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一緒に試験勉強やんない?(黄巾賊と)



その日。廃工場の一角は、一種異様な雰囲気が漂っていた――。


灰色のコンクリート床に直接広げられた教科書とノート、そして参考書。唸り声というか呻き声というべきか、そんな声に時折シャープや消しゴムがノートの上を滑る音が重なる。
「…谷田部くん、そこ、公式間違ってるよ」
「げ。マジか…」
「ヨシヨシも、ハンザ同盟の盟主はリューベックな」
「…あれ?」
「……ってゆか、数学の公式やありをりはべりいまそかりがなんの役に立つんすかね。呪文かよ」
「ばかだな、谷田部。どんなことでも話題に繋がるネタは多い方がいいんだぜ? 古典が好きな大人の女性や、数学オリンピックを目指して日夜努力をしてる可愛い女の子とお知り合いになる機会があるかもしれないだろうが!」
「そんなガリ勉、激しく興味ないっす」
「…お前はそうかもなあ」
「……なんすか、その含みのある言い方」
「言ってもいいのか?」
「……………止めてください」
「なあ、ヨシヨシだって会話の幅が広いのはいいことだって思うよなー?」
「将軍! 三好巻き込むの止めてくださいよ」
途中からどんどん脱線を始めた正臣と谷田部の会話をきょとんとして聞いていた三好だったが、微妙にぎすぎすした空気で自分へと振られた話にぽつりと答える。
「僕、目的のために労力を惜しまない紀田くんは凄いと思う。動機は不純だけど」
一部を聞き流して小さなガッツポーズを決めた正臣とがくりと肩を落とした谷田部の対照的な表情の変化は、三好にとって不可解であった――。





まれに横道に逸れつつも、頭を抱えたり首を傾げたりしながら普段見ない真剣さで問題集やらノートやらと向き合う三人組の姿に、端で見ていた黄巾賊の青年二人がひそひそと声を交わした。
「あれ、何やってんの?」
「中間対策」
ニット帽の青年の即答を得て八重歯の青年は頷くと、バンダナを巻いた拳をもう片方の手のひらに打ち付ける。
「ああ、テストな」
10月も半ばを過ぎた現在。確かにこの時期はぼんやりしていられないだろう。しかし、黒ライダーの正体や目的など調べなくてはならないこと、対策を立てるべきことがある以上、家に閉じこもってもいられないわけで。
考えられた末に選んだのが、集会終了後の空き時間の有効利用。
池袋に不穏な空気が漂っていようと、学校に通う以上は誰もに等しく訪れる強制イベントをクリアするための勉強会なのだろう。将軍とその腹心の姿としては、威厳のないこと甚だしいけれど。
「学生は大変だよなー…っつか、谷田部さん出席日数の段階でヤバくね?」
「赤点、絶対取れないらしい」
「〜〜〜…そこ、うるせぇぞ!!」
大して離れてない場所では声を潜めていても丸聞こえだ。堪らず叫んだ谷田部の横で、顔を上げた三好が不思議そうにつり目がちの大きな瞳を瞬かせる。
「二人は、勉強しなくても大丈夫?」
見た目は自分たちとほとんど変わりなく見える。年上だとしても3つと離れていないだろう。だとしたらテストの呪縛はあるはずなのだが、廃工場やゲーセンでの出没率の高さからして勉強しているイメージがもてないというか。
「点数は取れる」
「オレ、通ってるの実技系だからさー」
「「え!?」」
反射的に声をあげてしまったものの、どちらの言葉にツッコミ入れるべきか三好自身、判断つかなかった。
というか、
「なんで紀田くんまでびっくりしてるの」
重なった声の主を見やって訊ねると、正臣は微妙な表情で谷田部を指差した。
「ここで学校の話とかしねぇし、そいつらがついてるの谷田部の下なんだよ」
「え…?」
黄巾賊は正臣の腕っぷしの強さに惹かれて集まったのではなかったか。いまいち話がのみ込めず目を瞬かせる三好の頭が、バンダナを巻いた手でぽんと叩かれた。
「オレらはさー、バカやってた時に谷田部さんにボコられて更正? した感じだからさあ」
「もちろん、将軍のことは尊敬してる」
「そりゃ当然。でもまあ、直属は谷田部さんってこと」
そうなんだ、と頷いて納得もする。確かに日頃からこの二人は谷田部との距離感が近い気がする。

