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―――とにかくその時期はさ、池袋も荒れてた。黄巾賊は勢力を伸ばし始め、他にも小さいチームがいくつもあって小競り合いがしょっちゅう起こってたんだよ。
…そうだな。街に漂う雰囲気は、今みたいな感じかもな。ギスギスしてて、ちょっとつつけば爆発するっていう、さ――。
だからホント、面白くはない話なんだよ。




司の過去語り1



身を躱した司に掠ることもなく、宙を切った角材は狭い路地の薄汚れた壁に当たって跳ね返る。
「…ばーか、こんな狭いとこで長モノ振り回すとかさあ…頭足りな過ぎっしょー」
既に何発かまともに拳が入っている相手に、止めとばかり無防備に曝された鳩尾へと膝を入れた。崩れ落ちる身体から財布を抜き取ると、司はため息をつく。諭吉さんの姿は無く、野口さんが三人ばかり。小銭はそのままに札だけ抜き取ると、財布を倒れた相手の背中へと落とした。
どうせなら、懐があったかい時に喧嘩売ってくれれば買う甲斐もあると言うのに。
損した気分だけが残りやれやれとオレンジに染まった髪を掻きながら、司はつまらなそうに口を開く。
「聞こえてるか知らないけどさー、さっきも言ったようにオレの髪は“燭”の奴らとは無関係だからさあ。これに懲りたら、もう関わらないでくれなー」
言いたいことは言った。ぴくりとも動かない男から視線を外すと、狭く薄暗い路地裏の饐えた空気に厭いた少年はあっさりとその場を去って行く。
面白くもなさそうに、何事もなかったかのように――。


裏通りは夕闇に沈みつつあった。髪と同じ色の光に照らされる中をだらだら歩き、夕飯はどうしようかと考えた。どうせ何を食べたところで大差ないわけだが。
「――…が、……ってんじゃ………ッ!」
「……――ッらあぁぁ!!」
「―――――ぐあ…ッ!」
横道の奥からついさっきまで司が只中にあったのと同様の喧騒が聴こえてきた。
「…どいつもこいつも飽きないねえ」
構わず通り過ぎようとしたが、暗がりの中で何者かとやり合っていたらしい男が足元に倒れ込んできた為に足を止められる。
面倒くさいなあと思いつつ、臑を押さえて這いつくばる男を見た。
「何だよー……んー? “燭”のヤツか?」
腕に付けた太い橙色のバングル。
橙色――それはこのところ街のあちこちで小競り合いを繰り返すようになったカラーギャングの一つ“燭”の色だ。どこのチームにも所属していない司も、髪という目立つ部分を染めていた為に迷惑していた。
はっきりと無関係なのだが、いよいよ面倒な予感しかしない。
次の瞬間、ばきん、と嫌な音がしてまた一人橙色のツナギ男が狭い道から転がり出て来た。手にしていたナイフが離れて司の爪先近くに投げ出されたそれは、刃が半ばから折られている。
「…ひ、ひぃ…ッ! テメェ、そのブーツ何仕込んでやがる…!?」
耳障りな男の声は暗がりに向けられ、そこから隙の無い身のこなしで現れたのは司と同い年ぐらい、まだ十代前半の少年だった。エンブレムの付いた紺のブレザーにグレーのスラックスは近場の有名大学附属中のもので、こんな薄汚れた裏通りを歩くのは場違いにも程がある。周囲に馴染まず浮き上がれば目を付けられる、そんなものだ。金を持ってそうだからカモに認定されて絡まれ、その結果が――。
「返り討ちとか、やるじゃん」
口笛を吹きそうな口調で呟いた司の前、へたりながらも逃げる様子を見せたツナギ男の肩にゴツいブーツの履いた足が乗せられ再び嫌な音と耳障りな悲鳴が上がった。
「…は、容赦ないねえ」
「…新手?」
司の声で少年が流した視線は、オレンジ色の髪を映したことで剣呑なものに変わる。
「はあ? オレは無関係だっての……っ、聞けよ!?」
耳元で風が唸った。咄嗟に回避に動いてなければ、骨を砕くブーツの一撃を頭にくらっていたはずだ。
「…っと、だから! 危ないっての!」
立ち位置を替えるようにお互いの身体を反し様、今度は中段に回し蹴りが飛んできた。道に転がる男達の末路を知れば間違っても受けるわけにはいかない。
躱しつつ説得――聞き入れられないなら武力行使ということになるだろう。
行動を決めながら、司は深々ため息を吐き捨てたい気分になった。
「あーもー…、面倒くさいってのー!」



