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赤毛の仔猫と漆黒の狐



interval 3



ケータイが繋がると同時、静雄は顔の見えない相手を思い切り怒鳴りつけた。それは出会ってからこれまでの間で初めてのことであり、ケータイ越しでも彼が息を呑むのが分かったが抑えが効かない。通行人が静雄の姿とその怒声に驚きと怯えも露に周囲から遠去かって行くが、それに至っては視界の端にもかからなかった。
ただ、今ここにいないケータイの向こう側の相手だけが思考を占める。
顔が見えない。姿が見えない。傍にいない。
――何もしてやれない。
そんな状況で危ない目にあっている挙げ句、頼りにすらされない。そう思えば相手に対するよりも静雄は自身に対して苛立ちが募った。
何やってんだ、馬鹿。そんな事を口にしながらも、怒りは内側に向かっていく。
壊すことには際限なく自由な力があったとして、肝心な時に必要とされる力がないのでは全てが無意味だ。
電話の向こう側、殆ど息継ぎもなしではないかと言うぐらいの勢いで紡がれる一方的な感情任せの言葉を大人しく聞いていた彼は、静雄の声が途切れた隙間に落とし込むように名前を呼んだ。
静雄さん、と。穏やかで優しい、柔らかい声音が怒りに支配されていた頭に凪をもたらす。それは静雄が自身を責めていることも伝わっていると思えるほど、包み込む温度を伴っていた。
―――伝わっているのかもしれない。
彼は続けて、心配に対する謝罪とお礼を静雄に言った。
敵わないと思う。
ずっと聞きたかった声だ。赤黒く染まっていた感情と暴力的な衝動が渦巻く身体も僅かではあるが鎮まりつつあった。
大きく息を吸って、吐き出す。
「……無事なんだな?」
まだ低い声の問い掛けには短くも真摯な肯定が返ってきて、漸う静雄の肩から力が抜けた。
「それで、何に巻き込まれた。今どこにいるんだ?」
今度の質問には困ったような沈黙と、躊躇うような気配がある。少しして大丈夫です、と小さな声。反射的に「大丈夫な訳ねえだろうが!」と怒鳴りかけ、――ぎりぎり耐えた。
少しは頼れと思うのに、遠慮なのか何なのか自身が中心となった問題へ他人を巻き込むことを由としない。静雄のことは小さな怪我一つで心配するくせに、自分のこととなると途端に頑なになる。それが歯痒くて仕方ないのだが、押し問答は無意味だろう。静雄はギリ、と奥歯を噛み締めがしがしと金髪を掻いた。
本人の口から事情を聞けなくても、真相なんてまるで分からなくても、胸に蟠り続ける苛立ちが知らせている。
「…お前が大変な目に合ってんの、ノミ蟲野郎が絡んでるんだよなあ?」
微かに息を呑むのが分かる。それで充分だった。
「……分かった」
静雄の軋む声音に不穏なものを感じ取ったのか、少年は慌てて迷惑はかけられない、巻き込みたくはないのだというようなことを口早に告げたが、静雄も引き下がるつもりはない。
「お前が自分の手で決着つけようとするのが望みなら、俺が俺の意思でお前を探すのも自由ってことだよな。……ついでに害でしかねぇノミ蟲野郎ぶちのめすのも、俺が勝手にすることだ。それなら何の問題もねえよなぁ?」
しずおさん、と切ないような声が呼ぶ。顔だって脳裏に浮かぶ。なのに、本人は静雄の前におらず、面倒事を自分だけで解決しようとしている。それが、堪らなく苛々した。
これはただの我が儘だ。しかし、初めて出来た後輩が――静雄も袖を通した、同じ学校の制服を着ている人間という理由ではなく。初めて“後輩”として認識出来た存在が、よりによって折原臨也の思惑が絡む何かに巻き込まれている。十中八九、どころではない。十中十の適中で碌でもない事態に決まっていた。
「…お前がこれからしようってことは止めねえ。その代わり、俺は俺で勝手にするからよ」
その結果が強引にでも少年に力を貸す行動になっても、臨也をブッ飛ばすことでも。
それは静雄自身の意思であり――、
「それは、俺の自由だろ?」
訊ねる口調を持ちながらも、それは断言だった。
泣きそうな声音がもう一度自分の名を呼ぶのを最後、繋がった電話は途切れさせないままで、しかし返事は聞かずに静雄は再び走り出す。



