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小ネタ(モブ視点・静雄さんとヨシヨシ)


自己判断でお読みください。








焼きたてのパンの匂いに包まれた店内から見える景色は、いつの間にか移ろいをみせていた。
変わらないようでいて徐々に、時に急激に全ては変化していく。
良いことも悪いことも。風景も、季節も、――人の心も。


わたしは窓ガラスの向こう側を通る小学生ぐらいの少年を見かけるたびに思い出す記憶があった。それは、もう随分と昔のような気がする。
登下校に通るのだろう、朝と下校の時間に見かけるその子。いつも怪我をしているのが心配だったけれど、店の前をたぶん弟さんである幼い少年と一緒に歩く彼に手を振ればはにかんだような表情でぶっきらぼうに頭を下げてみせる。そんな仕草がかわいかったと思う。
さりげなくてささやか過ぎる交流は、でも確かにわたしの胸に温かな感情をもたらしてくれていた。
しかし――そんな日々は唐突に終わりを迎えることになる。
ある日柄の悪い男たちに絡まれていたところに、その少年が通りかかった。助けてくれようとした、それだけは間違いじゃなかったはずだ。
けれど正直なところその時のことはよく覚えていない。気が付けばわたしの身体は重い棚の下敷きになり、壊れ荒れ果てた店内に立っていたのは少年だけで――意識が途絶える直前の、記憶に刻まれた彼の表情は怯えと悔恨に歪んでいて……。
終わってしまった。
その後も彼は店の前を通ることがあったけれど、決してわたしと目を合わそうとはしなかった。
拙くて、でも温かな交流は終わってしまったのだ。

時が立ち、その子が大きくなるにつれ彼は有名になっていった。自動喧嘩人形、池袋最凶などと呼ばれ暴力的な噂には事欠かない。池袋の街を自販機が飛び、騒然とした空気の真ん中にいるあの子はいつも眉間には皺を、額には血管を浮かべて険しい顔をしていた。
怖かった。怪我を負って動くのも儘ならないような子供の細腕が壊れそうもないものを壊し、持ち上げられそうもないものを軽々持ち上げ投げ飛ばすのが。
怖いと思う。成人になって更なる暴力に取り巻かれているあの子が。
でも、そんな恐怖だけじゃない。幼い子供の心に入った皹を広げずに済むような、掛けるべき言葉があったのではないかと、今になって後悔が浮かぶ。
そう思うようになったのは、きっと――。
わたしは、そっと自分の下腹部に手を当てた。

ふと、何かに惹かれるように窓の外を見てわたしは目を見開く。
冬も近付きだいぶ茶色が目立ちはじめた街路樹から時折思い出したように落ちる葉が舞う歩道を、二人連れが並んで歩いていた。
金髪で長身の青年はブランドものの青いサングラスとバーテン服で身を包み、赤毛で小柄な少年は白いパーカーと近隣の高校の制服を身に付けている。どちらも知った顔だ。
青年はあの時の男の子であって、彼は――柔らかな笑みを傍らの少年に向けていた。人を超える力を持つ手が優しい仕草で少年の頭を撫でる。
照れたように少し眉を下げて何か言った少年が、今度はその細い腕を青年の頭に伸ばした。気まぐれな風に運ばれ、金色の髪に絡んだ木の葉を取って彼は楽しそうに笑う。和やかで優しい風景がそこにあった。
笑顔を交わし、通り過ぎていく二人の姿。それを見てわたしは、微笑んだ。心から、嬉しい。
あの時自らの力に怯えて震えていたその手は、壊さないように、守れるようにと温かな何かを掴むことが出来たのだ。
怒りと悔恨の中に泣きそうな感情を底に宿したあの時の彼は、痛みと寂しさを包み込んでくれる存在に出逢えたのだろう。
あの日のわたしは助けてくれようとした、その幼くて不器用な優しさを汲み上げてあげられなかったけれど。
怖がらないで、遠ざけないで、並んで歩ける誰かに彼が出逢えてよかった。
「…おめでとう。もう、泣かなくて済むね」
心からの祝福を紡いで、わたしはお腹の中に宿る命の欠片に手を当てた――。



ラスト・メモリア


「……何が“おめでとう”なんだ?」
焼きあがったばかりでふわふわとした香りを振りまくクロワッサンがきれいに並んだトレイを両手に、この秋結婚することが決まった彼が首を傾げる。誠実さが溢れた顔は不思議そうにしていて、わたしは温かな気持ちで笑顔を浮かべた。
「ううん。今日はいい1日になりそうだなあと思って」
「なんだそれ」
呆れたように笑って、トレイを陳列棚に置いた彼はわたしの頭を軽く小突く。
「それより、あんま無理すんなよ? 辛くなったらちゃんと言えよな」
わたしと、わたしのお腹を見つめる目はひどく優しい。
「うん。ありがと」
わたしは今、とても幸せだ。



痛みはいつか癒える。悲しみはいつまでも続かない。
一歩一歩、自分の選んだ道を歩んで行こう。一人では苦しい道だって、傍らを歩いてくれる誰かの存在がきっと勇気になるのだから。







『ラスト・メモリア』は『悪魔とワルツを』さまからお借りしました。

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