くの人間がそうであるように嫌悪と侮蔑を滲ませていた。常の柔らかな微笑もなく、ただ冷たさを纏ったまま背を向けて三好が口を開く。 「二度と、僕に近付かないでください」 世界が足元からひび割れ、奈落へと崩れていくような絶望が静雄を襲った。 ―――で、こうなってしまったわけか。 朝の爽やかな陽に照らされた部屋に、季節外れにもほどがあるハロウィン風味のオバケが一匹。シュールだ。 僕はハロウィンの白いオバケを連想させる、ベッドの上で頭からシーツを被って縮こまった大きな背中に小さくため息を落とした。音にもならないそれに怯えたように、シーツのオバケがびくりと震える。 泊まらせてもらった翌日、なかなか起きて来ないと思ったら怖い夢を見たって。それが僕に蔑まれる夢って。 どうなんだろう、それ。 これって、僕は怒るべきなんだろう。そんなに信用ないんですかって。静雄さんの全部を知ってるわけじゃなくてもその優しさは知ってるのに、それでも嫌いになるとか思ってるんですかって。あんまり見くびらないで欲しいと、怒るべきところだ。 ――だけど。どうしようもないと思って呆れても、僕はこの人を怒る気になれない。 信じてもらえないのは寂しいけれど、それほどまでに静雄さんの無くしてきたものは多くて、深いところに刻まれた傷は大きいってことだと思うから。 僕はシーツのオバケにそっと近付くと、背中側からぎゅっと抱きついた。布越しに静雄さんの温かさを感じる。静雄さんにも、僕の体温は感じられるだろうか。 「静雄さん。何度だって言うから、聞いてください」 気持ちを伝えるのは、難しいし怖い。言葉だけで伝わらないことだって多い。それでも言葉を惜しんでは何も伝わらない。 必要なことなら、僕は精いっぱいを形にしよう。 「僕は静雄さんと一緒にいたいです。疲れてるとへこむところは、僕に出来る限りで支えたくなります。静雄さんの低い声は落ち着くし、守ってくれる背中も頭を撫でてくれる手も安心します。静雄さんが笑ってくれると嬉しい。僕は、」 拙く紡ぐ言葉の途中で視界が回った。背中がベッドに沈む。 刹那の間に、世界は柔らかな光を通した白く狭い空間に閉ざされた。 「三好」 シーツの中。静雄さんの両腕の間。一瞬で狭められた世界には静雄さんの声と体温だけがある。静雄さんにとってもそうだろうか。 白に滲む空間で、サングラスに覆われていない琥珀色の眼差しが切なそうに揺れる。 「…信じてないわけじゃねえんだ」 伸ばされた手の指先が触れるだけの強さで頬に当てられた。 「………お前を無くすのが怖い」 俺はこんなんだから。そんな言葉を言い切られる前に、僕は静雄さんの手に自分の手を重ねる。触れ合えば重なる温度と同じように、この気持ちも重なればいい。 「僕だって、怖いです。静雄さんが僕といることを諦めてしまうんじゃないかって」 「そんなわけ…っ」 「ない。って言ってくれるなら同じですよ」 不安から離れることを怖れるのも。 優しさで離されることを怖れるのも。 どちらも同じ感情からきているはずだ。 「大切だから、怖いです」 失いたくない。想うから距離を置こうとしたり、気持ちがすれ違ったり、気持ちを見失ったりすることが、これから何度でもあるとは思う。だからこそ、間違わないよう伝え合いたい。 重ねた手の指先を静雄さんのそれに絡めた。強く握りしめたら静雄さんはびっくりしたように目を見張るから、僕は微笑みかける。 「一緒にいられる時間を大切にしましょう」 傷付けることも傷付けられることもあるかもしれないけれど、一つ一つ受け止めて乗り越えていけるように。 「…今日みたいに怖い夢を見たら、言ってください。弱音でも、何でも。どこにいたって、ちゃんと伝えますから」 大丈夫だって。 静雄さんが安心出来るまで、何度だって。 傷を与え合うだけじゃない、温かな何かが生まれることを僕は静雄さんに出逢って知ったのだから。 「僕を諦めないでください。…静雄さんの傍にいたいんです」 温もりとか、優しさとか。そんな感情の積み重ねが孤独や不安を遠ざける。 誰かの熱が寂しさを拭い去る。それを教えてくれたのは静雄さんだから。 安心して欲しいし、信じて欲しい。 静雄さんの過去を考えたら難しいのは知っているけど、いつか当たり前になればいいと思う。 信じられないなら信じられるようになるまで、まだ足りないなら満足するまで。 「何度だって言うから、信じてください」 僕を望んで、傍にいさせてくれたらいい。 「三好…」 静雄さんの表情がくしゃりと歪んだ。 金色の頭が肩口に埋まる。自重を支えていた腕が腰に回され、体格差のある身体も密着した分体重がかかって重いのに全然嫌じゃなかった。むしろ僕より高い体温が心地いい。 「お前は強いな」 強く抱き寄せられて少し痛かったけど、回された腕もくぐもった声も震えているように感じたから、僕も空いてる手を静雄さんの背中に回して抱擁を返した。 強さも弱さも優しさも怒りも、全部全部あなたを形作る大切なもの。 埋まらない隙間を少しだけでも満たせたら、あなたは笑顔を見せてくれるだろうか。 細くて、小さくて、なのにいつも三好は強かった。 細い腕で、小さな手のひらで、臆病で卑怯な俺を包み込んでくれる。 温もりで、傍にいることを伝えてくれる。――優しくて強いお前に、俺はいつだって救われてるんだ。 欲しいものを惜しみなく与えてくれるお前に、俺は何かを返せるのか。 少し低い三好の体温が触れ合った部分から俺と同じになった頃、肘をついて上体を僅かに起こした。 「…三好、俺はお前に何か出来るのか?」 きょとんと目を瞬かせた三好は、次の瞬間綻ぶような優しい笑みを浮かべてみせる。 「傍にいてくれたら、それだけでいいです」 「……っ」 本当に、この後輩には敵わない。 タイトルは『悪魔とワルツを』さまからお借りしました。元は『君を満たすのがいつだって僕であればいい』です。 [戻る] |