♂♀



「…違う?」
「…だーから、そー言ったしょー。オレも間違われて迷惑してるんだってさあ」
蹴りを躱し、叩き込もうとした拳を流され、急所を狙えば素早く距離を取られ、隙をついては足元を払われそうになる――…一進一退の攻防を暫く続ける中でようやく言葉が届いた時には、二人で息を切らしていた。
男達が転がる現場から移動した、近くの廃ビルの軒下。疲れを滲ませた二人の少年はどことなく微妙な距離で壁に寄りかかって座り込み、お互いの事情を軽く話す。
片や“燭”と間違われ、他チームの人間から喧嘩を売られた少年。
片や“燭”に絡まれ、カツアゲされそうになったところを返り討ちにした少年。
どちらも被害者側だった。
「……悪かった」
「別に、まあ、骨も折られなかったからいいけどさあ。お前のブーツ危な過ぎっしょー」
呆れた口調で八重歯の覗く口元を歪ませながら、司は口数少なく表情に乏しい少年のブーツを指した。
少し強く地面を蹴れば重たい音がするそれは、踵と爪先、そして臑の部分に金属板が仕込まれているらしい。それは当たれば骨も折れるはずの、立派な凶器だった。
「自衛の為」
「…下手なナイフより危ないってのー」
「でも最近の池袋、刃物持ってるのも良くいる。絡まれるし、鬱陶しい」
淡々と不機嫌そうな少年の横顔に、司は呆れ顔で頭を掻いた。
「…そりゃあさあ、ここんとこの池袋、しかも路地裏をぼんぼん丸出しでぼけぼけ歩くのっていいカモに見えるからしょー」
「…?」
「……………だからさあ、それ。制服」
「あ」
歴史もあれば偏差値も高い、そんな学校の制服をこれ見よがしに着て治安がよろしくない荒れた状況にある街の、それも裏通りを一人ふらつけばチンピラ達にはいいカモであるはず。それぐらい分かりそうなものだが、表情の薄い黒目がちの両目をはっと見開き固まったところを見れば考えてなかったらしい。
司は吹き出した。
「ははっ、お前ケッコー間抜けなー」
「うるさい」
「おっと、あぶねっしょー」
伸ばしていた足を踏みつけられそうになり、司は膝を縮める。踵がアスファルトを削った。
「………お前さあ、気ぃ短過ぎだろー」
「お前がユルい。話し方とか」
「んー? いやいや、話し方についてはお前の方も人のこと言えなくねー?」
「お前、違う。東雲 昊」
「…へ?……ああ、オレは邑月 司。何かお前、間が独特だなあ…」
「うるさい」
「素直な感想だけどねえ。まあ、いいや。よろしくなー、シノ」
へらへらと笑う司を昊は胡乱気に眉を寄せて見る。
「…シノ?」
「シノノメ、って言いにくいからさあ」
「お前、本当にユルい」




「――ってのが、オレ達の出会いだったな」
「………喧嘩、したの?」
「おー。強かったなあ…ってか、ブーツが反則だよな。金属板入りってさあ」
「…………怪我、しなくて良かった。二人とも」
「三好はイイコだねえ」
複雑な表情ながら、そこに関してはほっとしたように息をつく三好の頭を青年は撫でた。その手を厭う素振りはないものの、視線を落としたまま三好はぽつりと言う。
「…でも、人からお金取るのはダメだと思う…」
「いやー、喧嘩吹っ掛けて来たヤツからしか貰ってなかったしさあ」
「…………」
「……悪かったってー。そんな顔するなよ三好ー」
三好はふるりと頭を振る。過去を責めたり、詰ったりしたい訳ではないのだ。そんな資格はない。
でも、だけど―――…司のバンダナが巻かれた手を、三好はぎゅう、と握った。いつもは笑みの形でゆるんだ、しかし今は少し困った表情を浮かべる濃い茶色の瞳を真正面に見つめる。
「…みよし」
「今の、司くんのこの手は違うでしょう?」
握られた手の力に、胸の中まで締め付けられた気分だ。
違う。あの頃とは、――まるで。
「……ああ。ちゃんと、知ってるよ。使い時は、間違わない」
何もなかった時とは違う。
あの時なかったものが、今は周りに、手の届くところにあることを知っている。
頷いて見せた司に頬をゆるめた三好、その幼げでありながらもそっと寄り添うような柔らかさに司は頭を掻いた。
何かもう、鋭いくせに天然ってどーよ、と思う。そしてこんな時に限ってまだ他の人間は現れる気配もない。




