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喜ばせたい。(静雄さんと/12'バレンタイン)



その日は朝から街の中も学校中もそわそわと落ち着かない感じだった。期待と不安、弾むような気持ちと落ち込む気配。色々な感情がそこら中をふわふわ漂って、楽しいような忙しいような不思議な気分がする。

校門の前で会った紀田くんが靴箱に大量投入されたチョコレートを期待し、しかしそんな漫画みたいなことはなかなか起こらないもので、自分の上履きだけが収まった小さな空間に酷くがっかりしていた。更に竜ヶ峰くんが「靴の入ってるとこに食べ物入れるなんて、不衛生極まりないよ。むしろ無くて良かったんじゃない?」とか追い討ちをかけることを言うから、紀田くんのテンションは下がるばかり。別れ際にも夢が、男のロマンが、と嘆きながら自分の教室に向かって行った。


「おはようございます。竜ヶ峰君、三好君」
「あ、三好君。竜ヶ峰君もおはよー」
「よーっス、お二人さん。女子がチョコ配ってるぜ、貰ってきたら」
「全員分用意とか、うちの女子も律儀だよなー」
「そこは優しいって言っとけ。旨かったじゃん、義理チョコ」
教室に入って一番最初に挨拶をくれた園原さんに挨拶を返したところ、次々に他のクラスメイトたちから言葉を投げ掛けられて僕は竜ヶ峰くんと顔を見合せた。
「チョコ…」
「貰いに行く?」
僕は窓際の華やいだ空間に視線を移す。
ぱ、っとこっちを見た女子がおいでおいでと手招いた。更には手にしたチョコを頬張る男子たちも。
「「…行こっか」」
そっと笑みを交わして、僕たちは揃って喧騒に混ざるべく足を進めた。


昼休みの教室。紀田くんも合流し、机をくっ付けて四人でお弁当を食べた。その時に園原さんが手作りだというチョコチップ入りのカップケーキを差し出してくれて、僕たちは喜んで頂いた。
天使だ女神だと紀田くんの大袈裟な称賛に照れる園原さんと、紀田くんに冷たいツッコミを入れつつも本当に嬉しそうな顔でカップケーキを味わう竜ヶ峰くん。
園原さんは少し焦げてしまったと申し訳なさそうだったけれど、おいしかったし嬉しかった。何よりみんなで過ごすこの空間が、楽しい。
「ありがとう、園原さん」
「…いえ。私こそ、食べてもらえて嬉しいです」
恥ずかしそうに俯くのが、可愛らしかった。

♂♀


放課後に至るまでにも他のクラスメイトや違うクラスの顔見知りがチョコをくれて、帰り道を歩く僕の鞄はぱんぱんになっている。笑顔で好意の証を渡してくれる優しさが嬉しくて、僕は自然に頬が緩むのを感じていた。
軽やかに、楽しそうに、綺麗にラッピングのされたチョコを差し出して。
明るく弾む声と笑顔を思い出せば、心がぽかぽかする。大切に、食べよう。
コートのポケットの中には最近、試験勉強中のお供であるキットカットが入ってたけど、しばらく出番はなさそうだ。
まだ春には遠い風の冷たさも少し遠退くぬくもりを肩にかけた鞄から感じつつ、ベルトを引いてずり落ちかけたその位置を直した時。公園のベンチで一服する背の高いバーテン服姿が目に入った。
静雄さん。声をかけようとする前に、ふらりと流れたサングラスの奥の双眸が僕を捉える。軽い仕草で煙草を持つ片手が上げられたのを合図に、僕は静雄さんへと駆け出した。