「…で、勉強しなくても点取れるってどこ通ってんだよ?」
正臣がニット帽の青年に顔を向けた。青年が口を開くより先に、谷田部がぽつりと答える。漏らされた学校名は三好も聞いたことがある有名付属校のもので、正臣と二人で目を丸くした。
「…マジかよ」
首を振って呟いた正臣の横、三好はミッションスクールなのに喧嘩してて大丈夫なのかなあと首を傾げていた。それ以外にも色々と問題があるような気もするのだけど、本人が涼しい顔をしているので沈黙を守る。
「っていうか、それなら少しはこの惨状を見て手伝おうって気はないのか? 教えてくれる人間がいた方が俺たちだって捗るんだしよ」
「ああ、将軍ダメっすよー」
ぼやく正臣に、八重歯の青年が軽い仕草で手をぱたぱた振ってみせた。
「こいつ、過程すっ飛ばしていきなり答えにたどり着くから。教えるのダメっすー」
もう一度マジかよと呟いて正臣は肩を落とす。意味なく覚えた敗北感に脱力した。それでも何とかため息一つで気を取り直し、薄っぺらい笑顔を浮かべた八重歯の青年に視線をやる。
「で、そっちは? 実技系って何のだよ」
「んー? じゃあ、一名様ご案内ってことで」
訊かれた彼は張り付いたにやにや笑いを深めると、三好の腕を掴んで歩き出した。
「え、あの、ちょっと」
「「おい!」」
ぐいぐいと無遠慮な手を振りほどくことも出来ずに連れられてく三好の姿に、正臣と谷田部が慌てた声を上げる。
肩越しに青年が振り返って、笑った。
「まあまあ、実践した方がわかりやすいすからー。それにたぶん谷田部さんにもお特っすよー」
なんだかとても、嫌な予感がした。



薄暗い廃工場の中でも目立つ黄色いソファーの上、三好は不規則に息を乱しながらうっすらとつり目がちの瞳に涙を浮かべる。
「…っ、ま……っ! いたいっ」
「動いちゃダメだってー。三好だってここ、こんなにカタくしたままじゃツラいっしょー?」
「…ぁっ……でも、いた…っ」
「ちょーっと我慢してれば、すぐに気持ちヨクなれるってー」
「うぅー…っ」
足元に陣取る青年の手が強く弱く動くたびビリビリと痛みが走り抜け、全身へと無意識に力が入った。体を投げ出した体勢でいるのは辛くて、三好は上体を捻ると肘掛けに縋り付くようにする。手の先に掴めるものがある分、少しだけ落ち着いた。腕に顔を伏せれば声もわずかに抑えられるし。
態とかというぐらい容赦なくぐりぐりと肉の内側を攻め立てるような指先に痛覚ばかりを刺激されているようで、三好は恨みがましさを覚えた。気持ちよくなんてなれなくていいから、早く終わって欲しいと思っていたのだが――。

「…は…ぁ……?」
「どーよ、三好ー」
からかう響きの笑みを含んだ声に、三好は詰めていた息を吐いた。
ぱんぱんに張っていたそこが柔らかく揉みほぐされ、手のひらに包み込まれるようにして上下に擦られると力が抜ける。ついでに鼻にかかった吐息も漏れた。
「…ふ……ぅ…」
「きもちーしょ?」
「…ん、……っいい…」
くたくたと力の抜けきった体をしどけなく肘掛けに預けた三好が、蕩けた目でこくりと頷く。八重歯の目立つ口元を楽しげに緩めた青年が更に手を進めようとした時、
「教育的指導ーーー!!」
叫びと唸りを上げた正臣の飛び蹴りが青年を横に弾いた。






「何するんすか、将軍ー」
「うっせえよ。お前わざとだろわざとなんだろ、絶対今のわざとだよなあ!?」
「えー、オレはただ三好が走り回り過ぎて足が筋肉痛だって言ってたから、揉みほぐしただけじゃないすかー。整体師の卵すからねー」
「どう考えても途中楽しんでたじゃねえか!」



くたくたに撓垂れたその姿。妙に色めいた記憶が焼き付いて、勉強なんて手につかねーっての!











「―――で、そこのこそこそ出て行こうとしてる奴ら」
絶対零度の冷気を纏い、正臣が廃工場の扉を開いて出て行こうとする前屈みの一団を呼び止める。
「お前ら全員携帯出せ。デジカメも、隠すようなら見つけた端から踏み潰すぞ」
空気を凍らせる言葉に震え上がった一団が戻り、正臣の前に携帯機の数々が献上された。フォルダを確認する気力を振り絞りながら、正臣は随分前から黙ったままになっている懐刀を見ないままに低い声を出す。
「谷田部。………………………ヨシヨシに嫌われる前に外行って来い」
「……………っす」
ふらふらと出て行く後ろ姿を見やって、正臣は今度こそ重い溜め息を吐き捨てた。
「どいつもこいつも、馬鹿ばっかりか」
「みんな、若い」
「…変態ばっかなだけだろ、ってかお前も年変わんないだろーが」
通常運転の人間にほっとしつつも、ズレたやり取りに疲れを覚えた正臣はもう一つ腹の底から溜め息をつく。
なんだか、めちゃくちゃ疲れていた――。

人の気も知らず黄色のソファーに凭れる親友はとっても気持ち良さげに脱力していて、それがまた疲労感に輪をかける。



(しばらく俺が送ってやんないと危ないじゃんかよ。ヨシヨシのバカ)



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あきゅろす。
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