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短い間合わさっていた視線、その、三好の大きなつり目がちの瞳がぱちぱちと瞬いた。
「…そういえば、“燭”と二人って…」
「ん、それなー…」
かくん、と傾けられた首に引き戻され、司は先を続けるべく記憶を遡る。
「微妙な出会いだったけどさあ、それを切っ掛けにオレらは割と連れ立って行動するようになった。シノが放課後は私服で、ニット帽を被るようになったのもそこからだったな」




司の過去語り2





「…お前といると、喧嘩巻き込まれて面倒」
「オレだけのせいじゃないっしょー? お前も返り討ち派手にやり過ぎて目ぇ付けられてるじゃん。結局さあ」
「お前のオレンジより、増し」
「だーから、お互いさまだってー」
喧々言い合う二人の近くには、黄色のバンダナを頭や足、腕に巻き付けた少年達が数人倒れて呻き声を上げている。
先日“燭”の人間に仲間が闇討ち同然のやり方でやられたらしく、その仇討ちだと言って襲われた。勢力を伸ばすチーム同士の間ではありがちなことかもしれないが、無関係な第三者にとって迷惑な話ではある。
司は自分達と年の変わらない、下手をすれば一つ二つは年下かもしれない少年達に向かってため息をついた。
「仲間の為ってのは悪くないけどさあ、相手を確かめないってのは血の気多過ぎだってのー。オレもこいつも“燭”とは無関係、OK?」
「…ふざ、っけんな…! テメェらに何人も仲間がやられてんのは知ってんだよ!」
「こっちから手を出したこと、無い」
「そーそー。黄巾賊のボスはまだガキだって聞くけどさあ、一般人に手ぇ出すような道理の分かんないヤツでもないって思いたいけどねえ」
「!! 将軍コケに…する気か、テメェ!?」
「…違うだろ、逆だってのー」
「頭悪い」
「ああ…!?」
その気はなくても煽る昊の言葉と、あっさり熱り立つ黄巾賊の少年、その両方をやれやれと眺めて司は言う。
「…ま、向かってくるなら相手するってだけでさあ、あんたらと対立する気とかはないよ」
「そんな、言い訳が…ッ」
「黙ってやられろって方が酷い言い分だと思うけどねえ」
「行こう」
どうやら飽きたらしい。昊がくるりと背を向けてさっさと乱闘の場を去ろうとしていた。
…自由過ぎるだろ…、とは口の中だけに止めて。
「まあ、そんな訳だからさあ。出来れば次はないように頼むなー」
あくまで軽く言い置き、司もまた昊を追って歩き出す。背後から向けられる険悪な視線はさっくり無視して――。



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そろそろ腹も減ったよな、と表通りに戻るべく足を進めながら二人は軽口を叩きあっていた。
「しっかし、やっぱり面倒だよなー」
「染めればいい、その派手な頭」
「えー、何でよ。気に入ってんだってー、この色ー」
「迷惑」
「迷惑してるのはオレだってー。色が被ってとばっちりとかさあ」
「だから染めればいい」
「却下ー」
「じゃあ、元を潰せばいい」
昊の声音が俄に真剣味を帯び、司は頭の後ろで組んでいた腕をほどくとだらだら歩いていた足を止める。
「はい?」
「“燭”」
「………お前、ケッコー過激なこと言うよなあ」
少なくとも二、三十人規模の集団を二人で潰すとか無謀だろう。しかも自分たちは中坊成り立て、相手は高校生主体の大人も混じった大人気ない集団。正面からやり合うのは――。

「…出来もしない大口を叩く、その思い上がりが命を縮めるってなァ」
野太い声は後ろから。
最悪の事態だった。





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