「こんにちは、静雄さん」
すぐ傍まで辿り着き、立ったままぺこりと頭を下げれば、静雄さんは口元を和らげてくれる。いつもは見上げるばかりのその表情も静雄さんがベンチに座っているため、近く見えた。
「今日はバイト休みなのか?」
「はい。静雄さんは休憩ですか?」
「ああ、午前中の仕事がちょっとずれ込んでよ…」
笑顔だった静雄さんの表情が僅かに険しくなる。
取り立ての仕事がどんなものかはよく分からないけれど、予定通りとはいかないものなんだろうなという気はする。相手が借金を踏み倒そうとするからこその取り立てなんだろうし。一筋縄でいかないことも多いはずだ。
「大変ですね」
あまり無理しないでくださいねと付け加えれば、静雄さんは「ありがとな」と嬉しそうに笑う。
そして、ふと首を捻った。視線の先は僕の鞄だ。
「なんか、重そうだな」
中に教科書やノートの他にも箱や袋を詰め込まれ、変形した鞄。僕はその表面を軽く撫でて微笑む。
「今日はバレンタインですから」
「…ああ、何か女からチョコ貰う日だったか」
日本では女の子から好意や感謝の気持ちをこめてチョコを贈る日。
海外の多くでは男性から愛する女性に花やカード、プレゼントを贈る日らしいけれど。
それにしてもすげぇ量だな、なんて言う静雄さんを見て僕は首を傾げる。
静雄さんは学生時代に彼女が出来なかったと言っていた。喧嘩や暴力沙汰に巻き込まれ、楽しい思い出は記憶にないとも。思い出した時、ふと笑顔になるような嬉しくて優しい記憶が。
それはなんだか……寂しい。
「…馬鹿。なんでお前がそんな顔するんだ」
僕は首を横に振った。なんで胸が痛いのか、自分でもよく分からない。
同情とは違う。そんな資格はない。ただ、笑っていてほしいのかも。
――接してみれば静雄さんは優しい人だし、見た目だって整ってるし、チョコを渡したいと思う女の子は大勢いたんじゃないだろうか。チョコだけじゃなくて、もっと…優しくて柔らかい気持ちを伝えたい女の子が。きっと。
今だって――。
ぽん、と軽く頭に乗った手が撫でる動作になる。強い力を持つこの手は、いつだって優しいから。

「……三好?」
無意識に、僕はポケットの中から取り出したキットカットを差し出していた。
静雄さんが赤い箱をあんまりまじまじと見つめるから、僕はさあっと頭の芯が冷えるのを感じる。
何をやってるんだろう。
好意の印って言ったって、日頃の感謝の形としてだって、それは女の子が渡すから喜ばれるのであって。男の僕から、それもどこにでも売っているお菓子を差し出されたって嬉しいわけがない。
呆れられるか、怒られる。
慌てて謝って引っ込めようとしたそれを、静雄さんの手がしっかりと掴んだ。僕の手ごと、包み込むように。
「…静雄さん」
「俺が貰っていいんだろ?」
サングラスの奥、薄い色の両眼は真っ直ぐに僕の目を見つめていた。
若干の居心地の悪さというか…何となく落ち着かないような気分になりながら、僕は小さく頷く。静雄さんの顔が綻んだ。
小さな剥き出しの箱は僕の手の中からそっと引き抜かれ、大事そうに静雄さんの大きな手に収まる。
……そんな風に、嬉しそうに笑わないでほしい。柔らかい声音でお礼なんて言わないでほしい。
だって、それは元々僕が僕のために買ったものだ。感謝してもらえるものじゃない。
受け取って、喜んでもらえるならもっと………………。
そこまで考えて、僕は諦めた。静雄さんといると距離感が分からなくなる。でも絆創膏だとかお菓子だとか、そんな日常的な何気ないものを大切そうに受け取ってくれるから。胸がぎゅうぎゅうして苦しい。
理由なんて分からない。先輩と後輩としての形から逸脱しているかもしれない。
それでも―――ちゃんと、もっとしっかり気持ちの伝わるものを差し出したくなってしまったんだから仕方ないじゃないか。
「静雄さん。それ、仕事の合間にでも食べちゃってください」
戸惑った顔で眉を顰める静雄さんに、僕は訊ねる。
「仕事が終わったら、時間ありますか?」
「ああ、……?」
「じゃあ、連絡ください。…………チョコ、用意しておきますから」


頬が熱くなるのが自分でも分かったから、静雄さんから少し視線を逸らした僕は気付かなかった。
静雄さんの顔も耳まで赤くなっていたことに――。



喜ばせたい。


「手作りとか重たいですか?」
「…馬鹿。すげぇ嬉しい」









タイトルは『悪魔とワルツを』さまからお借りしました。

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