この手は守る為に繋がる為にあるのだという こと



それを教えてくれたのはただ一人だから。
目指す場所は感覚が導いてくれるだろう。今現在、一番嫌な予感がする場所、それが目的地だ。








――僕は焦っていた。
それと同時にどこか心に一本の支えが出来たようにも感じていて、こんな時だというのに少し笑えてしまう。
存在に心強さを感じられる人が出来るなんて、池袋に来るまで想像もしなかった。怒られることが、申し訳なさを覚える反面嬉しいことだなんて知らなかった。
でも、だからこそ早く決着を自分の手でつけなければならない。
…そうでなければ、納得もしてもらえないだろうし。


僕はようやく辿り着いたあの人のいる場所、サンシャイン60の前で、聳え立つ高い建物を見上げた。よりによってこんな場所で顔を合わせようというのだから趣味が悪いとも思うけれど、拒否も出来なければもう躊躇う時間すらない。色々な意味で。
とりあえずのところ、展望フロアへの入場制限まで後十分を切っている。
小さく息をついて。スカートのポケットの中の固い感触に最後の勇気をもらって、僕は建物へと足を踏み入れた。







夜空か深い海底かを小さな箱形としたようなエレベーターは音も動きも静かで、しかし不思議な浮遊感を身体にもたらしつつ僕をあっという間に60階まで運んでくれた。

ハロウィンの飾り付けがなされた通路、等間隔に置かれたかぼちゃ頭を積み上げた塔かツリーのようなオブジェの間を抜けた先、星空を地上に堕としたみたいに煌めく夜景を背負って、漆黒を纏う青年が嗤う。
「遅かったじゃないか、待ちくたびれるところだったよ」
「………それは、どうも」
一歩一歩と重い足を進めながら、僕はもれそうなため息を奥歯で何とか噛みつぶした。
ただそれによって頬が強張り眉が寄るのは仕方のないことで、表情を硬くした僕を彼は面白そうに眺める。照明の落とされた室内にあっても暗紅色の双眸に宿る歪な愉悦は明らかなものと見えた。
手摺のような細い備え付けの座席に寄りかかった臨也さんの手が、僕の肩から流れる髪の一房を掬い上げる。
「それにしても、ちょっと見ない間に随分と様子が変わったようだね。追い回されるのが趣味の君には似合いの格好かもしれないけど。ああ…それともこの待ち合わせ場所に合わせて来てくれたのかな」
そんなおかしな趣味を持ち合わせたつもりはない。からかう声音に僕はその手を払おうとした。が、立ち上がった臨也さんによって逆に手を取られ、窓際に乗り上げるようにして押さえ込まれてしまう。
少し視線を流せば目も眩む高さから見下ろす鮮やかな夜景。奥行きがあるから窓硝子に直接触れるわけではないし高所恐怖症というわけでもないけれど、場所も体勢もあんまりじゃないかという状況に冷たいものが背筋に走った。
そのまま壁の側面と腰の横に手をつかれれば身動きが取れなくなってしまう。
「……っ、なにを…っ」
「変に距離を開けて話すより目立たないさ。それで、俺に話って何かな?」
近過ぎる距離。態とらしく肩を竦める仕草に、僕は小さく小さく吐息を溢す。
確かにここに至るまでに目に入った周りは、周囲から丸見えという開放的なフロアの至るところで肩を抱く――どころか夜景そっちのけで相当盛り上がってる恋人同士も少なくないわけだが、だからと言って僕たちが無駄に近く寄り添う意味はないはずだ。変な圧迫感に握りしめた拳にひやりとした汗が滲んだ。
ゲームを終わらせる一手として選んだことだけれど、正直最善策である自信がなくなってくる。とは言え、後にも引けない。抵抗一つで拘束を抜け出せる可能性は限りなく低い以上、今は時間を有用に使うべきだ。
――覚悟は決めた。
「…答え合わせと、お願いがあります」
真っ直ぐに視線を合わせて言った僕を映し、暗紅色の両眼が愉しげな昏い光を帯びて細められる。
「言ってみなよ。満足する答えだったら、考えてあげようじゃないか。君の“お願い”とやらをね」



駆け引きの国





(―――ほら、愉しませてごらんよ)


声の向こう側にある言葉に僕は、深く息を吸い込んだ。









『この手は守る為に繋がる為にあるのだという こと』は選択式御題さま、『駆け引きの国』は悪魔とワルツをさまからお借りしました。




あきゅろす。
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